今更ながら、私のこと #1

「考え方次第では努力って無駄になるだなんて 馬鹿げた夢も見れない奴達におい!笑うならゲラゲラ笑えよ」
「夢と努力と個性をかけてイコール 答えがゼロなら変われよ」
NICO Touches the Walls 「太陽が笑ってら」の歌詞より

私がいつもnoteの記事であげているような生活を普段送っているということを説明すると、偉いね。ストイックだね。などと言われることが多いです。

それ自体は大変ありがたいことなのですが、そう言われるのは正直好きではありません。いえ、というより私などがそのように言われるということは恐れ多いのです。語源となったストア派の先生方よりは当然として、皆さんのうちのどなたよりも私はおそらく怠惰でしょう。

ならば、なぜそういった生活を私が続けることができているのか。それは偏に習慣に落とし込んでしまったからです。陳腐な表現かもしれませんが、楽しいから続けたのではなく、続けたからこそ楽しみが生まれてきたのです。

私に関しては太りすぎで健康面の不安が多く、必要に駆られたから仕方なく始めたというだけです。ですから、最初のうちは勉強や運動などに全く楽しみを感じられませんでした。ただただ苦痛でしょうがなかったのです。

本当に成果など出るのだろうか?こんなことに意味などあるのだろうか?そういった思いを抱き続けたまま、嫌々ながらも、ただただ続けました。そうしているうちに、徐々に成果が見え始め、自分でも変わることができるんだということを知りました。それ以来、知識を得て実践し、自分を変えていくという行為自体が楽しいものへと変わっていったのです。

だから、今の私はただ遊んでいるだけなのです。勉強も睡眠も食事も運動も自分をどれだけ高めて行けるかという自分の人生をを使った壮大な実験であり、究極のゲーム。ただゲームに没頭しているだけの人を見て、偉いと思う方はいるでしょうか?私にとってはまさにそれで、ただただゲームをしているだけなのに偉いと褒められている、そういった感覚。
なので、ストイックなどとは恐れ多い。そういうわけです。

少し、ゲームを批判したかのようになってしまいましたが、私自身は大いにゲーム肯定派です。登場してすぐの頃ならまだしも、今ならゲームクリエーターやe-sportsの選手になったり、下手なら下手なりにむしろそのことを全面に押し出して配信をし、差別化を図ることすらできます。ゲームだろうが勉強だろうが、何かに熱中できている。そのこと自体が尊いこと。ゲームと勉強、そこに優劣など、本来あろうはずがないのです。やりたければ、好きなだけやればいい。それでもし、学業が疎かになったとしても、それでいいではないですか。それならそれで、ゲームを生かした仕事につけばいい。と、それだけのことだと私は思うのです。

もし、これを読んでくださっている中に親御さん方、先生方がいらっしゃるのであれば言わせてください。もし、本当にお子さんのことを思ってというのであれば、夢を否定するのはやめましょう。否定するのではなく、どうすればなれるかを一緒に考え、具体的な道筋を示してあげるのです。それが本来の大人の役目ではないでしょうか?どうしても無理そうだとしても、お子さん自身の手でそのことを悟れるよう、さりげなく導いてあげるのです。どんなことであれ、否定されて育った子どもは健全な自己愛を育むことが難しくなってしまいます。どんな時でも自主性を尊重し、悪いことをした時は行動のみを叱る。決してお子さんの存在を否定するようなことは言ってはいけません。このようなことを人の親になったことのない私が言うのはおこがましいとは思いますが、私はそう考えています。

かくゆう私も、学生時代は勉強などほとんどせずゲームばかりしてました。(数学などは赤点でないことがすごく珍しかったくらいです。正直な話、一桁もザラでした。)ですが、こうして社会人になってからその楽しさに目覚めるということもあります。ですから、本当に分からないものですよ。

今回はここまでです。ご覧いただきありがとうございました。


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