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若菜晃子さんの本「旅の彼方」

おはようございます。

先日、つぶやきましたが、
若菜晃子さんの本「旅の彼方」のことを少し書いておきます。

若菜さんが旅先で出会ったこと、
感じたことが綴られています。
この本、装丁も紙の質も好みで、
電子図書では味わえないものを味わう。
やっぱり、本は読むだけではない。

若菜さんの視点にハッとしたり、
いいなと思ったり。
行ったこともない国のことを想像して、
行ってみたいなと思ったり。
食べものの話もよく出てくるので特に。

表現の仕方もとても素敵で、
気持ちを言葉で表したら、
そうそう、こんな感じ。
と思うところもたくさん。

・・・「いかに生きるべきか」とか「なにをなすべきか」といったことを繰り返し考えていたけれど、そしてそれが自分にとって重要な課題でもあったけれども、五十代の今はもうそんなことは考えもしない。今は旅に出ると、「ああ、そういうことだったのか」と繰り返し思うようになった。
それはその国の現実だけでなく、「世界とはこうなっているのか」とか「人間とはこうだったのか」と、頭では理解していた事柄が腑に落ちる瞬間、学んできたひとつひとつの点が一本の線でつながっていく感覚があって、いわば物事の理を実感する。

若菜晃子「旅の彼方」:物事の理

ふっとつながる、
点と点がつながる瞬間。
なにげなくしていることも、
いつかどこかでつながっていく。
そう思うと、無駄なことなんて、
ひとつもない気がする。

・・・なぜその作品が好きとか、なぜその作家が好きとか、その作品のどこが好きか、言葉にするのは難しい。それに好きというのは感覚であって理屈ではない。この本が好き、この作家が好きというのは、その人のたましいに通じる部分で、簡単に説明できることではない。だから本当のところは本人以外誰にもわからない。その人はそうなんだなと思って、そっとしておくのがいいのだと、私は思う。

若菜晃子「旅の彼方」:ノッテルダムの灯

「すき」って、
理屈ではなくて、
感覚だと本当に思う。
自然に心が惹かれている。
同じもの、人でも、
そのものをどう感じるかはそのひと次第。

・・・しょせん人はすべての光景を見られないのだし、なにもかも見る必要もない。こうして自分の足で歩いて、自分の目で見られたもので満足であり、見られただけで充分なのだ。そこでときを過ごし、思いを巡らすことができただけで、もはや幸いなのだ。

若菜晃子「旅の彼方」:花は光の射す方向を

すべてをみて、
知ろうとしなくてもいい。
そう思うと心が軽くなる気がする。
今、目の前にあるもの、
その時をただ楽しんで、
しあわせを感じていたい。


メモしておきたくなるところが、
たくさんありすぎて、
もうこの本は買おうと思う。


今日はこのへんで。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

昨日のおやつ。
レーズンクッキー、シナモンクッキー、ココアクッキー、米粉クッキー、せんべい
(暑くなってくるとクッキーがなかなか減らない)


今日もよい一日を。


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