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明治⇒大正⇒昭和⇒平成⇒令和と元号を重ねてきた日本国天皇制は21世紀「第2四半期」以降をどのように生きのびていくつもりか

 ※-1 Eizo Nishio『天皇制と現代日本社会:なぜ日本は衰退に向かうのか』2024年9月

 a) 最近,アマゾン通販の枠組の上に足場を組んだかっこうで出版された本,Eizo Nishio『天皇制と現代日本社会:なぜ日本は衰退に向かうのか』2024年9月14日(A5版・横組み,ソフトカバー)を購入し読んでみた。

 この本の全体頁数は,奥付までで86頁という分量であるから,これじたいは,ずいぶん少な目の記述量で,単行本を制作し,発売したことになる。

 ところで,この本の発行元は奥付に明記されておらず,ただアマゾンを発行元にしており,ともかく,この通販に載せて発売されたかたちを採っていた。

 通常の本であれば奥付に相当する最後の頁が,この本の場合,つぎの画像資料のように表記されていた。通常ならば表記されている事項が,こちらにおいては書かれていなかった。
 
 ただし,ISBNはきちんと記入されている。 International Standard Book Number の略称がISBNであるが,これは,図書および資料の識別用に設けられた国際規格コードの一種であり,アラビア数字で表わされている。日本における漢訳名は「国際標準図書番号」と呼ぶ。

Eizo Nishio『天皇制と現代日本社会:なぜ日本は衰退に向かうのか』86頁

 b) 本日,2024年9月28日朝の時点でのぞいてみた,アマゾン通販における本書に関した「ブックレビュー」は,9件の評価が寄せられており,その平均点は「5つ星のうち 4.8」である。

 この Eizo Nishio『天皇制と現代日本社会:なぜ日本は衰退に向かうのか』の表紙カバーの裏面には,つぎのようにこの本の内容が紹介されていた。

Eizo Nishio『天皇制と現代日本社会:なぜ日本は衰退に向かうのか』
表紙カバーの裏面

 この表紙カバーの裏面側に書かれている文章からは,つぎの段落の文句を拾いあげ,抜き書きしておく

 イ) 根本的に矛盾した,天皇制と民主主義の間で,人はどのように反応するのか。その結果,民主主義と国力が衰退していくプロセス。

 ロ) 象徴天皇制の真の意味とは何か? 叙勲や内閣任命式で天皇の放つ画像メッセージが民主主義を傷つけてゆく皮肉な現実。 叙勲,国事行為に隠された現実的な意味とは何か。

 ハ) 全ての責任を回避して生き延びてきた天皇制の歴史と,戦後も持ち続けるその本質の及ぼす民主主義への悪影響。

 ニ) 宮内庁はなぜ改革が必要なのか。 選択の余地のない民主主義への道。

抜き書き

 そして本書の目次は,こういう編成になっている。

   第1章 天皇制と現代日本社会 
   第2章 第1章の追加テキスト:天皇制と世間について 
   第3章 象徴天皇制の意味。国事行為と規模の問題について 
   第4章 天皇制と民主主義:矛盾のプロセス 
   第5章 叙勲,国事行為の儀式に隠された現実的な意味とは 
   第6章 急務な宮内庁改革の必要性 
   第7章 なぜ民主主義なのか:後戻り出来ない制度 
   第1章の英訳 
   編集後記

 以上のごとき内容であったせいか,Eizo Nishio『天皇制と現代日本社会:なぜ日本は衰退に向かうのか』と題したこの本,そもそも著者は「自分の氏名を漢字(日本語)」ではなく「ローマ字表記にしていたことになった」という点については,若干こだわった解釈をくわえてみる必要を感じた。

 c) というのは,前段に紹介してみた本書の内容は,まず,天皇・天皇制のことを,「根本的に矛盾した」「天皇制と民主主義」であるゆえ,「その結果,民主主義と国力が衰退していくプロセス」にあるという認識を示していた。

 つぎに「象徴天皇制」は「民主主義を傷つけてゆく皮肉な現実」を有していたという認識も示していた。

 さらには,「すべての責任を回避して生き延びてきた天皇制の歴史」は,敗「戦後も持ち続けるその本質の及ぼす民主主義への悪影響」をもっているにもかかわらず,つまり「宮内庁はなぜ改革が必要なの」に〈しない・できない〉のか。その「 選択の余地のない民主主義への道」に針路をとるべきだと訴えてもいた。

 ここまではっきりと,「天皇・天皇制批判」の論旨であったから,Eizo Nishio と自分の氏名を表記したのかなどと推理したくなる。もっとも,この人は国際的な舞台で活躍してきた芸術家の人士ゆえ,そのようにローマ字表記にしたという理解もできる。

 d) 本ブログ筆者の場合だと個人的には,日本の天皇史においては昭和天皇以来の記憶があり,平成⇒令和と継承されてきた天皇位と,これに就いていた裕仁,明仁,徳仁に関しては,それぞれなりに一定の印象があるが,

 なんといっても明治維新以来の旧大日本帝国主義の時代から,敗戦を経て日本国の時代へと生きのびてきた裕仁氏の印象が一番であり,つまり,ずば抜けて強い。

 その息子の明仁氏になると,父親の負の遺産を少しでもどこかへ返済しつづけていなければならなかった,という「ある種の義務感」のような重荷を背負って生きてきた立場が,印象としては強く残っている。

 さらに孫の徳仁になると,オヤジと同じに民間人から嫁を娶って,いま現在「天皇の地位に就いている」が,いうまでもなく天皇の地位は世襲であるから,彼もまた自分の人生を「オギャーと産声を挙げた」時点から,天皇になる宿命に置かれていた。この代になるとただそれだけだけか,という印象も抱かせる。

 e) 旧大日本帝国が敗戦し,GHQの占領下でダグラス・マッカーサーをその最高司令官とする米軍中心の連合軍が,1945年9月2日以降の日本のあり方に対して「日本国憲法」を与えることによってだったが,つぎのように根本から矛盾する「天皇・天皇制」のあつかいを固着させた。

 GHQは,敗戦した旧日帝を占領・支配するに当たり,それも日本の政治機構に対する「改革」を,つぎのような原則を当てて実行した。要は「天皇・天皇制」は生き残らせ,この封建遺制が人為的に残存せしめられた。

 すなわち,GHQ が実施した戦後日本の民主化政策は,「農地改革」「労働改革」「財閥解体」という「 3 つを柱」を立てていた。ところが,天皇・天皇制そのものに関しては,

 戦前日本においてすでに,マルクス主義者を二分した講座派・労農派の二つの流れとその対立のなかで,その政治論的な本質をめぐり議論が盛んになされ,また第2次世界大戦後にも引きつがれてきたけれども,

 その日本の学問分野における天皇・天皇制にかかわる議論とは別途に,敗戦した旧大日本帝国の脊柱であったこの天皇・天皇制問題をめぐっては,GHQがそれもマッカーサーが指示した構図のなかでとなっていたが,

 新しく起案された「日本国憲法」の体系のなかで,当時においていったいどのように「天皇・天皇制」を定置させるべきかが,いうなれば,連合軍側の立場からする日本占領政策の目玉のひとつとして,非常に重要視される論点になっていた。

 f) そのさいマッカーサーが指示したつぎの基本方針が,有名な「マッカーサー3原則(メモ)」であった。

この英語の原文は沖縄県公文書館が入手し公表していた
この3項目は決定的に矛盾した内容

昭和20年代からの日本敗戦後史はこの大前提のもとに歩まされた

で「日本の封建制度は廃止される」と宣言していながら
では「天皇の地位」:「皇位の継承は世襲」などと

どだいわけの分からぬ根本から矛盾した
つまり前後の脈絡では活断層の上に立たされたごとき

完全に齟齬したメモをあのマッカーサーは残した
なぜか?

 マッカーサーは,1946年2月1日に『毎日新聞』が報道した,日本国憲法改正案(松本委員会案)」の内容が「日本の民主化のために不十分であり,国内世論も代表していない」と判断したうえで,GHQの民政局に対して憲法草案を作成するよう命じた。

 そのさいマッカーサーは,憲法草案に盛りこむべき必須の要件として3項目を提示した。これがいわゆるマッカーサー3原則であった。その3原則のうちのひとつが,第9条の淵源となった戦争放棄に関する原則であった。

 この資料にみられたのは,マッカーサー3原則が「自己の安全を保持するための」手段としての戦争をも放棄することが明記した点である。だが,21世紀の今日になってもまだまだ,日本という国全体は基本,米軍の実質統制下(支配下)に置かれているがごとき〈実体〉になって,固着状態にある。その「戦後レジーム体制」(安倍晋三君が必死になって否定したがっていた属国的な政治体制)は,これからも持続させられていく。

 沖縄県はその最大の犠牲「県」であるし,筆者の住む関東地方では厚木飛行場があり,この米日両軍が共用する航空基地の騒音公害が,いまだに絶えることなく周辺住民に危害を与えつづけている。

 g) 話を日本国憲法に戻すと,憲法第9条に関して当初,その穴埋めとして在日米軍が充てられていた。ところが,1950年に朝鮮戦争が開始されて以来,1952年に日本人部隊としての警察予備隊が設立され,さらに1952年に保安隊に改組され,そして1954年には自衛隊に業務が引きつがれ、現在の姿になっていた。
 
 現状における安全保障関連法のもとでは,日本の自衛隊3軍は在日米軍,いいかえれば,アメリカインド太平洋軍のその一翼を形成する「一国の軍隊」に位置づけられている。日本国自衛隊3軍の〈実態〉は,より正確に観察するまでもなく,簡単に理解できる点だが,在日米軍あっての日本軍だという現状を持続してきた。

 したがって,日本国憲法の第9条は昭和20年代後半からすでに,完全に骨抜き状態になっていたわけで,いまさら戦争放棄だなんだとかウンヌンすることじたい,実質においていえば実に荒唐無稽だといわれかねない「米日軍事との同盟関係」が実在してきた。その中身の実質的な変遷や発展の目録に目を通す以前に,まずはありのままに認めるべき史実の記録があった。

 h) ところで最近,アメリカの大統領以下,各種の高官・要人たちが日本に来るときは,「日本に羽田や成田の空港から入国する」のではなく,在日米軍基地まで米軍機で飛来してきてからさらに,赤坂プレスセンターの北側に位置する米軍専用のヘリポートに移動していく経路をとり,この道筋でもって,いつも「日本には勝手に出入りしている」。

 そうした現状に観てとれる「両国関係のありさま」はまさに,「日本がアメリカの属国体制」に置かれている実態を,具体的に反映させている。しかも,このような状態になるようにまず最初に,この無礼を実行したのがほからならぬ,あのドナルド・トランプであった。しかも,安倍晋三の第2次政権時の出来事として起きたそれでもあった。

 さすがのアメリカであっても,以前はそこまで非常に無礼な,外交上の完全なる欠礼は,したことはなかったはずである。だが,いまとなっては既得権ではあるまいに,ごく当たりまえに「日本がまるで自国の1州であるかのようにして」「この日本に入りこむ」経路をとっている。トランプのあとバイデンも,大統領として同じ行動を記録していた。そのほか大勢になるアメリカ政府の高官・要人以下も,それに倣え……。

 

 ※-2 日本国憲法における天皇条項-民主主義と天皇・天皇制- ◎

   ◆ 矛盾しないわけがない民主主義と「君主」天皇の存在 ◆

 堀内 哲編著『天皇条項の削除を!』JCA出版,2009年10月という本が公刊されていた。この書物のなかからとくに,第2部「格差社会と天皇制を問う」のうち,小野俊彦稿「9. フリーターは皇民化され損ねる」から,興味ある箇所を引照しつつ議論をおこないたい。

 議論の中心線は,「天皇・天皇制における日本の労働問題」とでも称すべき論点に向けられている。

 1) フリーターと天皇・天皇制

 小野俊彦は「フリーターは皇民化され損ねる」をもって,こう議論していた。

 天皇制による「国民統合」じたいが「民主主義の原理」に反する。私たちは,主権者としての民衆に同一化して,日本国憲法にいう「国民」から「people(民衆)」を救いだそうとする。

 しかし,少なくとも私には「民衆」や「人民」などということばを,自分の主体性の根拠にできる感覚はない。むしろ,民衆や人民という確固たる響きをもったアイデンティティが確立されるはるか手前で,国民-消費者-有権者-納税者などとして体制に統合されきっているゆえ,ここから統合され損ねる機会を探ることから始めたい。

 好機が危機とは裏腹であるとすれば,機会は,現在の資本制国家のなかで「生と労働を決定されている」存在であることじたいにおいて,その無力感や苛立ちや不安と遠いところにはないはずである。あるいは,そのような無力や苛立ちに一番近いことばが〈労働者〉かもしれない。

 しかし,労働運動の古老たちによって勇ましく叫ばれてきたその「ことば:労働者」もまた,手垢塗れに過ぎて,私たちが向きあう現在の状況のなかでは「鍛えなおさねば使い物にならない」。

 「フリーター」ということばこそが,私たちの目の前で,危機と好機のなかで揺れていた。

 「フリーターは皇民化され損ねる」の執筆者であるこの小野俊彦は,自身が市民運動界隈をうろつき始めたころ,大学院に長年在籍してきたけれども,結局,研究者にはなりそこねていた人物である。つまり,高等教育・職業訓練機関から労働市場への接点で宙づりになっていて,危うい境遇に耐えつづけるほかなかった存在の1人であった。

 1990年代に一部の国立大学に対しておこなわれた,文部科学省による大学院重点化政策は大学院生を激増させ,短期の任期制ポストの増加などが,実際は小さいパイの奪いあいに過ぎなかったにもかかわらず,「就職機会の増加」と受けいれられた。これはまさに「一般市場の縮図」である。

 「学校基本調査報告書」によれば,文系大学院の卒業後の就職率は30%程度であり,残りの70%程度は不安定な就労ないし失業の状態にある。この現実に批判的な大学院生であっても,過剰の自己責任論や「勝ち組 / 負け組」なるネオリベ的観念にいつのまにか染まっていく。

 大学が独立行政法人化され,研究環境が改悪され,自治会すら結成できない。授業料の対価さえ要求する納税者意識をもてないまま,当局に文句ひとついわない大学院生の1人として,小野俊彦は,こう考えたという。

 「自分たちの境遇の危うさを自覚しつつ発言し研究してゆくべきではないかということを,機会を見つけては周囲に呼びかけてきた」。

 イラク反戦運動,フリーター全般労働組合やその周辺の運動や言論のありかたなどとおして小野は,「運動にかかわる自分なりの問題意識の明確化」をなしとげ,「プレカリアート」という新たな社会集団の名乗りを強く自覚する。それは,グローバル資本主義下の資本制国家,そしてこれを構成・媒介する諸制度である個別資本・大学などによって,決定的に規定されつつ日常的に生き働いている「私たちの現実」であった。

 そこまで認識を進展させえた小野は「自らの在り様を一方的に名づけられていることほど,私たちへの世界への関わりを妨害するものがあるだろうか」と問い,さらにこう批判する。

 「ましてや,この社会に唯1人その存在自体が私たちの生や労働を含む在り様の『象徴』だとされるような人間が存在するなどということは,直接的な『名づけ』の権力以上に強烈で老獪な妨害だ」。

 というのも「日本国憲法は天皇直々の『署名』とハンコによって発効しているのだ」からであった(以上,192-194頁参照)。
 
 2) まつらわぬものどもへの向けられる,日本「国民」たちの視線

 小野俊彦は,フリーターユニオン福岡(fuf)を介して「天皇制,愛国心(日の丸・君が代)の強制,死刑や戦争,管理者会を弾劾するビラを書き殴ってきた」のは,「われわれは永遠に労働者に,労働組合になり損ねていたいのだ」からだ,と断言している。

 本ブログの筆者は,この本ブログで書いている論題などの関係で,小野のつぎの記述に注目する。

 2006年9月,皇族に男性の「お世継ぎ」が生れたことをマスコミが翼賛報道していた頃,私たちはその不愉快な状況を蹴破るべく街頭でも抗議アピールを行った。

 そこで私たちの配ったビラが幸か不幸かインターネットの某匿名掲示板サイト愛用者と思われる者の手に渡ったようで,そのビラのスキャン画像が掲示板にアップされた直後から,fufの連絡先としても公開されていた私の携帯電話には怪電話が断続的にかかり始め,行動の告知をしていた私の個人ブログは猛烈な勢いで「炎上」しはじめた。

 目の前で炎上し続けるブログのコメント欄を手間取りながらも閉鎖したのちに怪電話も2,3日で収まり,某匿名掲示板上で私が「朝鮮人」だと断定されたころ,ようやくこの小騒ぎは鎮静化した。ウェブ上の匿名のモッブによる相変わらずの差別的で下劣なレッテル貼りには私は辟易した・・・。

「朝鮮人」が悪者ならば「日本人」は何者になるのか興味ある発言

 このあとに続く小野の記述も興味深い。なお,〔 〕内補足は引用する本ブログの筆者のものである。

 私は日本国籍を持ち,天皇の鎮座する国で日本人としての特権を享受するものだ。そのような制度を越えたところでも,私たちはこの社会において「使える労働力」であるためには〈日本人〉であることを要求されるし,〈日本人〉であるということは「皇民化」され続けているということである。そして,この社会の中で不断に行使されているそのような力を意識せずとも生きていられるものたちこそ〈日本人〉なのだろう。
 
 〔しかし〕われわれフリーターは「皇民化」され損ねる。われわれフリーターは,労働力として使い捨てられてしまう手前で踏みとどまり,「使える労働力」に「なり損ねる」存在であることそのものをまったく別の主体性に転化し,新たな社会性を生みだそうとしている。

 「なり損ねども」のもつエネルギーは危ういものだ。「なり損ねる」ことに耐えられないひ弱な心性に,靖国的なるものや天皇制がつけこんで,その怨念のようなエネルギーを新たな支配の資源にしようとしている。

 だから,その「手前に踏みとどまる」ということを武器に,方法にしなければならないだろう。「なり損ね」て躓いた角度から,斜めに社会を見上げてこそ見える世界があるし,躓きかかった体勢からこそ変な技が繰り出せるかもしれない。

 躓いて思いきりこけてしまって〔た?〕としても,むしろその時はじめて,もう一度自分の力で歩きはじめるために,何をしなければいけないのかを考えることもできるはずだ(以上,196-198頁参照)。

 3) まつらわぬ者たちの連帯意識

 小野俊彦「フリーターは皇民化され損ねる」は,日本の天皇制を頂点とする体制に向けて〈反抗的に突き差しださざる〉をえなかった「プレカリアート」的な立場を,鮮明に披露している。

 いいかえれば,21世紀において新たに,そして大量に登場させられてきた〈貧困層〉のなかに投げこまれた〈大学院修了者の1人〉である小野は,日本国「天皇支配体制」に面と向かい対抗する意識を,明確に形成してきた。

 ところが,同じ日本国籍人であっても,小野が「天皇・天皇制」に対する疑念を具体化させ,これを否定する思想的な姿勢を明確に提示しだすやただちに「匿名である言論を悪用」する大衆=乱衆から送られてきたのが,中傷・非難の暴風であった。

 しかも,その決着は「小野俊彦は朝鮮人だ」と断定されることによって,つまり奇妙な〈暗黙一致の操作〉をとおしてえられていた。

 その現象に発露しているのは,まっとうな理屈や筋のとおった論理とは無縁の,それも「この国:日本」大衆に固有の〈痼疾的なポピュリズム〉であった。

 過去,日本帝国が異民族・他国家を支配していた時代における「歴史観の残影」を払拭できないまま,この特質を基調とする「差別の感情」が,いまも懐旧的に再生産されている。

 21世紀の現段階においてその差別の対象にされる国は,いうまでもなくもっぱら「朝鮮民主主義人民共和国」でしかない。しかしたとえ,かの国がいかほどひどい独裁国でありつづけており,かつまた,その人民支配の暗黒的な悲惨さがどのくらい残酷かは,ひとまず置いての話題である。

 補注)最近における日本の政治をみていると,菅 義偉の申したてた「自助⇒共助⇒公助」のうち,すでに,完全に政府の本来の仕事である「公助」を9割5分以上は放擲したがごとき実際になっていた。

 2024年元日に発生した能登半島地震からまだろくに復旧できていない同地域被災地が,この9月下旬になってこんどは豪雨による水害にもみまわれ,被災者の気持ちを完全に折れさせてしまう状況が,すでにに報道・放送されていた。

 にもかかわらず,あの「世襲3代目の政治屋」(もうすぐ首相の座を離れる)岸田文雄は,完全に他人事であるかのような目線を,ただ被災地に向けるだけに終始していた。

 しかも,今回はその被害が発生している最中に,「首相任期を終えるにあたっての卒業旅行」よろしく,女房とお手々つないでアメリカに外交のつもりか,嬉々とした表情を浮かべながらで出ていった。

 その種の日本国自民党首相の姿は,完全にろくでなしというか,正直いって「自分な冷酷な行為をしている姿」を,自身がまったく認識できていなかったたぐいの,それこそまさしく「世襲の政治屋」の本性(政治家であるはずの人間としての能力の限界)を,完璧なまでに馬鹿正直に露呈させたその姿になっていた。

 この種の自民党の何流政治家がである,そのうちこんどは,自分の「▼カ息子」を,さらに「世襲4代目の政治家」にするつもりになっていたのだから,もはや日本の政治はガタガタだという前に,すでに完全に実質溶融していた。

補注の記述

〔小野俊彦「フリーターは皇民化され損ねる」に戻る( ↓ )〕 
 「朝鮮のせい」もしくは「朝鮮人のいうこと」だから,「やはりあいつ〔今回での相手は小野俊彦というれっきとした日本人であったが〕は,始めからおかしなことをいっているはずだ」というごとき,その根拠などひとかけらもない断定,

 それも朝鮮・朝鮮人という〈想定〉を唯一の基準にして,他者を無差別的に断罪する「昨今日本の大衆意識」は,天皇・天皇制の歴史,とくに明治以来におけるその真実の姿に関する最低限の知識=素養を完全に欠いている。それでもなお,ひとまず正当性があるかのような〈断罪の方法〉として認められている。

 小野も触れているように(190頁),平成天皇に「社会格差の問題については,格差が少ない方が望ましいことですが,自由競争によりある程度の格差が出ることは避けられないとしても,その場合,健康の面などで弱い立場にある人々が取り残されてしまうことなく社会に参加していく環境をつくることが大切です。また,心の中に人に対する差別感を持つことがないような教育が行われることが必要と思います」などと発言してよい資格は,もとより全然なかった。

 注記)「おことば-平成19〔2007〕年12 月23日『平成天皇歳誕生日』記者会見」『宮内庁』http://www.kunaicho.go.jp/okotoba /01/kaiken/kaiken-h19e.html

 およそ,日本における「社会格差」の実態を観察していえば,この格差の最上層に鎮座まします天皇が,われわれに対していえる文句,ないしは吐けるセリフは,本当はなにもないはずである。というよりも,天皇の地位にあっては「ありえない」発言であるのが,前段に引用した彼のことばであった。

 ここで,われわれは平成天皇に問わねばならない。

 ★-1 あなたは「日本において自由競争ともっとも無縁な人間である」のだから,「自由競争によりある程度の格差が出ることは避けられない」などと,口幅ったく述べる資格はなかったことを,そのさいあらためて明確に確認しておくべきであった。

 ★-2 あなたが「心の中に人に対する差別感を持つことがないような教育が行われることが必要と思います」といいたいのであれば,まず最初に自分の座するその〈天皇の地位〉を放棄し,1人の人間として生きる立場をとり戻してからでなければならない。

 しかし,仮りにそうなれたとするとき,いまと同じようにものをいえるかどうか保証のかぎりではない。ただしまた,京都人はアナタの帰還を歓迎する気持ちがあると聴いてはいる。

 ★-3 自身の誕生日におけることば=発言ではあるにせよ,そもそも憲法に規定された「天皇の地位」に間違いなく抵触する言辞であるから,そのような「日本社会に対する天皇としての発言」をすることは,本来からいっさい許されていない。このことをよく自覚しておかねばならない。

 ★-4 日本社会に生起する諸現象に関していちいち天皇がどうのこうのいったところで,日本の社会のこれからの動向を基本において左右できることはなにもない。実際にもそうでありつづけてきた。

 彼がなにかを発言することによって,この社会の進路に影響を与えうるというのであれば,たとえば早速,「1990年以前に繁栄していたこの国の姿」に立ち返られるように「呪い(まじない)」をしてほしいものである。

 多分「その種の呪い:マジナイ」は「宮中行事」のなかで天皇家の代表たる立場において彼がおこなっているものと信じたい。だが,そうしているという確たる証拠があるわけではない。

 敗戦を迎えたさいに彼の父が,一体全体「なにを最優先したかたちで」祈ったか,昭和史における事実を想起してみればよい。

つまりは天皇のための「国体ヲ護持」することで
「神州ノ不滅」「国体ノ精華」を守るはずだったが

あの戦争に息子たちを奪われた母親にとってみれば
「自家ヲ維持」することさえできなかったのだから

「国体」も「神州」もなにもヘッタクレあるものかというリクツになるほかない
だがそこをなんとか誤魔化すためにこそ靖国神社があった

二十歳で戦死し靖国の祭壇に英霊として合祀されているよりは
片腕・片足をたとえなくしてでも母親のもとに還ってきてくれる息子のほうが
もっと大事もっと大切に感じられたのではなかったか

なお天皇のハンコ(御璽)の文字のうち「皇」は白が自になっているが
これは間違いではなく意図してこのように製作していた

 この敗戦の申しわけ書のなかには,「時運ノ趨ク所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス」と述べられているが,「命あってのものだね」という諺をしらずして,このような発言であったのか?

---------【参考文献の紹介:アマゾン通販】---------


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