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老朽原発の「稼働期間」として60年(以上)も耐用年数を認めるという,工学的理論の立場を完全に無視した「原発利用方法」はまさに狂気の沙汰,企業会計基準や管理会計見地から噴飯的に逸脱した耐用年数基準の破壊行為は,なぜ原発だと許されるのか?「悪魔の火」にあぶられてか,まともな技術経済精神が吹っ飛んでしまった原発「観」,SLの観光用復活劇でもあるまいに(後編)
※-0 この「本稿(前・後編)」の題名が長ったらしいが,本編の「議論の核心」を表現したつもりの表現である
ということであったが,本編の前編をさきに読んでからこの後編に戻って読んでもらえることを希望したい。そのリンク先住所は以下である。
※-2 2024年11月14日であったが,『日本経済新聞』と『毎日新聞』の社説がそれぞれに「東電福島第1原発事故現場」からの「デブリ取り出し作業」を取り上げ論説していた。
『毎日新聞』と『日本経済新聞』は現在,本ブログ筆者が購読している大手紙なので,まず,その電子版紙面から社説の「現物」を画像資料にして紹介しておきたい。問題となるのはむろん,そこに書かれている論説の中身,解釈,主張などである。
1)『日本経済新聞』2024年11月14日「社説-デブリ初回収を機に実効性ある廃炉を」
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「示されないままだ」が
「廃炉の最終形や完了時期について議論を始める時期だ」
「安全・安心を最優先した廃炉の道筋を練る必要がある」
などなど
原発の過酷な事故だからこそこれに固有な至難の
廃炉への旅路はまさにイバラだらけ
2)『毎日新聞』2024年11月14日朝刊「社説-デブリの取り出し 確実な廃炉への出発点に」
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この廃炉「工程が『絵に描いた餅』になっては」
「ふるさとを思う人々の不信は解消されない」
以上『日本経済新聞』と『毎日新聞』の社説を並べてみたが,この2紙の社説の論調は「日経⇒デブリ回収」と語り,「毎日⇒確実な廃炉」という見出し文句をかかげていた。
本ブログ筆者は,日経「社説」が見出しの使った「回収」という漢字の意味に,当初からひっかかりを覚えた。つまり,この回収という用語の意味は通常,つぎのように説明されているからである。
「一度ばらまかれたものや,手もとを離れたものを,とりもどすこと。一度使われたものを再利用のために集めること」
デブリは再利用できるか? 現在,その東電福島第1原発事故現場「2号機」の溶融した原子炉から(「圧力容器+格納容器」の内容的な区分はもうできない状態にある),初めて,「0.7ミリグラム」分のそのデブリのかけらを「取り出す」ことができたという。そして,この小さなカケラは,放射性物質にどのように汚染されているかを,以後1年はかけて成分を分析すると報道されていた。
最低限いえる事実は,そのデブリのかけらに関しては,その成分分析以外に「用途というか」「別途に利用できるアテ」はなにもないはずだから,回収という言葉の意味に文字どおりにしたがうとしたら,つまり「一度使われたものを再利用のために集めること」のために,「デブリ取り出し作業」をおこなったのではない。
以上のように指摘した点は,日経風に記述・論説された内容としては,まさしくマヤカシ的な解釈が混入されていた。この点については,説明になりえない無理筋だった,それもかなり強引なコジツケになる「新規の主張」をおこなっていたとしか受けとれない。
要は「回収」という言葉を使い,日本の原発産業従事者たちが初めて接することになった,デブリという「原発事故によって発生させられたやっかいな放射性物質」に関して,わざわざ,これを「回収したらなにか残存価値」がありうるかのように言及していた。
日経流儀,以上のごときデブリ取り出し作業をめぐる社説の記述内容は,いってみれば,前段に紹介した毎日の社説に出ていた表現を借りていえば,「初歩的ミス」を無意識的にか,それとも意図的にかはとりあえず判別不能であったが,そのように,日本語の「回収」という言葉を充ててモノゴトが及びうる範囲に収まりえないはずの,多少好意的に表現すると「新規の意味」までもたせたいかのように,その「日経・社説」は執筆されていた。
原発推進派である「日経なりの編集方針」にしたがった論法とはいえ,言葉・用語・表現については常時,最新の注意を払いながらいつも新聞の記事を書き,論説をくわえている新聞社,
それも大手の経済新聞社が「原発のことになる」と,論理面ないし概念面においていとも簡単に突っこまれ,批判されてしまう「理不尽,不条理」の領域に,いとも簡単に踏みこんでいた論旨は尋常ではない。
さらに「回収」という言葉の意味説明はその前半に,「一度ばらまかれたものや,手もとを離れたものを,とりもどすこと」と書かれていたが,これはエントロピーの法則にかかわらせて,つぎのような初歩的な解説を聞いておく必要がある。
すなわち,エントロピーとは物理学の言葉であるが,日本語での ”乱雑さ” を意味し,「秩序あるものは,秩序がなくなる方向にしか動かない」という「宇宙の大原則」を指している。
換言してさらにいうと,それは「エントロピー増大の法則」として理解され,「エントロピーは自然に増大する」という法則でもって, 「物質や熱はすべて,手をくわえないかぎり,乱雑・無秩序・複雑な方向に進んでいく」ともいいかえることができる。
問題は,原発の深刻かつ過酷な大事故を起こしたとくにチェルノブイリ原発事故事故や東電福島第1原発事故の場合,その「エントロピーの法則」から逃れずに,まさに「有毒な核種」の「放射性物質」が大々的に「ばらまかれた」。
そのさい,原発事故の原因が人為的であったかどうか,いいかえるならばヒューマンエラーが介在していたかどうかは,ここではいったん問題外にしてでも,ひとまずつぎのように追求しておくべきである。
エントロピーの法則に則して語るとしたら,「手もとを離れたものを,とりもどすこと」は,高度に至難である現実(顛末)がわれわれに突きつけられたのである。すなわち,あの原発事故現場は「現状回復が完全に不可能な状態」のまま放置されざるをえない事態を,いままでわれわれは否応なしにみせつけられてきたのである。
その種の異様な状態は,現在進行形の出来事として,これから先もずっと永い期間にわたり,そのエントロピーの法則にしたがうほかないかっこうで,つまり「手もとを離れたものを,とりもどすこと」ができない原発事故の後始末に,いままでも非常な労苦を強いられている「われわれ人類・人間側の立場」は,実に真正直にかつ端的に表現されてきた。
要するに,原発を電力生産のために利用したけれども,本来「兵器としての原爆」の〈単なる応用技術〉であったこの原発の特性ゆえ,事故を起こせば「原爆そのもの」に酷似したというか瓜二つそのものである害悪を,それこそ「平時における原発災害」として惹起させる。
火力発電所(この火力電源の種類はひとまずどれでもよいが)が大事故を発生させてしまい,その装置・機械・施設が完全に破壊されたと想定し,その後におけるその後始末がどうなるか考えてみればよい。
原発が大事故を起こした事例に比較するまでもなく,その影響範囲は量的・質的に限定されうる事実はいうまでもない。もちろん,火力発電所であっても一定の有害物質を発生させるかもしれないにしても,それは一時的であり,その影響範囲も限定的で収まりうる可能性が大きい。
ところが,原発の事故発生となるや事態は異様な次元(岸田文雄流に表わすと異次元的!)に発展してしまうことにある。とくに,放射性物質の害悪が時空の制約をはるかに超えてその被害を,いつまでも持続可能的にもたらしつづける。エントロピーの法則は理解していてもなくとも,その害悪を抑えるための対策がままならない事象が,数多く同時的に発生させられる。
※-3 『朝日新聞』と『読売新聞』の当該社説
ここには『朝日新聞』と『読売新聞』の当該社説を紹介するが,いずれも「エントロピーの法則」的な観点に徹し,その認識を基本に踏まえて「読むのが適当である」ことは,いうまでもない。以下,引用しつつあれこれ独自に議論を絡めて考えてみたい。
1)「(社説)デブリ取り出し 現実直視し将来像探れ」『朝日新聞』2024年11月8日朝刊,https://www.asahi.com/articles/DA3S16078876.html
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東京電力福島第1原発の事故で溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)の小片が,初めて格納容器から取り出された。廃炉作業の「本丸」での小さな一歩だ。過酷な現実と道のりの遠さを直視し,将来像を探らなければならない。
炉心溶融した1~3号機には燃料デブリが推計で880トンある。このうち比較的調査が進んだ2号機から5ミリ以下の小片を試験的に取り出し,専用の容器に入れた。研究機関に運んで分析をする。
当初は2021年までに着手する予定だった。原子力規制委員会の山中伸介委員長は「分析できて初めて,小さな一歩であるけれど重要な一歩が踏み出せた段階だ」と話す。
補注)デブリの内容成分を分析するとはいっても,これは事故後におこなわざるをえなくなったあれこれの対策のためであって,仮にでもそれなりになんらかの新知見がえられたところで,その使い道になにか積極的に創造性が開削できるとは思えない。
あくまで事故処理のための,廃炉工程に本格的に進むためのそのまた前段階に関する議論を,このようにおおげさにいかにも有意義であるかのように語る姿勢は,要注意であったはずである。
エントロピーの法則にしたがっていおう。そのエントロピーに逆らって少しでも事故発生以前の,地球環境としての自然さに戻そうとする努力,これをくわしくいえば,原発事故被災地の現況を,昔の普通に正常であった,まさしく自然そのものであった環境にまで戻すことは,いまでは完全に不可能になっているのが,原発事故の跡地とその周辺地域である。
そもそも,地球の環境問題につなげるには縁遠い「デブリ取り出し作業」の結果として最近,東電福島第1原発事故現場から入手できた「大きさ5ミリ,重さ0.7ミリグラム」のカケラの存在に,それなりの期待をかけることは誰も否定しない。
だが,東電福島第1原発事故現場全体の廃炉工程問題を,その終了しうる時期がいつになるのからして,皆目見当すらついていない現状のなかで,その〈微少なデブリのカケラ〉にそれほどの貴重さは感じられない。なにか大きな勘違いをしているのではないか。
〔社説に戻る→〕 8月に始まった作業は,装置を押しこむパイプの取り付け順序の間違いで中断。再開後も内部を確認するカメラの不具合で再び中断し,今〔11〕月2日にようやく取り出した。
前例のない作業は,トラブルや失敗の積み重ねで知見を蓄積しながら,前に進む。ただ,燃料デブリは2017年にカメラで確認し,2019年には炉内での持ち上げにも成功していたが,今回も難航した。前途の多難さをうかがわせる。
補注)この歩調で「デブリ取り出し作業」は実にノンビリと進行させられてきた(というかそのようにならざるをえなかった)。今回入手できたその微少なカケラの成分分析に1年はかかるという報道に接して,さてその後におけるさらなる「デブリ取り出し作業」は,いったいどうなるのかと予想してみたいところだが,いまのところ,それは考えるだけムダという印象しか抱けないほど,情けない話となっていた。
〔社説に戻る→〕 パイプのミスでは,準備作業に東電社員が立ち会っていなかった。下請け任せの問題や状況把握,意思疎通の不十分さはこれまでも指摘されている。事故後13年余り,失敗を繰り返しながらえてきたはずの教訓を,リスク管理に生かせているのか。
炉内の高い放射線量は電子機器には過酷な条件だ。被曝(ひばく)量を抑えるため作業の制約もある。山中委員長は「小さなミスが,安全上大きなトラブルにつながらないとも限らない」と指摘する。
取り出した試料の分析で一定の情報がえられるが,デブリの全容がわかるわけではない。政府と東電は2011年12月に示した工程表で,着手から10~155年程度で1~3号機のデブリの全量を取り出し,2051年までの廃炉を完了する計画をかかげた。実行可能だろうか。
早稲田大学の松岡俊二教授は米スリーマイル島原発の例から取り出しに約70~170年かかると試算した。これでも「楽観的な数字」という。
さらに,取り出した燃料デブリの処理方法も決まっていない。廃炉後の跡地の姿も不明だ。2051年までの廃炉完了という計画は,どうみても非現実的だろう。
さりとて,新たな期間の見通しや将来像をすぐに描くのも難しい。原発事故の深刻さを改めて肝に銘じ,技術やコストを検証しながら,地元との対話と国民的な議論を重ねていく必要がある。(社説・引用終わり)
ところで,スリーマイル島原発事故の場合を比較する材料してもちだしていたこの『朝日新聞』の社説は,東電が現在もかかげる「2011年12月に示した工程表」が「着手から10~15年程度で1~3号機のデブリの全量を取り出し,2051年までの廃炉を完了する計画」を「実行可能か」と疑問を提示していたが,まったくそのとおりである。疑問しか湧いてこない話題。
【参考画像】-「廃炉に向けた予定表」-
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いいようがない
また「早稲田大学の松岡俊二教授は米スリーマイル島原発の例から取り出しに約70~170年かかると試算した。これでも『楽観的な数字』という」のは,そもそも圧力容器内で溶融が収まり,つまり,そのメルトダウンのみで事故が留まりえたスリーマイル島原発事故に対して,
東電福島第1原発事故現場にように3基もの原発がそれぞれ格納容器にまで溶融進み,つまりメルトスルーまで起こしていた場合とを,いっしょに並べている比較だと,どうしても適切・公正な判断は出しにくいはずである。
といった状況でもあるゆえ,東電福島第1原発事故現場の後始末としての廃炉工程の終了にかかる年月は,「約70~170年」どころかその数倍は最低でも観ておく必要がありそうである。ここではこういう計算をしてみる。
「約70~170年」× 3倍=「約210~510年」(である!?)
もとも5百年先のこととなれば,前段に出てきた登場人物たちのあと何代先の出来事になるというのか? 1世代は30年としてみておき,このさい「約210~510年」の真ん中の時期をとって,「360年の先の時期」になるとしたら,なんと,現在生きているわれわれに世代からだと,13世代あとの時期になる。
いまの2024年からマイナス360年さかのぼると,時代は1664年となり,江戸時代(1600〜1868年)の真っ盛り。仮に逆方向から観ての話としてだが,江戸時代の人間たちが原発をもち大事故を起こした結果,その影響がなんとか収まり消えうる時期が2024年だなどと宣告されていたら,少し時代を巻き戻して明示維新あたりに生きる人たちの立場からは,怒りの声が挙がるに決まっている。
というような話に向かってしまったが,つぎに『読売新聞』の当該社説を取り上げる。
2)「(社説)デブリ取り出し 廃炉への長い道のりの一歩だ」『読売新聞』2024年11月13日朝刊,https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20241113-OYT1T50009/
福島第1原子力発電所の廃炉は,困難で長い道のりになる。政府と東京電力は,廃炉をやり遂げるという強い決意をもって,着実に作業を進めなければならない。
補注)ここでいきなり補注を入れる。この『読売新聞』社説の論調はどうやら,日本に原発を導入するために尽力した人物正力松太郎が読売新聞社主であった関連上,このような書き出しになる論説を書きはじめていた,と観ておくほかないことにする。
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政治家の中曽根康弘が原発導入に大きな役割を果たした
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正力松太郎に関してウィキペディアのある段落はこう解説していた
1955年(昭和30年)1月
米国の新たな情報キャンペーン「平和のための原子力」プログラムを
読売新聞のトップ記事で大々的に紹介
放送やイベントを含む半年に渡る一大PR活動を開始
ちなみにCIAエージェントとしての正力のコードネームは PODAM
〔社説に戻る→〕 東電は,福島第1原発2号機から,溶け落ちた核燃料(デブリ)を採取した。デブリの回収は,原発事故から13年半を経て初めてとなる。この先数十年続く廃炉作業は,最難関とされる工程の入り口に差しかかったばかりだ。
当初,東電は8月に作業を始める予定だった。しかし,取り出し装置を原子炉内に押しこむパイプの接続順が間違っていることが判明し,出だしからつまずいた。
【参考記事1】-『東奥日報』共同通信社配信記事-
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東電は自社員が放射性物質を被曝する状況を非常に嫌っている
【参考記事2】-『北海道新聞』は,以上の「参考記事1」に関連して,つぎのように東電側の工事管理を批判していた。
回収作業をめぐっては,今〔2024〕年8月の開始直前に格納容器に装置を押しこむパイプの並び順を間違える初歩的ミスが発覚した。東電の社員は準備作業で確認していなかった。
作業着手後も装置のカメラに不具合が発生し,一時中断した。高放射線量下でカメラが帯電したことが原因とされる。
東電はメーカーから情報提供がなく,事前に把握するのは困難だったとしている。
東電の下請け任せの姿勢は以前から指摘されてきたが,改善されないまま作業を滞らせた責任は重大だ。管理体制をあらためて点検することが欠かせない。
註記)「〈社説〉デブリ初回収 廃炉に道筋どう付ける」『北海道新聞』2024年11月13日 4:00,https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1087319/
〔社説に戻る→〕 その後,東電は9月に作業を再開したが,今度は途中でカメラが映らなくなり,中断を余儀なくされた。高い放射線量のもとで,電気回路に異常が生じたことが原因だと推定されている。廃炉の現場で安定して作業を進めることの難しさがあらわになったといえよう。
補注)その原因,その作用がどのようなものとして発生,影響しているのか新聞報道でしりうるかぎりでは,素人のわれわれには,ほとんどなにも分かりえない状態にある。それでもただ,推定だけの考量で終わっていたら,今後の「デブリ取り出し作業」に対してさらに,悪影響が生じる可能性を予防することができないのではないか?
〔社説に戻る→〕 福島第1原発の廃炉は,世界でも例のない挑戦で,今後も未知の障害に見舞われることは避けられないだろう。廃炉作業には,東電のほか,関係メーカーや下請け企業などの協力も欠かせない。
複雑なプロジェクトを統括するため,東電はこれまでの失敗から教訓をくみ取り,管理体制の見直しや技術開発などを進めていくことが求められる。
補注)いつも感じるのは,このように「世界でも例のない挑戦」だと説明された,東電福島第1原発事故現場の「廃炉」問題,すなわち「3・11」によって破壊されたこの現状(惨状!)についてだが,
「これまでの失敗から教訓をくみ取り,管理体制の見直しや技術開発などを進めていく」べきだというごとき論旨は,いったいなにを本当はいいたいのか?
その答えは簡単である。もっと気を付けて原発の再稼働,新増設をしようではないか,である。これに尽きるのが,読売新聞社の立場であった。
本ブログ筆者は原発の利用について,例の『失敗学』という学問的な発想をおこないえたつもりで,原発にも失敗という概念をあてはめて,この〈失敗学〉を提唱したという畑村洋太郎の立場を,徹底的に批判した。
どうしてか? 畑村洋太郎は今後においても,原発の失敗(その深刻かつ重大な事故)が発生する事態を結局,前もって容認するほかない「その学問構想の立場」を開陳していたからである。
〔社説に戻る→〕 1~3号機には現在,計880トンものデブリが残る。今回,採取に成功したデブリはほんのひとかけらで,重さは 0. 7 グラムにすぎず,デブリ全体の特性を反映しているかどうか明らかではない。
茨城県の研究機関に送られ,組成や硬さなどが分析される。結果は,デブリ取り出し工法の決定や収納容器の設計に生かされる。量や質が十分でない場合は,再度のサンプル採取も検討すべきだ。
補注)ここでの『読売新聞』社説は参考になる見解を披露していた。そのカケラ,つまり,取り出せたデブリのほんのわずかな一部分だけの成分分析をもってしては,「デブリ全体の特性を反映しているかどうか明らかではない」と指摘した点は,確かにそのとおりである可能性が否定できない。
というか,その微小なカケラのデブリが取り出せたところで,東電福島第1原発事故現場に880トンも抱えこんだままである「現状のデブリ全体」の特徴を,まだ把握できないのではないかという疑問は,これじたいとしてはしごく当然の指摘である。
〔社説に戻る→〕 デブリの本格的な取り出しは,建屋全体を水没させる「冠水工法」, 充填材で固めたうえで掘削する「充填固化工法」など異なる工法が検討されている。いずれも今回の試験的採取よりはるかに大がかりとなり,難度も高い。
補注)当然,それらの工法は経費がより高くなるのではないか? そもそもの話,東電福島第1原発事故が発生した原因は,東日本大震災の激震に原発の施設じたいが本当に耐ええたとしても,大津波の襲来に備えて建設しておくべきであった防潮壁にかける経費を惜しんだ(ケチった)最高経営陣の判断ミスというか,いってみれば怠業的な意思決定に求められて当然のなりゆきが記録されていた。
それゆえ,実際に原発の大事故を起こしてから13年以上もの歳月が経過したいまごろにもなって,「大がかり」で「難度も高い」それらの「冠水工法」や「充填固化工法」を,東電側が採用する可能性はほとんどないのではないか?(東電は現在,東電福島第1原発以外の原発全基を稼働させえていない)
〔社説に戻る→〕 政府は2051年の廃炉完了を目標としているが,すでに当初計画より3年遅れている。いずれ計画を見直すことが避けられなくなるのではないか。その場合,必要となるコストや影響について,十分に説明することが不可欠だ。
東電は,まずは最大限の努力を尽くし,本格的な取り出しに向けた準備を整える必要がある。(社説・引用終わり)
以上の寸評をはさんでとなったが『読売新聞』の社説も紹介し,寸評をはさむかたちで議論してみたが,この社説の最後の段落は「原発を推進してきた新聞社」の立場らしく,東電に対してエールを送るかのような論調になっていた。
いずれにせよ,この読売新聞社の立場は,「原発,止めますか? そうしないと地球は放射性物質で汚れまくることになり,人類・人間のための環境がますます悪化しますよ,それでもいいのですか?」という問いに対して,答える余地(余裕)をいっさい有していない。そのように受けとめて,おおよそ間違いになるまい。
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