三洋電機が消滅してから14年目。
【2003文字】
見出し画像:「日経ビジネス 売られた三洋電機 グローバルと地域密着で見つけたそれぞれの活路」より引用
三洋電機が消滅し14年目
手軽な値段で購入でき、品質もそこそこ信頼できた三洋電機。
会社が消滅してからもう14年目になる。
松下電気から枝分かれし誕生した三洋電機
1917年、松下幸之助氏と義理の弟(妻の弟)である井植歳男氏、松下幸之助氏の奥様の3人で、有名な電球用ソケットを作った。
1918年に松下電気器具製作所を創立。
松下電気の創業にも関わり、同社専務取締役でもあった井植氏。
1946年、戦後まもなく松下電気はGHQから軍事産業とみなされ、制限会社(財閥解体)の指定を受けた。
1947年、井植氏も松下電気から公職追放された。
松下電工以外の一部事業を再統合し三洋電機として独立し再出発した。
パナの「三洋」子会社化と「三洋電機」消滅
その後、松下電気と、三洋電機は別々の道を歩むことになる。
2000年代に入ってから三洋電機の業務不振により順調だった三洋電機の風向きが変わる。
2011年に、三洋電機はパナソニック(松下電気)の完全子会社となり、その後数年を経て国内から三洋電機電気ブランドは消滅することになる。
アジア圏の海外ではPanasonic(松下電気)よりSANYOの方がネームバリューがあり、しばらくはPanasonicに切り替えずSANYOの名前を利用し続けた。
たらればだが、元々枝分かれし別々の歩みを進めたが、三洋電機も倒産したり、別の会社の子会社になるよりパナソニック(松下電気)の子会社になる方がよかったのだろうか。
松下電器が源流である三洋電機は当初(三洋電機製作所時代)、三洋電機で生産したものを松下電器の販路で販売したためナショナルのロゴをそのまま使用していた。
後の三洋電機株式会社設立時に制定したサンヨーのロゴはNマークの中身に類似しており、同一ではないが文字もナショ文字を意識したフォントを利用した。
アイデアの三洋電機
私が初めて購入したドラム式洗濯機が三洋電機の「AQUA」ブランドの洗濯機だった。
「AQUA」の他社との大きな違いはプラズマクラスターやナノイーなど、エビデンスがはっきりとしないイオン系ではなく、抗酸化作用が高く、消臭効果、除菌効果に一定のエビデンスのあるオゾンを利用した除菌消臭技術だろう。
水で洗えないものは、ドラム内にオゾンを充満させ消臭・除菌をする。
風呂水を利用する場合やすすぎで利用する水にはオゾンを添加し、オゾン水とする事で、風呂水自体を除菌したり、オゾン水にする事ですずきの効果をあげ、全体的な洗濯効率を上げた。
消滅に向かっていく三洋電機
そんなアイデアの三洋電機を子会社化したパナソニックは、自社と競合する事業の売却を開始した。
主に中国ハイアールへ冷蔵庫部門、洗濯機部門を売却した。
その後も回路基盤事業撤退、北米テレビ事業も売却、本社ビルも売却され、リストラも進められた。
10万人程いた三洋電機社員は、最終的に9000人がパナソニックに残り、そのほとんどが職場を去っていった。
ハイアールへ売却後の三洋電機事業部門
ハイアールへ売却された三洋電機の事業部門は子会社化され、三洋アクア株式会社になった。と、思ったらハイアールアクアセールス株式会社になり、その後ハイアールアジアセールス株式会社になった。さらに紆余曲折を経て、ハイアールアジア株式会社になったが、現在はアクア株式会社になっている。
三洋電機時代のAQUAブランドを知っている身からすると、「AQUAと言えば洗濯機!」だが、やはり初めからブランドを育てていった人達の思い入れと、事業部をそのまま買い取り特にこだわりなく知られた名前だからと知名度目的の利用では、そのあたりはあまりこだわりは無いらしい。
名前をつけるということ
三洋電機の三洋は太平洋、大西洋、インド洋の三つの海を意識し、はじめから日本国内に留まらず世界を目指した名前だった。
子供につける名前をつける時、将来こうなって欲しいと願いを込めて名前をつける。
同じ様に会社の名前を決めた時も、こういう会社になってほしいという願いのもと、名前をつけたに違いない。
三洋電機として、世界に飛び出し夢は叶えたけど、最後は枝分かれした兄弟とも言えるパナソニックに解体され消滅した。
AQUAも、三洋電機のこだわりが詰まった洗濯機のブランドだった。
AQUAの名前にどういう思いを込めたか。
その名前を製品に名付けるためどの様な製品をつくろうとしたか。
製品化後、AQUAというブランド名を冠する製品がどういうもので、その製品の何が愛されたのか、そういう事を理解しないまま適当に洗濯機のブランドを社名にした。
当時さまざまな企業と切磋琢磨し特色ある製品作りをする為、汗を流してきた技術者を思うとどういう気持ちだろうと、さみしく思う。