ひかりのまちにうまれたこどもたち
「ひかりのまち」
というタイトルの映画を僕は果たして劇場で見たのかそれともDVDで見たのか、そんな基本的なことすら、すっかり忘れてしまった。
同じ監督の他の作品は、すべて大きなスクリーンとドルビーサラウンドで見たという記憶がはっきりあるというのに。
けれど、そんなふうに自分がいちばん好きな映画だけ記憶が曖昧なのは、
要するにそーゆーことなんだな
と妙に納得している自分がいる。
確かに映像も音楽もサイコーなのに(なにしろサントラはあのマイケル・ナイマンだし)、そんなのどーでもいいと思ってしまえるくらい、
当時の僕は、このgentlemen(紳士)もladies(淑女)もいない、ましてやhero(英雄)など望むべくもない、本当にその辺をうろついている野良犬のような、ただたださえないだけのロンドンっ子しか出て来ない群像劇に没入していたのだった。
なにしろ登場人物の誰か
とかじゃなく、
登場人物全員が
自分だ
と思えた映画は少なくとも現時点では、この作品しかなかったりするからね。
あの彼も彼女もあいつもこいつも、みんな間違いなく
自分という人間の断片(フィラメント)
だと確かにそのときの僕は感じたのだ。
もちろんそれぞれ好みや共感の大小はあるけれど。
ちなみに、僕がいちばん共感した人物は、まちがいなくあの彼である。
そう、すでに臨月を迎えた奥さんがいるにも関わらず、突然、仕事が嫌になって勝手に会社を辞めて、街中にある赤い電話ボックスでその事実を彼女に伝えた後、スクーターであてもなくひたすら
夜のロンドン
すなわち
たくさんのネオンや車のライトや街灯が瞬く
ひかりのまち
を彷徨う
あの彼(最近、買ったビデオはデビッド・リンチのイレイザーヘッド)
のことである。
結局、どこにも辿り着けなかった彼は交通事故を起こして、市内の病院に運ばれる。
そこで、足を負傷して車椅子姿になった彼は、偶然、奇跡的な出会いを果たすのだった。
そう、そこには奥さんとなんと産まれたての自分の赤ちゃんがいたのだ。
「女の子よ…。」
と奥さんがそんな彼にやさしく語りかける。
すると、泣いているようにも笑っているようにも見える頼りなげな表情を浮かべた彼は、その赤ちゃんの小さな指を握りながら、女の子だったら付けるつもりだった彼女の名前をこんなふうに呼んだのだった。
「アリス… イン ワンダーランド」
当時、自分が親になるなんて全く想像もできなかったくらい自分のお世話で精一杯だった老青年の僕は、この彼の姿を見て、きっと励まされたんだと思う。
そして、それから10年後、僕は街の小さな産婦人科で、実際に、あの感動の瞬間に立ち会ったのだった。
もちろんBGMにあの曲を流しながら、ね。