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東電福島第1原発事故からようやく燃料デブリ取り出しが始まったというが,いつになったらその工事の終了が保証できるのか,誰にも確言できないのが「《悪魔の火》の後始末」の運命的な悲劇模様

 ※-1「〈新たな段階へ〉 東電 福島第1原発 初のデブリ試験的取り出し 完了」『NHK NEWS WEB』2024年11月7日 20時45分,https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241107/k10014631231000.html

 このNHKの記事,東電福島第1原発事故における「デブリ取り出し」がようやく「試験的」に「完了」した,といったふうに一見奇妙な見出しをかかげていた。

 2011年の「3・11=東日本大震災」が発生した直後に惹起した原子力発電所(圧力容器と格納容器)の溶融事故発生,という「原発事故としては最大級規模の過酷な,すなわち重大かつ深刻な事件」にかかわらせて指摘するとしたら,このNHKのニュース「燃料デブリ取り出しに関する報道」は,ある意味で実に,奇妙かつ奇怪な記事の書き方,ならびに表現をとらざるをえない体裁になっていた。

 ここで参照しているNHKの記事は,「デブリ取り出し」という東電福島第1原発事故現場における後始末問題に関した出来事となれば,なんとかその第1歩にたどりついたに過ぎなかった,人間の身体にたとえていえば,頭髪の1本の先端を指先(爪先)でつかめたという程度のその作業の成果を,もちろん,他社・他紙の報道においても同様な論調が観取されたが,いかにも大成功であるかのように伝えていた。

 そのNHKの記事はこの段落でもリンク先住所,https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241107/k10014631231000.html だけはもう一度,ここでもかかげておくので,ぜひ目を通してほしい内容である。非常にくわしくこれまでの経緯と今後の課題などを,素人であるわれわれ向けにわかりやすく説明している。
 
 むろん,大手紙による各報道もそれぞれに詳細な関連する記事を書いていたが,とりあえずこのNHKの解説記事的な報道それじたいは,とてもよい内容になっていた。

 それはともかく,東電福島第1原発事故現場からの「デブリ取り出し」作業は,原子力核工学の専門家にいわしめれば,いまさらそのような廃炉作業の方法は採らないでおき,チェルノブイリ原発事故現場のように石棺化を建造したほうがいい,というか「そうせざるをえない」という結論になっていた。

 要は,東電福島第1原発事故現場の場合も,事後の対策としては「次善たりうる最良の選択」として,いいかえればその「相場的な意見」は,石棺化という方法を選択せざるをえない,という結論にならざるをえなかった。

2051年までにデブリ取り出し作業が終えられる保証はない
という判断がもっとも妥当である

 ところが,東電福島第1原発事故現場の場合,石棺化などとんでもないというのが,現地住民たちの強い意向・気持ちであった事実を尊重し,東電側などは,ともかく3基もの原発が事故を起こしてしまったその廃墟・残骸のなかに溜まっている,溶融したデブリを「取り出す」という廃炉工程のための工事を,換言するなら,原発の大事故を起こして実質,完全に壊れてしまった内部からそのデブリを除去するという難工事を開始しだした。

 とはいっても,現段階におけるその実質的な意味は,ほんのわずかでしかなく,いわば指先1本(の第1関節)がかけられた程度での,だから,いまのところはせいぜい象徴的な程度で進捗でしかありえかった。なんとかその第1歩になりえたとみなせる作業であったものの,なんとかその工事に着手はできた,といえる段階にたどりつけたに過ぎない。

 しかし,この先の見通し,つまりいったいあと何十何年経ったら,原子炉本体の圧力容器が炉心溶融(メルトダウン)を来してしまい,その直後には原子炉の下部・底面をさらに溶融させてしまい,これが格納容器にまで落下する事態を来していたのだから,これは貫通溶融(メルトスルー)とでも表現したらよい事態にまで至っていた「原発事故の後始末」の問題としてなのだが,「廃炉工程」の日程管理全体が終了しうる時期がいつになるのか,まだ全然見通せないでいる。

 前段の説明は,東電福島第1原発事故の事例については,つぎのように解説されていた。これは2011年5月25日に「更新」されていた説明である。

              メルトスルー
             英語:melt-through

 原子炉内で,炉心の核燃料が熱により溶融する「メルトダウン」を起こしたあと,溶融して原子炉の底部に落下した核燃料が,高熱で原子炉を破損し,炉外に漏出すること。

 メルトスルーは,多くの場合,原子炉圧力容器を破壊して原子炉格納容器に達することを指す。原子炉格納容器も破損して完全に炉外に露出した状態は「メルトアウト」と呼ばれることがある。

 映画『チャイナシンドローム』では,核燃料がメルトスルーし,さらに炉外に落下した核燃料が施設の基礎となっているコンクリートも熱で突き破り,地中深くに落下していく。これをチャイナシンドロームと呼んだ。

 2011年3月に発生した東京電力福島第1発電所では,事故発生当初はメルトダウンの起きた可能性が否定されていたが,5月に入るとメルトダウンが発生したことを東京電力側が認め,話題となった。また,5月24日にはメルトスルーが発生している可能性についても認める発言をしている。

 註記)「メルトスルー」『weblio辞書』https://www.weblio.jp/content/メルトスルー

「メルトスルー」『weblio辞書』

 このメルトスルースルーの用語解説のなかに出ていたチャイナシンドロームとは,たとえば『朝日新聞』がつぎのように,その想像図一例が描き,説明していたので,これを紹介しておきたい。

これは公式見解としての説明
これは前の図解の別様の一例示
これはチャイナシンドロームが全基で起きていたら
と仮定した図解


 ※-2 デブリ取り出し作業,その廃炉工程としての現場管理は,これからいつごろまで時間がかかるのか? だれにも予測できない難関問題

 本日,2024年11月8日の朝刊2紙,『毎日新聞』と『日本経済新聞』は東電福島第1原発事故においてようやく何グラムかのデブリがつかみとれたといった「大ニュース」を報道していたが,さて今後に向けての課題として,いったいどのくらいに長期間になるのか,簡単に廃炉工程などと呼ぶわけにはいかない「後始末のための作業管理」は,人間1人ひとりの壽命など追いつけないほど長延な期間を要求する。

 その『毎日新聞』と『日本経済新聞』がそれぞれ本日の朝刊に報道していた,東電福島第1原発事故現場の「デブリ取り出し」に関した記事を紹介することにしたい。

 ここではその前に,つぎのごとき関連する識者の意見を聞いておきたい。これは,2011年「3・11」発生直後に書かれていた文章である。

 インターネットのユーチューブ動画サイトで『デモクラシータイムス』の主催者の1人である鈴木 耕が,「38. もし,原発が… 」『時々お散歩日記』2011年3月16日,https://www.magazine9.jp/osanpo/110316/ というブログを書いていた。「3・11」が起きてから5日後に公表されていた文章である。

 補注)【人物紹介】 鈴木 耕は1945年,秋田県生まれ,早稲田大学文学部文芸科卒業後,集英社に入社。『月刊明星』『月刊PLAYBOY』編集部を経て,『週刊プレイボーイ』,集英社文庫,『イミダス』などの編集長を務める。1999年,集英社新書創刊編集長となり,のちに新書編集部部長,2006年に退社。フリー編集者・ライターとなる。

人物紹介

 鈴木 耕の人物を紹介したところで,つぎの引用をすることにしたい。

 それ以降も,僕らの週刊誌は「原発問題」を書き続けたが,電力会社も原子力行政機関も無視を決めこんだ。相手にしなければ,批判もそのうち消えるだろう,と思ったのか。僕らが放った批判の飛礫は,闇に中に吸いこまれるばかりだった。

 「どんなに激しい揺れにも耐えられる設計になっている」
 「活断層はきちんと把握し,それを避けて立地している」
 「強固な岩盤を選んで建設している」
 「多重防護の思想が貫徹されている日本の原発に,              “ もしも” という仮定は必要ない」〔のだから〕
 「メルトダウンなどありえない」

 だいたいが,こんな回答。どんなに批判しても,まともに答えてもらったことはない。やっと入手した資料は,黒々と肝心なデータ部分が墨塗りされていたりした。

 あってはならないことだけれど,たった1回の強烈な地震が襲えば,それらの「答え」は吹っ飛ぶ。そうなるまで,僕らがどんなに批判しても,電力会社も行政も聞く耳をもたないのか。僕は無力感の中で,そう思っていた。そうならないことを願いつつ。

 そして,その悲劇的な「答え」が,ついに示された。

 「応力腐食割れ」だの「緊急停止装置」,「非常用炉心冷却装置=ECCS」,「耐震設計指針」,「炉心溶融=メルトダウン」,「MOX燃料」,「プルサーマル発電」などなど,僕もさまざまな言葉を覚えた。

 それらの言葉がまるで安全を保証するかのように,学者や電力会社の人たちの口からこぼれる。反対をしていた人たちも,言葉の魔力に魅せられたように,難解な言葉の前に沈黙していく。

 「ほんとうに安全だといい張るなら,もっとも電気を使用する東京に原発を造ればいいじゃないか」

 広瀬 隆さんは,唇をかみしめながらそう訴えた。

  〈東京に原発を〉

 反原発運動のスローガンのように,この言葉は受け止められた。そして,チェルノブイリ原発事故を背景に,日本の反原発運動は高揚した。だが,やはり電力会社も原子力行政組織も,耳を傾けなかった。

 もしあのとき,原発を止めておくことができていたなら…。 “もし” が虚しいとしってはいても,そう思わずにはいられない。

メルトダウンは起きてしまったではないか

 だから,そのせいでいまのわれわれは,東電福島第1原発事故現場のあの見苦しくも悲しい「廃炉工程」のことを,絶対に「キレイゴト」のようには語れない。結局のところ,「原発を利用した因果がめぐり,その超巨大なツケまわし」が,まるでクビキのように架せられ,毎日の生活をしていくほかないハメにされた被災者を大勢出したではないか。

 東電が福島第1原発事故現場において取り組んでいる,各種の雑多な後始末作業を介してだったが,そのなかで時折みせつけるかのような一種の「ダラダラ感」は,けっして他者が勝手に抱く印象ではありえなかった。

 反原発論者の第1人者であった高木仁三郎にいわせれば「消えない火」,本ブログ筆者流にいうところの「悪魔の火」の,その残り火との格闘を強いられている「東電やその下請け作業員たち」は,いつになったらその終期が来るのかいった類いの予想を,実際にはいっさい期待できないで「事故現場での作業」の反復を強いられている。

 そうであるからには,徒労にも似た労働が連続するばかりであった,原発事故「現場での各種の労働」に従事する人たちのなかでは,嫌気が差していないのかと懸念する。

 高木仁三郎のいった「消えない火」の本体・核心は,放射能を出しつづける放射性物質のことを意味した。そして,それが「悪魔の火」たるゆえんは,人間がそれといくら戦ったところで勝ち目はないという1点に帰着していた。

 以上のような問題意識をもって,本日の『毎日新聞』と『日本経済新聞』朝刊にいくつか掲載されていた記事,東電福島第1原発事故現場において「いよいよデブリ取り出し作業が始まった」というその報道内容をめぐては,けっしてなにかの勘違いしてはならず,ましてやそれに期待をかけたりすることじたい見当違いがであった。

 そうした事実をあらためて考えるための材料として,以下にそれらの記事を画像資料にして紹介する。活字を拾いながらいちいち紹介すると,字数がやたら増えてしまうので,以下における本日の記述分については,ともかく「画像を借りた記事紹介の形式」で代えてみたい。

 1)『毎日新聞』2024年11月8日朝刊1面の紹介。今回の2号機からのデブリ取り出し作業に関しては,1号機,3号機のほうはあとまわしにされた理由も書かれている点に,とくに注意しておきたい。(なお,以下で活字の写りが小さいものは「クリックすればある程度大きく」できる)

1号機2号機3号機の全機がデブリ取り出し作業を完了しえる日は
いつごろになりうるのかは

そもそも具体的に区切って予想することじたいが不可能である

 2)『日本経済新聞』2024年11月8日朝刊1面の紹介。

ごく微少なデブリをこれから精査してうえで
今後の本格的な取り出しに備えるというのは

いわば悠長な話であって2051年までにその取り出しを終わらせられる
保証はいまからすでに「はかない期待」でしかありえない

ちなみに1円のアルミ硬貨の重さが1グラムである

 3) 2)の日経記事に添えられていた画像を,より拡大したものをみられる記事を紹介する。

ここに写っているデブリの重量は3ミリグラム以下であった

 3) 『毎日新聞』2024年11月8日朝刊19面「総合社会」の記事紹介。

40年〔で〕完了という年数の計算は
2011年の「3・11」から数えたのものだった

はたして「2011年プラス40年」の2051年に
「デブリ取り出し」が完了できるのか?

 4)『日本経済新聞』2024年11月8日朝刊3面「用語解説」コラム。

デブリ取り出し作業の図解

「〈デブリ取り出しに成功〉といわれてもね?」
という感想をもつ

スリーマイル島原発事故もチェルノブイリ原発事故も
直接の参考にはなりにくい後始末であった

参考になりうるとしたら後者の石棺化方式であった


 5)『日本経済新聞』2024年11月8日朝刊5面「経済・政策」の記事。

                 「51年とは2051年のこと」であるが
                「3年遅れ」の点はどのように解釈されるべきか?

                最後に「全体計画を示さずにゴールだけを示すのは
                 間違い
ではないか」と指摘されている


 ※-3 結 論 -東電福島第1原発事故現場の廃炉工程,事故処理過程があと何十何年かかるが皆目わからないのが正直な見通し-

  つぎの記述は,何日か前にすでに引用したことのある論稿から借りる見解である。核心を突いた問題指摘があったゆえ,本日も再度,参照してみることにした。その全文についてはリンク先住所を参照されることを希望したい。

 この,竹内敬二「 No.121 福島原発事故の処理,廃炉は何年かかる? 40年前の米TMI事故炉の廃炉も未着手」『京都大学大学院 経済学研究科 再生可能エネルギー経済学講座』2019年4月4日,https://www.econ.kyoto-u.ac.jp/renewable_energy/stage2/contents/column0121.html からは,

 以下にように,抜き出した〈小見出しの文言〉を取りだして並べておく。この諸項目を観ただけでも,東電福島第1原発事故現場における廃炉工程の問題が,将来にかけて相当な長期間を要することは,たやすく推測できる。

  スリーマイル島原発,燃料を一部残し,廃炉未着手
  チェルノブイリ,処理は「100年事業」
  福島,汚染水が難題。「30~40年で完了」は疑問
  事故炉でなくても「100年事業」,英国の原子力施設

竹内論稿の小見出し

 東電福島第1原発事故現場における「廃炉工程」問題への取組み模様は,それも現段階でいえる点は,その工程全体が完了にまで至れる時期が,いつごろなりそうかについて,いまのところ「とてもではないが予測不能である」ということだけである。

 その点はまた,その「予測不能である」期間に関しての話となれば,今後においてはたして,どのくらい長くかかっていくかについてからして,「ほとんど分かりえない」という意味での「その推測不能」という表現にもなっていた。

 広瀬 隆が語っていったように,原子力村におけるかつての公式見解は,仮にでも「原発は安全・安価・安心である発電方式」であったとしたら,なにゆえ,東京都のど真ん中に原発を配置しなかったのか?

 過疎地を狙うかたちで,原発がつぎつぎ立地してきた事情を顧みるまでもなく,原子力村の「長」は「原発というものの危険性」を,先刻よくよく承知であったとみなすほかなかった。だから,その「罪と罰」の深刻度は,非常なまでに重かつ大であった。

---------【参考文献の紹介:アマゾン通販】---------

 この本『原子炉時限爆弾』はダイヤモンド社から2010年8月に発行されていた。「3・11」の8カ月前であったから,まさに東電福島第1原発事故の発生を予告したというか,予知したことになる。


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