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依存の芽

私はお酒は実を言うと強いほうだけれど、一昨年消化器系の進行がんの手術したのに加え、自身が依存に陥りやすい性分ではないかと自覚しているため飲まないようにしています。
また齢を重ねることで価値観が変わったというのも大きいかも知れません(かつてはそこそこお酒に強い自分、旅先で様々な種類の地酒を飲む自分がかっこいいみたいな感じでした)。

こと依存症に関してはかなり警戒しているわけですが、思えば何かの集まりでお酒をたくさん飲んだからといって、翌日以降も余韻に浸りまだお酒を求めるといったことは一度もありませんでした。
依存に陥りやすい性分であることは確かなものの、お酒ではスイッチが入らなかった‥‥そんな感じです。
おそらく飲もうと思えば飲めるけれど、そこまで好きではないのでしょう。

話は幼い頃に遡ります。
昔のアルバムを開くとまだベビーカーに乗った1歳にも満たない私が、手に大きなスプーンを手にした姿が写っています。
24時間365日(続いたとしても2年ほどかと思われますが)片時もこのスプーンを離さなかったそうです。
そして幼稚園に入るまでに、双子の赤ちゃんの人形や、ペコちゃん人形、おもちゃの指輪へと依存対象を変えながらもこれらを片時も離さない日々が続きます。
両親は幼稚園に入園するまでに、こういった癖が治ることを願いながらも、取り上げるとパニックになるのでどうにもならず苦労したかと思います。
双子の赤ちゃんの人形を駅のホームから線路に落としたときは、パニックになる私を前に、たまたまそのとき一緒にいた母方の叔父が線路に降りて取ってくれ危機一髪でした(ここまでしてくれていた叔父なのに、よくこの叔父の顔だけを見ては泣いていたそうです。我ながら失礼なやつだったな)。
最後の依存対象であったおもちゃの指輪のときは、幼稚園に入園する直前でどうにかしたい父が寝ている間に私の手から離したそうです。
が、朝起きると私はパニックになり、探し回る中であわや寝ている姉の真横に化粧箪笥を誤って倒したのです。
父に強く叱られ、隠した経緯を子どもに分かるように説明してくれ、それ以来、ものに執着することは一見してはなくなりました。
と、言いたいところですが、今でもあるはずのものを部屋で紛失すると、友達から貰ったメッセージカード1枚であったとしても、部屋は探し回った形跡で荒れに荒れ無惨なこととなります。

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