
ニュースの概念を変えることの意味・NewsDietのすすめ。
はじめに
私のNoteではこれまで一人で静かに過ごす時間や静かな生活の意義について考えてきた。その中には、テレビやニュースに対しての懐疑的な見方も含んでいたと思う。
今回は、今まで書いた考え方を踏まえ、ニュースを得るという行為に対しての自分の考えを改めて整理してみたい。
スティーブン・ピンカーの視点
ハーバード大学の認知科学者で『暴力の人類史』(青土社)や『21世紀の啓蒙』(草思社)などの著作のある啓蒙主義論客、スティーブン・ピンカー博士のTEDの講演を最初に聴いた時、私は「世界が決して暗黒になど向かっておらず、むしろ大きく改善され続けており、世界は進歩してきた。」というメッセージに少なからず勇気づけられ、感銘を受けたことを覚えている。
それは日々暗いニュースも少なくないなかで、決して明るいとは言えない世界情勢とどちらかというとどんよりした日本社会のムードを肌で感じる日常において、ファクトフルネスして世界を客観的に捉えることの重要性に気づかされた。そして、ニュースを生活に取り入れることに疑問を抱くきっかけとなったのである。
『21世紀の啓蒙』には次のことが書いてある(一部を要約する)。
「最悪の出来事が世界から一つもなくならない限り、ニュースは必ずそうしたネガティブな出来事をとめどなく報道する。ネガティブなニュースを見ると暗澹たる気分になり、リスクでないことをリスクだと勘違いしたり、不安になったり、気分が低下したり、学習性無力感が生じたり、他者に対する軽蔑と敵意が生まれる場合もある。
つまり、ニュースを目にすると世界観が歪むのだ。
そして、ニュースを見て形作られるそうした世界観はもちろん正確ではない。正しい理解でもない。
私たちは世界を正しく認識する必要があり、それには数えること、すなわちデータを基にして世界を捉えることが大切である。」
私自身も、ネガティブなニュースを目にするとかなり気分が低下し、暗い気持ちになることが実感としてある。
見たくもないときに目に入る場合は特にそうだ。
だから、ピンカー博士の問題提起には、とても気づかされる。
ちなみにハンス・ロスリング他著の『ファクトフルネス』も似ている内容の本ですね。
ケヴィン・ケリーのスタンス
さらにワイアード創刊編集長のケヴィン・ケリーさんも、ネガティブなニュースを見ないようにしているとこの動画で語っている。
ケリーさんはそもそも家にテレビがないそうだ。なんだか少し憧れる。
この章をまとめると、ニュースを見ない生活も十分にありだということ。なんならテレビも家になくていいと個人的に思う。実際、スイスの小説家で実業家のロルフ・ドべリさんも、『Think Clearly』で家にテレビを置いていないと述べている。私も将来そうしたデジタル片付けの生活をすることを本気で考えている。
では、ニュースの代わりとなるものはなんだろうか?
次の章からは、私自身が考えたことを書いていきたい。
新書をニュースの代わりにする
『Think Clearly』の著者、ロルフ・ドべリ氏は、ニュースの代わりにしっかりとした長文記事や本を読もう、と述べている。
それについては、ドべリ氏の『News Diet』(サンマーク出版)でも述べられている。
書物というメディアは、スローなメディアだと思う。ちゃんと読むのには当然それなりの時間がかかる。ニュースは速報性がある一方、書物は一つの出来事について書かれている場合でも、リアルタイムではなく、時間軸が過去まで遡って考察されている。それを踏まえて未来の展望が予測されていることもよくある。社会問題や世界の出来事を含め、じっくりと考えて理解するには最適なゆっくりとしたメディアだ。それに冷静になって理性的に向き合える。
その上で、私は単行本に比べて分量が決まっており、薄い版型の「新書」をニュースの代わりとしたらよいのではないかと考える。
理由は四つある。
一、一冊を読み終えるのに時間がかかり過ぎることがないことから、基本的な理解の入口に適している。
二、学術的な論証と考察がしっかりなされた十分に中身のある内容ながら、一冊一冊を気軽に着るように(移動しながらでも、気分的にも)読める。
三、コンパクトサイズであり、購入する場合でも、千円ほどで購入できる。
四、新書はニュースのテーマを題材とした内容があることや世界の理解をテーマに組み立てられている。
また、気になるテーマや気になるトピックの新書があり、楽しめた上、それに飽き足ることがなかったら、同じテーマのより深く書かれた類書を探すことができる。
その場合は、図書館で貸し出すのもありだ。
書籍代がかさばるのが気になる場合は、始めから図書館の貸し出しで完結することもできる。
知の巨人といわれる、立花隆さんは、『ぼくらの頭脳の鍛え方』(文春新書)で次のように語っている。
読者にお勧めなのは、巨大書店の書棚をすべて隅から隅まで見て回ることです。すべてを見るのが大変なら、文庫と新書コーナーだけでもいい。現代社会の知の全体像が大ざっぱでもつかめると思います。アマゾンもいいけど、書店の棚にはやはり全体像がある。僕は今でも週に何度か気に入った書店に行きますよ。思わぬ本との出会いがあるから。
立花隆さんは巨大書店の書棚をすべて隅から隅まで見て回ることを勧めている。
大いに参考になるアドバイスだ。
巨大書店が自分の住む地域になければ、図書館の棚を同じように見て回るのもありだと思う。この場合は、自分の住む地域の図書館なら、すぐに貸し出しができ、その日のうちに読むこともできる。
本をいつも買える余裕のある人ばかりではないし、まずは図書館で貸し出すことを優先したい人もいるだろうから、そこは個人の判断と好みによる。
私の場合は、図書館と書店の併用派だ。
私が気に入っている新書が、大野和基さんが世界的な識者にインタビューして編まれた「世界の知性シリーズ」である。
これまで、哲学界のロックスターと呼ばれた哲学者のマルクスガブリエル氏や先述したワイアード創刊編集長のケヴィン・ケリー氏へインタビューした回も含まれる。ガブリエル氏へのインタビュー本は複数あるはずだ。
世界的な知識人のアイデアを新書一冊で拝聴できるこのシリーズを私は好んで読んでいる。
新書はニュースのように毎日目にすることはないので、忙しくても、一人の静かな時間を確保できるという意味で、むしろよいのではないだろうか。
自然をニュースの代わりとする
ニュースは世界や自分の住む国で起きた出来事を報じる。
だとしたら、そうしたニュースの代わりに自分が住む地域の身近な自然の風景を今まで以上に積極的に観察するのはどうだろう。
例えば、通勤や通学のルートに目を向けてみたらどうだろう。
実は私がNoteにアップしたタンポポの写真は、自宅から駅までの道の途中に咲いていたところを撮った一枚である。
都会に住んでいても意識して目を向ければ、思わぬところに偶然自然が見つかることがある。
近くに公園があれば、その公園が小さい面積の場合でも、樹々や花、昆虫など、ちょっとした自然を見つけることができないだろうか。
空に目を向ければ、晴れていたら壮大な雲の景色を眺めることができる。最近は晴れていることがよくあるので、私は天空の城ラピュタの一シーンを彷彿とさせるような壮大な雲のある青空の景色をみることができた。
夕焼けや満月を誰かと一緒に見に行くのもいい。
植物を育てているのなら、その植物の成長が立派なニュースである。
野鳥の鳴き声や姿に耳を澄ませてみるのもいい。
とにかく、遠くにわざわざ行かなくとも、身近なところに心が澄むような自然を探すことができる。それを続ければ、いつの間にか心がときめく自然に出会える。
朝ドラにもなった、著名な植物学者、牧野富太郎さんの晩年のエピソード。牧野先生は、牧野邸の庭園の植物を丸二日その場を動かないでじっくり観察していたことがあったのだという。そのときの牧野先生は、ニュースよりも愛する植物のほうが大事だったのは間違えがない。
科学上の発見をニュースの代わりにする
毎日報道される夥しい数のニュースの中で、100年後、200年後も残るようなニュースを考えたら、やはり自然科学の発見のニュースだろうか。
芸能ニュースや不祥事のニュースは報道されることはあっても、100年後の人々の記憶にはほとんど残らないと言える。
そんなことよりも、科学上の発見のニュースになぜ惹きつけられるかと言えば、単純にそれがワクワク・ウキウキしたり、人を元気にさせることにあるのではないだろうか。
想像を絶するひたむきな努力の末、成し遂げるに至ったそうした発見のニュースは人々や社会を沸き立たせ、勇気づける。
もっとも、そうした科学上の発見は、ニュースでも報じられることがほとんどだ。
だから、ニュースはニュースでも、自分の興味のある、自分を元気にさせてくれるニュースを積極的に選んで読むのがいい。
私の場合は、それは芸能ニュースや社会のニュースではない。
ニュースを完全に断つのは、現実的ではない場合も当然あるだろう。
科学上の発見をニュースではないかたちで読みたいなら、日経サイエンス誌や新書の講談社ブルーバックスもいい。
地域の話題やイベントをニュースの代わりにする
テレビで報道されるニュースは国内単位やグローバル規模の出来事が単位だ。
だからこそ、自分の住む地域の身近な話題やイベントを知ることがもっと優先されてもいいかもしれない。
現代は、地域のコミュニティや地域のネットワークがひと昔前よりも希薄になっていると言われているのは周知のとおりである。
一方で、私たちが日々の生活で拠点とすることが多いのは、自分の住む地域が中心だという場合も少なくないのではないだろうか。
グローバル化が進んでいるとはいえ、やはりまだ遠方に出かけるのは特別な場合で、何か生活に必要なことやイベントがある場合は、地域の存在を強く感じることはいまだあるのだと思う。
少なくとも、私自身はそうだ。
また、地域には、郷土の歴史や文化を深掘りできる資料館やミュージアムがある場合もある。そこに足を運べば、新しい予想外な発見があるかもしれない。
歴史や文化に限らず、自分の住む地域をより暮らしやすいところにするにはどうすればいいのか、観察して考えて行動することもできるかもしれない。
でも、これは人様にではなく、私自身へ向けたアドバイスだ。
天文現象をニュースの代わりにする
これは半分はジョーク。半分は本気だ。
私は子どもの頃、銀河系(天の川銀河)の姿をこの目で見たくて仕方がなかった。
もしかしたら、子どもにとっては、ネットやテレビで目に入るニュースのほとんどよりも、家族や友人と見に行く星空の方がよほど素晴らしい思い出になるのだろうと思う。
それは大人でも変わらないかもしれない。
時々星空を見上げ、星や月を愛でる静かな時間を持ちたいものだ。
天体や満天の星空の写真を眺めるのもいい。
少なくとも、自分のいる世界を時々宇宙軸にしてみたい。
天文学者はベテルギウスの超新星爆発を本気で憂慮しているのかもしれない。中性子星のロケット効果や隕石衝突もそうだ。
だけれど、そうした天文現象は、社会のニュースよりも、全く重要でないと本当に言えるだろうか。
歴史の学習をニュースの代わりにする
日々報道される世界のニュースや政治・経済のニュースは、その背景が掴めていなければ、理解が一段と難しいと言える。
だからこそ、私たちは歴史を学ぶことに意義を見出すのだろう。
大量のニュースを浴びるとそれらの情報の断片のなかで溺れてしまうことになる。なぜ、どうして、どのようにその出来事が起きたのかが時間軸の退行や俯瞰がなければ、つまり歴史的な視点がなければわからないからである。
世界の様々な出来事を報じるニュースは、歴史を学んだだけでは理解しきれない可能性はある。だが、歴史的な視点や背景知識は現代世界の諸問題に対する理解の手段の一つとして強力な道具となることは十分に考えられる。
たとえそれが複雑な現代世界を紐解くうえで一つの切り口に過ぎないとしても、重要な切り口であることに変わりはない。
自分が本当に興味のある少数のニュース以外はニュースを制限し、その選んだニュースを題材にして歴史を学んでみたら違った風景が拓けるかもしれない。
おわりに
今回の記事では、ニュースを摂取するという習慣の代わりとなるものを考えました。断っておきますが、社会問題や国内の出来事を完全に無視していいと言っているわけでは決してないです。私自身はこの記事の読者と同じように社会問題や福祉にも関心があります。
けど、そうした社会のニュースはいつも見ていたら疲れてしまいます。体がもちません。
社会や世界と関わらずに生きていける人なんていないでしょう。
だからこそ、日々のニュースとのかかわり方を見直し、もうちょっと自分独自のスタンスや趣味、好奇心をもとに世界を眺めることができると思います。そのほうが持続可能な愉しい人生がおくれる一助になると考えます。
ちなみに新聞を読む習慣は自分にはないですが、私自身は新聞を読むことを肯定的に捉えています。
天気予報だけ見れば、知りたいニュースは全部わかる。
━━ ポール・サイモン(歌手)
追記「スロー・ライフとNews Dietの可能性」
スローダウンの時代には、毎日報じられる情報をただ呑み込み、浴びるのではなく、日々の生活をいかに豊かにするかという視点で世界の動向に向き合う必要があると考える。
かつて老子という伝説的賢者がいた。老子は謎に包まれた人物だ。
老子は、社会を外から(宇宙的観点から)見ていた。だからこそ、「老子道徳経」のような書物を書き残し、衰退する世界から身を隠し、隠遁して消えた。
世界や私たちを取り巻く環境は私たち一人ひとりにはコントロールが不能である。
世界がどこに向かうのか、完全にわかっている人間はいないし、方向性を管理することもできない。
しかしだからといって、世界や社会から隠遁して生きることはむろん現実的ではない。
老子のように社会を外から見ながら、社会のスピードに呑まれずにその一方で世界に好奇心を持ち、「知的生活」を大事にして自分の人生を生きるにはどうすればよいか。
その方法の一つが、News Dietであり、今回の記事で書いたことである。
「物事が変化しなくなると人々は賢くなる」と『Slowdown 減速する素晴らしき世界』(東洋経済新報社)の著者、ダニー・ドーリングはいう。
News Dietの提案も、その文脈で捉えられるのであり、減速する世界における賢智圏への一歩なのだろう。
News Dietの意義とは、つまるところ「社会のスピードに対して自分の内側の速度をもって対峙すること」だと考えられる。それがスロー・ライフへの道へもつながっている。
ニュースの代わりにできる新書5選
ニュースを紐解く助けになる世界史教科書
参考図書