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忘れてしまいそうな、このタイミングに。【ヒロシマ】

中学生までは、平和学習が盛んに行われていた。
特に私の中学校は、人権問題の学習が特に多い中学校だった。高校に入って、その授業が一気になくなって、びっくりしたほどに。

中学校では、戦争についての学習、沖縄戦についてもめっちゃ勉強したし、拉致問題、在日韓国人の話、部落差別の水平社の話、もちろんいじめの学習もした。在日韓国人の問題と水平社については実際に話を聞きに行ったな。

でも大学生になって、自らニュースを見ないとそのような情報が入ってこなくなった。
それが寂しいと思いつつ、ニュースをさらっと見ることしかできない自分に、嫌気が差した。

そんな中、友達と広島旅行に行く計画を立てた。
そのときは原爆ドームに行こうとか、考えてもなかった。
いざ広島に足を踏み入れたとき、あ、近いんだなとふと思った。
私たちは予定を変更して、原爆ドームを見に行った。

息を呑んだ。
こんなにも、ぼろぼろだったっけ、
こんなにも、瓦礫落ちてたっけ、
こんなにも、中身ってすかすかだったっけ。

私が前にみたのは、小学校6年生のとき。
こんなんだったっけ。
友達の友達が、大人になってからの方が怖いって言ってた。本当にそうだと思った。

補強のために内部に付けられたパイプの存在に、悲しくなったり寂しくなったり。
来世まで残すために、戦争の悲惨さを伝えるために、必要なことだ。ありがとう、補強してくれて。
でもそれをしないと、来世まで伝わらないことに、悲しさ寂しさを感じた。
地震などに負けるのが、悔しいと思った。

平和の灯も見て、平和記念資料館も入った。200円という激安な値段に驚いた。みんな行くべきだよほんとに。
平和記念資料館。小学生の集合写真。
当時小学校6年生だった私は、「私と一緒ぐらいやん、、、🥺」という感情で、胸が苦しかった。
20歳の私は、「集合写真の先生、笑ってる、、、
どんな気持ちで被爆したんだろう、どんな気持ちで生徒のみんなを守ろうとしたんだろう、どんな気持ちで戦時中生徒のことを思ったんだろう、どんな気持ちで、、、」という思考回路。
たったの8年、されど8年。
見る立場ってこんなにも違うものなんだな。

でも変わらず、やっぱり怖すぎて見れないものがあった。あの頃から何も変わってない私。20歳になってもまだ見れないのか。悔しい。目を背けたくない。いつか見れるようになるのかな、この現実をきちんと受け止めなきゃ。
生きてるって、やっぱりすごいな。
ヒロシマ、行けてよかった。とても大切な旅になった。ありがとう。
今この瞬間も、未来も過去も、大切にしようと思った。

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