食材を丁寧な心で思いを込めて扱う。
自分はどのくらい、食材を丁寧に扱っているんだろう。乱暴に扱う、無駄にしているのではなくて、手にした食材、一つ一つに思いをかけているだろうか。と言う点。
買って来た、かぼちゃから、種を取り出し捨てる。ん?この種を育てることが出来たら、自分の食べる分は収穫できるんだよね。場所があれば。
日本古来の食文化、味噌、醤油、豆腐、納豆、梅干し、などなど 原材料の産地は海外から。国産品を買いたくとも、手にできる価格ではないのだなぁ。簡単に手に入らない貴重品。栽培から自家製を作るのが、本来の姿なんだよね。自分で食べる分は自分で。それで、できない食材はできる方の力をかりて、購入して補う。栽培がうまくできれば、こうにするのは、そんなに多くなくなるかも。
ちょっと、トライしたく、種を保存。うまくできると言いな。
お店の中には、あまりにも、多くの種類が売られ過ぎていると感じる。選択できる喜びが、大きなりすぎたか、自力、国内だけでは賄いきれないのに、選択数、数量だけは増えていく。増えていく分、原材料や食材に対してのありがたさ、生産者の方々への感謝が薄れてしまいそうにも思う。
数がある安心はありがたいが、この安定を維持するだけの国内での原材料では足らず、海外の力をかりないといけないものね。すると、どこまで、安全なのか、安心なのか?分からない。国内製造していても、原材料はどこまで、信じられるのかしら。とかね。
原材料だけじゃなく、添加物問題もここに加わってくると、んー。頭痛い。
これを考えていると、買い物に、時間がかかる。
一つを買うまでの、心の決闘。商品片手に、じっと立ち尽くす。国産買いたい、けど、アタイの生活維持には、価格的にこっちだ。でもなぁ。と。
だんだん、脳が疲れてくるわ。
自分で可能な限りの選択しながら、手にした食材達、1つ1つに思いを込め、丁寧な心で扱い、生産者さんに感謝をして、いただこう。
今日もありがとう。いただきます。
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