「広告と性」の関連分析-広告心理学と精神分析学,マーケティングにおける性衝動活用問題
「本稿」は2014年8月25日初出であったが,本日2023年9月7日に更新して記述することになった。そのきっかけは,最初の※-1にまず説明されている。
この「広告と性」の問題に関して本格的な分析を試みた,それも1冊にまとめられた労作が,本ブログ筆者のしるかぎりでは,いまだ接しうる機会がないのは残念である。
付記)冒頭の画像は「本文中に註記あり」から借りた。
※-1 企業のマーケティングが自社の製品・商品を販売するために,広告活動面における工夫として『人間「性衝動」の活用を企図する』のは,あまりに自然かつ当然の方途である
テレビコマーシャルとなればごく一般・通俗的には,なんでもかんでも若い美しい女性を出演させともかく宣伝すること,たとえばとくに,最近では当たりまえになっている様子として,若い綺麗な女性が冷えたビールをうまそうに飲むCMの光景は,もうみあきるほど登場していた。
番組の途中にしばしばはさみこまれるそのビールの宣伝となるや,各社ビールのそれぞれのCMが,じかに連続して登場する始末になってもいる。そこまで,視聴者の立場としてこの種のCMを連続してみせつけられるとなれば,最近の若い女性たちにはよほど飲んべえが多いのかと理解するほかなくなる。
もっとも,人間の半分は女性であるゆえ,この人たちにもともかくビールをよりたくさん飲んでもらえることが,ビールを生産・販売する会社の立場にとっては,マーケティング戦略として広告がになうべき目的達成が,非常に重要な仕事になっている。
以上のごとき「女性とアルコール飲料の問題」があったけれども,つぎに昨日,2023年9月6日の『毎日新聞』夕刊に出ていた解説記事をともかく最初に観てもらいたい。
こちらはノンアルコール飲料に関した広告(CM)である。本日の記述はこの付近の話題をとりあげるかたちで,「広告心理学と精神分析学」のど真ん中に投入されるべき具体的な課題を議論することになる。
その『毎日新聞』夕刊の解説記事をかかげるまえに,森永製菓のホームページからつぎの画像を切り出しておき,次段の議論に関する前提の情報・知識をさきに分かっておきたい。そして,この広告・宣伝に関連する製品(夏向き)をめぐって,ある特定の吟味がつづいてなされる。
そこで,つぎに『毎日新聞』2023年9月6日夕刊4面「文化」欄に寄稿されていた「広告における女性の身体表現の可否 『メッセージ読み解き判断』」をとりあげ議論してみたい。
※-2 人間の「三大欲求」とは
この「三大欲求(the three primitive desires)」とは,人間が生きていくうえで重要な3つの欲求の総称だと説明される。それはは「食欲・性欲・睡眠欲」のことを指しており,その欲求の程度は人それぞれに違っていても,基本的に誰しもがもっている欲求である。
前掲した「広告における女性の身体表現の可否 『メッセージ読み解き判断』」『毎日新聞』2023年9月6日夕刊4面「文化」,https://mainichi.jp/articles/20230906/dde/014/040/002000c と題した寄稿記事は,
広告が発するメッセージを,(1)言語的メッセージ,(2)知覚的メッセージ,(3)象徴的メッセージの3つに区分している。だが,ここではとくに(2)と(3)に関して重要な含意ないし想像があると判断したうえで以下の叙述をおこなっていく。
さて,こういう観察・分析・解釈ができる。
女性の臀部,股間「部分の位置」の前には明らかに,「男性器を象徴する」はずの「椰子と飲み物(ストローを添えてあるフルーツジュース)」が「小さな島」にそれなりに描かれている。
しかも,まっすぐにこちら側から観察した場合,その位置関係がこれまた明らかに「男女の性交時」にみあった構図になっている。こうしたたぐいの,きわめて俗っぽい指摘は,誰でもふつうに観た感覚で理解できるはずだから,すなおに納得がいくと思う。
しかも,椰子になっているその実〔の先端の部分〕が,いったいなにを描いていたと理解すればよいのか,さらに,飲み物の中身がなにを意味するのか,ここでいちいち指摘するまでもなく,あるいはまた表現するまでもなく,それぞれに該当する人間の生理構造的な器官や分泌物が,そこの構図には描かれていると解釈可能である。
もっとも,フロイト(Sigmund Freud)の精神分析学に習って(倣って)いうとしたら,この程度の観察・分析はごく自然で当たりまえの解釈であった。
本ブログ筆者は昨日の『毎日新聞』夕刊に寄稿された解説記事のなかに添えられていたこの写真を最初観たときは,こちらの紙面はなぜか白黒で印刷されているのか,多少違和感を感じた。
この感想をえたすぐあとに,ウェブ版をのぞいてみたところ,こちらでは予想していたとおり「カラー版の写真」が出ていた。ということで,こちらをしばらく眺めて考えてから,本日の書き出しになるこの段落を記述してみることになった。
以上のごときに『真ん中・下の「小島=男根+陰嚢」という理解』をしたら,「あなたはフロイト流に考えすぎ・染まりすぎ」と反論されるかもしれない。
だが,以前に記述してあって現在は未公表の記述になっていたが,今回,『毎日新聞』2023年9月6日夕刊「文化」欄のこの寄稿記事に添えられていた「この画像」を観た瞬間,そういえば以前に公表したことのある,しかも内容としてどんぴしゃりの記述が,確かあったことを思いだした。
以前,そろそろ引っぱり出して「改訂・更新の作業」をくわえたいと思っていたこともあったゆえ,この『毎日新聞』夕刊の解説記事が登場したというところで,今日の記述の材料として復活させ公表することにした。
※-3 宮沢りえ「出演」の全面広告-2013年4月18日・19日『日本経済新聞』-をめぐっての考察
いまからだと10年も前になるが,『日本経済新聞』2013年4月18日と19日に JINS 社の全面広告が出ていた。これをみた瞬間,フロイトの精神分析論に関するある記憶が突沸した。
本ブログ筆者の手元には,いまから半世紀近くもまえに出版されていた,箱崎総一『広告と性-宣伝の精神分析-』(ダイヤモンド社,昭和42〔1967〕年)がある。
本日の時点で,あらためてアマゾンの通販にこの本が出品されているかを確認したところ,みつかった。つぎに紹介しておきたい。いまから,56年も昔に発刊されていた本である。
読者にはあえて,予備知識としての《予断》を意図的に与えてしまうつもりで,この本のなかに解説されていた,それもズバリ的中の写真と図解をいくつか,以下に紹介しておこう。
まず,レブロン社が口紅「モイスチャー」の宣伝・広告のために制作した写真と,これに対して『広告と性-宣伝の精神分析-』の著者が説明した図解である(137頁,146頁)。
つぎに,宣伝・広告用の写真ではなく,サルバドール・ダリの描いた「建築学的なミレーの晩鐘」という絵があった。「性の精神分析的な解説」として適当な説明が付けられうる絵画として,箱崎総一『広告と性-宣伝の精神分析-』が出していたものである。
以下の画像はその説明のための図解とその原図である(111頁,113頁)。下の画像は原図のほうを紹介している。カラー版の画像を他所から借りてみた。
つぎの画像資料は,アメリカの商業写真家,アーヴィング・ペン制作なる「メイ・キャップ」と題された作品である。特定の商品用に制作されたものではないらしいが,商業写真としてもつべき〈深層心理への働きかけの要素〉という面からみれば,実に優秀な作品である。この写真では,唇は半ば開かれている。
すなわち,深層心理のシンボルの次元においては,これらの陰唇は開いて-つまり膣は開いて-おり,受入体制はすべて十分なのである。その女性セックス・シンボルに接触したか たちで,男性のセックス・シンボルである紅筆が置かれてある。つまり,深層心理的には非常に衝撃的な光景なのである(125-126頁。写真は,124頁,126頁)。
これらについて,箱崎総一『広告と性-宣伝の精神分析-』が理論的にくわえていた分析・説明だけでも,いわんとする核心はおよそ理解できると思う。
そしてここでさらに, メガネ販売会社の JINS が『日本経済新聞』2013年4月18日・19日に出していた広告であった,宮沢りえを使ったこの広告の画像を紹介しておく。
補注)https://www.oricon.co.jp/news/2023745/full/
解説)ソファの上にわざと乗せた赤い靴,ワンピース・ミニスタイルのスカート裾部分のレース,唇にくわえている逆さのスプーン,太股を露わにしたポーズなどに注目。
さらにつぎの画像は解説なしで出しておく。こちらは,前掲してあった
“ JINS CLASSIC” の広告動画から,該当するコマを切り出したものである。なお,以下につづいても飛んで,この動画から借りたものが指示されている。
以上にあれこれ挙げてみた画像について,以下のように「解説」してみたい。
解説1)以上の各画像を通して指摘するとしたら,指を唇に当てているところがミソ。メガネそのものはなぜか,きわめて地味でとくに特徴があるような製品には映っていない。CLASSIC だからか……。
解説2)フロイト大先生の精神分析によれば,以上のように取りだしてみた画像は,とくに男女間の性交渉を意味する。ヨーグルト状の液体は男の精液と女 の愛液を同時に意味すると解釈できる。
さらにここで,宮沢りえが,このようにスプーンを裏返しにして口に近づけている画像もコマとしてあった。
解説3)ともかく,「メガネ安売り店」がとりくんだ広告・宣伝の展開であったが,これに対して精神分析学的に分析をくわえる場合,その固有である関心事(問題意識)に照らして考察をおこなうための素材として,絶好の材料が提供されていたことになる。
極端な話,とくに JINS 社のメガネの広告や宣伝でなくても,なんでもかまわない,どこの企業のどのような製品・商品のための広告・宣伝でもよかったのではないか,という印象を受けた。
どういう意味でそのようにいっているのか?
つまり,彼女(宮沢りえでなくとも,美麗な女性タレントであれば誰でもよかった?)の足下に空気清浄機でもおけば SHARP の広告になったし,足下で自動掃除機ルンバが動きまわる構図にすれば,アイロボット社の広告になったはずだからである。
要は「製品(商品)」と「宮沢りえ」(自身)とが,本来,つながる必然性の希薄な広告であってもなくても,ともかくなんでもいいから,この女優の色気・女性「性」(この点のみをジェンダーといったら,どこかの大学の女性教授に叱られるかも)を大いに発揮でもって,このような宣伝・広告を打っていたのが “JINS CLASSIC” のこの広告であった。
さて,それでは,この会社がなにを売っていたかといえば「メガネ」であった。という程度で,この広告(CM)にこめられたかもしれない,その「連想ゲーム的なつながり」じたいは,もともときわめて希薄。しかし,この広告・宣伝じたいがいろいろいわれたとしても,結果として評判をとれれば,その連関性に現実味が出ていくる。換言するとその効果が生れたという評価が可能になる。
もともと,その種の方途を狙った広告・宣伝だとも理解するのが,ごく自然な理解であった。再言するが,宮沢りえがかけていたメガネは,どうみてもかわりばえがしなかった。なんとなく古臭くもみえ,ダサい。メガネじたいに色気なんぞ,ほとんど感じられなかった。CLASSIC だからか……?
むしろ,宮沢りえ「本体」のほうからその CLASSIC 性を感じとってほしかった広告であったのか? どちらかというまでもなく,それがこのCMの本旨であったと解釈されても,特別な違和感はない。
ところで,宮沢りえが着ていたワンピースをドン・小西に批評してもらうには,ちょっと専門違いという感じもある。女性デザイナーに一言いただくようなワンピースにもみえなくもなかったが……,ここではこれ以上いわないでおく。
こうした本ブログの関心とはまた別の興味があったのか,『 Girls Channel ガールズちゃんね-女子の好きな話題でおしゃべり♪-』というブログが,以下のような画像を作成していた。
これはクリックして( ↓ )もらえれば判るが,すでに前半部分の記述において出してあったものだが,
『日本経済新聞』2013年4月18日19日朝刊に出ていた「宮沢りえ広告写真」http://girlschannel.net/topics/15813/ を,またほかの人がブログの記述のなかに取りいれていたものであった。
本ブログ内の途中で指示したリンクからものぞける「宮沢りえの広告画像」のそれであった。
つぎの写真は,ずいぶん濃い化粧とそれなりの表情を作っている宮沢りえの姿であった。出所は,http://girlschannel.net/topics/15813/ であり,前段で既出の記述のなかにも指定があった住所であり,そのなかを下方にまで頁をめくっていくと出てくる画像であった。
※-4 広告心理に関する精神分析学
箱崎総一『広告と性-宣伝の精神分析-』(ダイヤモンド社,昭和42年)から,しばらく引用していく。
1) 精神分析学を応用する宣伝・広告
「精神分析的な意味の差をここで深く考えねばならない」。「つまり,深層心理にある本能の性質を明らかにすることが,これからの宣伝にはぜひとも必要なものとなってくる」(20頁)。
あらかじめ指摘しておくが,今回,以上の記述中すでにとりあげてみた “JINS CLASSIC” が宮沢りえを採用した広告は,精神分析学の理論背景をよく踏まえていたことをうかがわせると同時に,これとはまったく相反するかのようにも感じさせる〈ほかの広告〉もおこなっていた。これはあとであらためて論じることにたい。
「宣伝という名の怪物が生み出す」
「幻のイメージのなかに現代人は迷いこんでしまっている。そこで,この迷路のなかから正しい方向を発見するためのコンパスとして精神分析が登場してきたわけである」
「記憶のなかに歪みがあるままで物事を判断すると,そこにズレが生じてくる。精神分析的にみると,この心理のズレは,それぞれの性格の特徴をよく表わしている」(28頁)。
なかでも「セックスは人間の深層心理のかなで強力な作用をしていることはフロイトの発見によってしられている。つまり,これを目立つ広告に利用しようというのだ」(77頁)。
とくに「宣伝を作りあげる男たちには,消費者よりもつねに1歩先を歩くことが要求されているし,彼らの作りあげる幻想やエロティックな夢想にしたがって,消費者の心は自由自在にあやつられているといってもいいすぎではない」(83頁)。
「宣伝を制作するには,夢想家であり社会学者であり,精神分析家であることが要求されるといっても過言ではなかろうか」(83頁)。
それなのに「私たちは,いままであまりにもセックスに関して消極的な考えかたをしてきたのではないか--という疑問がわきあがってこざるをえない。セックスの本質なるもの,それは習慣や常識や,功利的な社会への適応などのすべてにとらわれず,私たちを新しい未知の世界の冒険へ導いてくれる。人類の進歩や新発見の源を作るエネルギーをセックス・エネルギーから分化したものである」(84頁)。
「精神分析的にいうと,セックス・エネルギーとは生命力のエネルギーそのものと同じ意味として用いられているわけなのである」(86頁)。
「エロスへの誘惑にかこつけて,宣伝の良識では消費者の性格作りのためのいろいろなトリックがおこなわれていることをしっておいてもよいだろう」(88頁)。
2) マーケティング戦術としての宣伝・広告の方法
マーケティング戦略の初歩の話となる。
「コマーシャルがあなたに話しかけ,コピーが物語る〔今回の宮沢りえ出演のコマーシャルでいえば〈動画が語りかける〉〕とき,それが男性に対してか,女性に対してかあるいは壮年者一般に向けられたものであるかは,だいたい想像できるはずである。こうした区分をつけることによって,それぞれの消費者の層をガッチリつかもうとしているのである。つまりこれがマーケット・セグメンテーション〔市場細分化〕なのである」(90頁。〔 〕内補足は筆者)。
「消費者が王様であったのは過去のことで,現在の消費者は宣伝の命令にしたがって働く召使ではないだろうか。そこで消費者としてのは,宣伝のカラクリをよくしることによって,それと対決しなければならないことなってくる。宣伝をおこなっている企業の立場から,それは困ることなのだ」(93頁)。
「セックスのアプローチを用いるばあいには,商品についての精神分析を綿密におこない,計画的に宣伝の目的に使用された場合には,本当に人びとの心の深層に共鳴作用を引き起こしてくる」(93-94頁)。
「性的なくすぐりによって,私たちは宣伝の影響を深層心理まで受けてしまう。それは私たちの本性をもゆるがすほどの強力な作用をもっている。しかし,その影響力は私たちがほとんど自覚しないうちに現われてくるから不気味でさえある。ひとたび,こうした宣伝のもつ力に気づいたとき私たちは名状しがたい恐怖にとらえられてしまう。すると,態度をガラリと変えて,必死になって広告を攻撃しはじめることになる」(96-97頁)。
※-5 『JINS』社の全面広告の評価
要は,今回の記述内容に関していえば,宣伝・広告用の「性の表現態」:セックス・シンボルとして,宮沢りえが起用されていた。問題は,この女優によるこの広告をみて,いったい人びとがどのように・なにを感じるか,である。
とりあえず男性の側からみていえば,それこそ「セックス・シンボル」性が過剰なまでに濃厚であった女優のマリリン・モンローやブリジッド・バルドーのように,やたら妖艶なる雰囲気をバラまくというか,意図的に色気をムンムン発散させる女優ではない。
とはいっても,人によって感じかたは多種多様,たで食う虫も好き好きなので,逆にもに感じる〔宮沢りえのほうが(もっと)いい〕といわれる向きもあることも認めねばならない。それゆえ,ここでただちに決定的な判断はせず,留保しておく。
それはともかく,JINS 社の全面広告は,「メガネ販売のために」宣伝されていたものである。
こちらの問題としていえば,今回のこのような宣伝・広告の方法でもって 「メガネ」の販売向上を狙い,「セックス」効果による精神分析的な関連づけを,つまり,消費者側の深層心理に同社のメガネに対する購買意欲を喚起・高揚させえて有意な効果を挙げることが,いかほど反応として引き出せていたかであった。
たとえば,つぎの画像「ホット(コーヒーか?)ストローで飲む女性」というこれをみてほしい。
JINS 社のホームページ「表紙」には,宮沢りえの宣伝動画と並んでリリー・フランキーのそれも公開されていた。前段にその画像は紹介してあった。
こちらの動画を観ると 「?」という印象である。なぜ,そのように感じられるかは,性的要因(動因)に関して,ひとまず「人並み以上」の理解力があれば,ここまでの記述を踏まえてに察知してもらそうである。
仮に,今回の宣伝動画が「女性用」だとしたら,精神分析学的に判断すれば「道具立て」:「小道具の使いかた」が,基本から整合的ではなかった点が回避できない。「整合的でない」という指摘した論点については,もっと「突っこんで」話をしてみたい気持もあるのだが,脱線してしまいそうなおそれがあり,止めておくことし た。
昔,「カルピスの黒人広告」があった。
黒人差別だといって使用されなくなったカルピスの「商標登録」があったのである。黒人がストローでカルピスを吸っている,上にかかげた「この絵」(商標登録)がそれであった。
ところで,この絵(画像)を借りたホームページの主人は,こう主張している。
カルピスの,この黒人を描いて制作された商標登録については,つぎのような意見も示されている。
前掲の〈絵:黒人マーク〉は,カルピスという飲料がおいしいものだという好印象を消費者に抱いてもらい,購入してもらおうとする本来の狙いがこめられていた。
しかし,JINS 社が,宮沢りえの宣伝動画とともに公開していた,リリー・フランキーとりえが並んで「ストローでなにかのリフレッシュメント」を飲んでいる図柄は,お世辞にもさまになっていなかった。
ここまで話が進んでくると,なんの宣伝のための広告だったかが分からなくなりそうになった。メガネの会社のCMに関する話題であったが……。
※-6 カルピスは初恋の味?
ところで,カルピスの “初恋の味” というキャッチフレーズは,ある年齢層以上の人であれば,ほとんどが聞いたことがあると答えてくれると思う。
カルピスという製品名の由来については,こう説明されていた。
創業者 “三島海雲” の知人である駒城卓爾(コマキ・タクジ)が,
『甘くてすっぱい「カルピスは “初恋の味” 」
初恋ということばには,人びとの夢と希望と憧れがある』
ということばに由来していたということで,1922〔大正11〕年4月の新聞広告に使用したのが始まりであったとされる。
註記)この段落はつぎの住所を参照したが,現在は削除されている。カルピス株式社会のホームページであるが。
⇒ http://www.calpis.co.jp/contact/faq/calpis02.html#anc04
最後に,宮沢りえの以上の広告に魅力を感じた人でも,とりわけ男性は田中ヒデとの上の写真のシーンをみたら,その宣伝効果を大幅に引き下げてしまう〈なにか〉が入りこむことになるかもしれない。このことは,かなりの程度,確実に〈請けあえる話〉である。
【余談的な話題の追加】
この記事で「壇密の唇のアップ……」のその画像は,つぎのものであった。これは,上の記事のなかに指摘されていた「宮城県の観光PR動画」から,本ブログ筆者が当時,切りとり保存しておいた画像である。
どうしてこういった話題がたびたび出てくるのか,というところから吟味が必要なのかもしれない。
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