作曲家と演奏家① ブルックナーとチェリスト、D.ポッパー
19世紀後半を代表するチェロの名演奏家で、チェロの魅力的な小品や、難しいが非常に役に立つ「40の練習曲」を作曲したダヴィド・ポッパーは、同時代のロマン派の作曲家にも大きな影響を与えていたのをご存知でしょうか?
今日はポッパーと交響曲の大家、アントン・ブルックナーのエピソードについて書きたいと思います。
ポッパーは1868年から1873年までウィーンフィルの首席奏者でした。当時のウィーンフィルは自治のようなシステムを採っており、団員が指揮者や曲目について意見を言うことが許されていたようです。1872年にブルックナーの交響曲第2番の初演のためのリハーサルの際、この作品が団員達によって拒絶されるという事件がありました。ブルックナーは生前、あまり作品が受け入れられず、評価されるまで時間がかかった作曲家の1人でした。
しかしポッパーは彼の同僚に比べブルックナーの作風に理解を示しました。そしてオーケストラに対し、全ての作品に対し公平であるために、この作品を完全に拒絶してしまう前に再度挑戦してみることを訴えました。ポッパーの説得は功を奏し、ブルックナーの作品はウィーンフィルのレパートリーとして受け入れられていきました。
ブルックナーの第2番は1873年の10月26日に無事に初演されました。しかしながら残念なことに、ポッパーは妻との演奏旅行を行うため、1873年の夏にウィーンフィルとの契約を終了しており、すでにオーケストラを去っていたため、ポッパー自身が初演で演奏することは叶いませんでした。
いかがでしたでしょうか? 次回もチェリスト、ポッパーと関わりのあった作曲家について書いていきたいと思います。
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