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原子力という電源に「脊柱を蝕まれた」愚かなエネルギー観は日本どころかこの地球全体を放射能汚染まみれにしていく

 ★「真の保守こそ反原発の道を 原発差し止め判決,元裁判官の挑戦状」『毎日新聞』2024年10月21日夕刊「特集ワイド」★

 この特集ワイドに掲載されたのはインタビュー(聞き書き)記事である。担当した毎日新聞社の記者は千葉紀和,全文の文字数 3100文字になる長い聞き書きの記事である。

 これまですでにつぎの3著を公刊した元裁判官樋口英明は,「自身が保守の立場」である主義・信条をもっていると断わったうえで,裁判官として「原発の差し止めを命じる判決を下した」体験を踏まえて,原子力村的なエネルギー支配体制がいまだに根強い,この日本国の現状に巣くう「原発問題の重大な深刻さ」を批判している。

 樋口英明のその3著については,【アマゾン通販】の販売情報を借りて紹介しておく。発行された順にの年月を付記しておく。2021年3月,2023年7月,2024年8月。

 樋口英明が使用する「保守」という政治用語の意味は,最近,日本に登場した日本保守党とは形式も中身もまったく完全に異なる。こちらの政党のほうは,保守ということばの概念,そのイロハすら理解していない。

 本当の保守の立場は,革新(やリベラル)の政治的志向と比較するとしたら,自己の立場・イデオロギーをさらにきびしく律しうるための,確固たる信念と健全なる学識を要求する。

きわめてまっとうな「反原発観」を表明・発言している
原子力村の面々からみてこの人は目の上のタンコブ

 樋口英明は,前掲した3著作の公刊をもって,いまでは元裁判官の立場からの発言となってはいるけれども,通例には従わず自分が審理を担当した裁判,それも原発(原子力エネルギー)問題をめぐり下した判例を土台に,まさに「真の保守こそ反原発の道」歩むべき必然的な理由がある点を,入念に語っていた。

 以下,適宜に連番を付して参照しつつ,議論する。なお引用に当たっては若干だが,適宜に補正した個所もある。

 1) 裏金問題や物価高対策が注目される衆院選。だが,忘れてはならない大切なことがある。原発政策だ。「真の保守なら原発に反対するのが当然」と説く人がいる。

 10年前に原発の運転差し止め判決を出した元裁判官の樋口英明さん(72歳)だ。原発推進は保守系,反対は革新系という固定観念をもつ人は意外に思うだろう。どういうことか。

 本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても,これを国富の流出や喪失というべきではなく,豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり,これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である。

原発・裁判の判決から

 2014年5月に関西電力大飯原発3,4号機(福井県おおい町)の運転差し止めを命じた福井地裁判決である。いい渡したのが裁判長だった樋口英明で,2011年3月に起きた東京電力福島第1原発事故後,原発の運転差し止めを命じた司法判断は初めて。憲法の人格権を重視した判決は注目を集めた(運転を容認する2018年7月の名古屋高裁金沢支部判決が確定)。

 一方で原発推進派からは批判が噴出した。一部の新聞は「不合理な推論」「司法の暴走」と指弾し,「左派裁判官の情緒的判断」といった中傷もインターネット上に相次いだ。

 それでも,樋口さんは翌〔2015〕年4月,同じ福井の関電高浜原発3,4号機(高浜町)の再稼働差し止めを命じる仮処分決定を出した。退官後は原発の危険性を訴える講演や,各地の反原発訴訟の助言を続けている。

 補注)その一部の新聞とは『日本経済新聞』『産経新聞』である。こちらの新聞社は『毎日新聞』や『朝日新聞』のような原発反対の立場にはなく,推進派の考えをもっている。

 それゆえしばしば,わけの分からぬ,筋も通らぬ,理不尽,つまり,原発万歳(この無条件マンセー:慢性)の立場から,なんでもかんでも原発については基本からして熱烈に無条件的に賛成する考えを擁していた。

 なかでも,原子力というエネルギーは電源としてみるに,「脱炭素(CO2 )を出さない」のだと,つまり,自然科学的な知識としては完全に間違えた認識に囚われたその立場は,どうみても非科学的であるどころか,世を迷わすヘリクツでしかなかった。

 そもそも,原発が炭酸ガスを絶対に出さない発電の装置・機械ではない点は,常識次元の知識に属する。しかしその事実よりも,この原発の熱効率そのもの半世紀前から「3分の1:33.33%」でしかありえなかったまま,今日まで来ている事実などそっちのけにしておき,

 「原発はこれからの時代も,AIの使用・普及」によって,ますます増大していく電力需要に応えるために,必要不可欠な電源なのだと述べられる見解は,再生可能エネルギーの利用・発展・拡大を妨害するどころか,この原発の有害性,つまり,原発じたいの存在が「原発公害」の発生源であるゆえんを,頭から無視しておきたい「倒錯のエネルギー感」を,完璧なまで露呈させていた。

 2) 核燃料サイクルという原子核工学的な技術工程は,いまだにまともには確立されていない。すなわち「あの夢のような高速増殖炉」の運転はお先真っ暗で,これまで「まともに運営されてきた実績がない」どころか,放射性物質の汚染を地域社会にもたらすばかりで,

 仮にでもその使用済み核燃料を再処理して原発のための燃料を,まさしく「夢のように拡大再生産できる」はずだったその,日本では青森県六ヶ所村に建設中「核燃料再処理工場」は,すでにその稼働のために長期間努力してきたけれども,いまだにその目標は実質においてなんら実現されていない。

 ここでは,その核燃料再処理工場に関連に投じられた基本的な批判は「原発1年分の放射能を1日で出す」などと,その問題性を指摘した,つぎの,原子力情報資料室の根源からの批判を聞いておくのが有益である。

  ⇒ https://cnic.jp/knowledgeidx/rokkasho

 この原文はできればクリックしてその全文を読んでほしいが,ここではその小見出しにかかげられた文章(文句)に,そのいいたいことが表現されていたので,それらを利用して次段からのように,この工場の問題を指摘してすることにしたい。

この工場本来の目的は核兵器の原料に関心がある

 つまり,いかほどにまで,この核燃料再処理工場の試みが「膨大な無駄」と「異様な原発災害」の実例にまでなりつつあるか。その経過と顛末,それも本格的な稼働などまったく不可能な状態をいままでつづけていながらでもなおまだ,この工場の稼働を夢みているという,実にバカげていながらも,とても恐ろしい実情がまさに,青森県六ヶ所村にあるこの工場のなかではいままで持続されてきたのである。

 ▲-1 そのなにがバカらしいかといえばすでに,「六ヶ所再処理工場」のコストは11兆円!!〔にも達しているし,これからも時の経過に応じてドンドン膨らむ〕。

 ▲-2 「続発するトラブル」や「バックエンド費用19兆円」と推算されるコスト問題を考慮し,またその工場での使用済み核燃料の「再処理は廃棄物を増やす!」し,しかも,この再処理工場は「原発1年分の放射能を1日で出す」のである。

 ▲-3 すでに「英・仏の再処理工場周辺で〔は〕小児白血病が多発」してきた。こうなっているのだから「止めよう! 六ヶ所再処理工場!」という理解になるのは,あまりにも当然である。

〔記事に戻る ↓〕
 3) 気骨の人だ。でも「さぞかし左寄りの方だろう」と私も思っていた。ところが,会ってみると意外にも「私の政治思想は保守。革新的な考えなんかまったくないですよ」という。詳述はしないが,天皇制や憲法改正について尋ねると,確かにそうだ。

 「そんな私が許せないのが原発です」と続ける樋口さん。「国土と伝統・文化を敬愛し,現実主義であること」が保守の最低条件だとして,原発の存在はそのすべててに反しているといい切る。

 「原発事故は国土を奪い,歴史を途絶えさせる。危険性は明白なのに,自称保守の政治家たちは現実を直視していない」

 「原発は安全性も必要性も,思いこみと誤解ばかり」。樋口さんの持論を要約するとこうなる。まず,原発には「止める・冷やす・閉じこめる」という安全3原則がある。一つでも失敗したら大惨事だ。

 福島の原発事故では核分裂反応を「止める」ことはできたが,全電源喪失でポンプが動かず,原子炉を水で「冷やす」ことに失敗した。そのため核燃料が溶け落ち,水素爆発が起きて「閉じ込める」のも失敗した。つまり大量の放射性物質が外に放出された。

 補注)同じ発電ための装置・機械でも火力発電所の場合,事故が発生するという事態を想定してみると,どのような現象が起こるか? LNGを燃料に焚く火力発電所だと,もしも爆発事故が起きたとしよう。この場合だとどのような規模で災害となるか?

 火力発電で事故が起こった場合まず,これを装置・機械として「止める」という作業じたいは,事故を起こした段階でひとまずこの火力発電は止まっていることになりうる。

 つぎに「冷やす」ということは,火力発電としては消火するという消防作業になるが,現場において燃料用に備蓄されているガスへの延焼・爆発の危険は想定しておく必要があるが,この「冷やす」という原発事故の対応とはだいぶ性質を異にする。ともかく直接にガス用の消火剤の使用となるが,消火活動は人間が直接近づいてできる。

 なんといっても,放射性物質が漏れて人間・生物に危害が及ぶという事態はないゆえ,ガス爆発に類する事故の発生を防止する「程度の対策」〔といったら語弊があるが〕で,ひとまず消火作業の展開はなんとかはなる。

 さらに「閉じこめる」という原発関連・事故対策用の作業手順は,ガスを使用した発電装置・機械の場合は,そもそもそれに該当するような「事故の発生にともなう対策」としては,近くに必らず設置されている貯蔵用タンクへの類焼防止策が考えられるが,閉じこめるという手順そのものに該当するとはいえず,工学原理的にもとから異質。

〔記事に戻る→〕 東日本大震災と原発事故で福島県では最大16万人超が避難を余儀なくされた。いまも放射線量が比較的高く,避難指示が続く「帰還困難区域」は県内7市町村で計309平方キロに及ぶ。

 それでも「震災後は規制基準を厳格化した。安全対策は万全だ」と信じている人も少なくないだろう。だが「それは完全な思いこみ。耐震性はまったく不十分だ」と樋口さんは一蹴する。

 原発は施設ごとに耐震設計の目安となる基準地震動(想定している最大の揺れ)があり,加速度の単位「ガル」で表す。震災後に再稼働した原発の基準地震動は,もっとも高い関西電力美浜原発3号機(福井県美浜町)で993ガルだ。
 
 補注)この関西電力美浜原発3号機は「運転開始から40年を超える老朽原発として初めて」となったが,2021年6月に再稼働していた。地元住民からは反対運動が起きていたものの,裁判所は地元住民らが訴えをしりぞけた。

 2011年3月に発生した東日本大震災・東電福島第1原発事故を受けて原発稼働については「原則40年」のルールができていた。

 ところが,原子力規制委員会認可すれば最長60年に延長できる規定があって,この関電・美浜3号機に適用された。さらに,2023年5月に成立した「GX脱炭素電源法」では,60年超の運転も可能となっていた。

 4) ところで,以上の補注記述に関しては,従来「原発推進派」であるかのような口吻を間接的にであっても,いつもチラつかせてきた識者高村ゆかりが,こう歯切れの悪い調子で述べていた事実も付言しておきたい。そもそも,この種の発言に関して問題はどこにみいだせるのか(?)という関心を向けて,この発言を聞いてみたい。 

 高村ゆかり・東京大学未来ビジョン研究センター教授は,『毎日新聞,本日,2024年10月23日朝刊1面に掲載された 「『もしトラ』でも脱炭素の動き不変 衆院選の語られない論点」というインタビュー記事の語り手として登場していたが,本ブログ筆者が理解するかぎりでは,もとから原発推進派に腑分けするほかなかった人物の立場から,つぎのように中途半端な話法をもって語っていた(東大話法?)。

 地域の脱炭素社会への移行も支援すべきです。化石燃料からの転換で影響を受ける地域,発電所や関連分野で働く人を,新しい産業創出を通じた雇用拡大などでもっと支える必要があります。

 原発についても同様です。運転時に温室効果ガスを排出しない原発は低炭素電源ですが,新増設には長い時間を要し,安全対策費を含め発電コストは高まる傾向にああります。安易に依存することはできません。依存度を下げるのであれば,立地地域の移行をどう支援していくかも議論すべきです。

高村ゆかりの発言:中途半端が特性

 ここでは前段と同じに「原発は〈運転時に温室効果ガスを排出しない低炭素電源〉ですが」と断わっていた点に注目したい。

 ひとつの疑問は「炭素電源」であってもの排出度が「低」なのであれば,原発は「電源として脱炭素(CO2 )」だといい切っていいのか,という点が残っていた。以前は原発(原子力発電)は稼働中は排出しないとまでいいはっていたが,最近は「その点がさんざん批判されてきた状況」を甘受してだが,そのように「排出度が低い」とかなんとか,いいだしていた。基本点に変更(転向的な変質)が出ていた。

 しかし,前段でもふれたように原発は稼働中であれば熱交換比率の関係でみるに,日本の原発立地はみな海岸ぎわに設置されていて,電力生産に活かされなかったエネルギー分は海水温度を,その交換比率の低比率の逆数的な関係でもって,稼働中は常時,その分を確実に転化し上昇させている。

 原発が廃熱のために周辺・沿岸の海水温を上昇させる環境への悪影響は,原発推進派の立場からでもそれなりに研究が蓄積されてきたが,実際にはほとんど表面には出さないようにそっと,その議論展開や研究成果の公表がなされるだけで,こちらの廃熱分(比率)を考慮に入れれば,原発は「電源として脱炭素(CO2 )」だといい切れないどころか,ほかの『火力発電』と大差ないことは,みえみえのバレバレである。

 そうした理工学的的な法則的理解だといってもいい論点を,意図的にずらして「原発は〈運転時に温室効果ガスを排出しない低炭素電源〉です」というのは,学生の試験答案でいえば「課題外し」であって,それも当該の専門家が意図的に誤魔化す論法でしかありえなった。

 低炭素ウンヌン以前に原発の最大・最強・最凶の問題は,事故のさいに漏れ出す放射性物質が原発災害として,周辺地域=地域社会に放出,拡散されてしまい,甚大な放射性物質による災害を発生させることにあった。チェルノブイリ原発事故,東電福島第1原発事故がそうだった事実は,いまさら言及するまでもない話題である。

 原子力村の関係者たちの発言は,それも原子力核工学を大学・大学院で学習してきた者たちが,原発が事故を起こしていない通常の利用状態にあっても,炭素電源そのものである事実は否定しようもできないにもかかわらず,いつも原発は例外的に「安全・安価・安心」だと喧伝することに熱心でありづけてきた。

 だが,もしも高村ゆかりが「輸入化石燃料に依存する日本にとって,気候変動対策だけでなく,燃料価格が高騰するなか,エネルギーの安定供給や安全保障の点からも正しい。脱炭素社会に変わる市場での日本の産業競争力も必要です。石破茂首相が所信表明演説でGXを『加速させる』と述べたことは評価でき」ると評価すること,すなわち「化石燃料からクリーンエネルギー中心に転換する「GX(グリーントランスフォーメーション)基本方針」を大いに褒めたにせよ,

 そこにおいて,原発の〈運転時に温室効果ガスを排出しない低炭素電源〉という性格を前面に出して強調する発想は,現実における原発という装置・機械のいわば〈起承転結〉の全容を,まったくに基本から十全にわきまえない短絡の思考であって,エネルギーの生産・消費に関する《経済性計算の基盤》の上では,ほとんど評価できる条件が整えられていなかった。

 結局,無理やりに原発に不当な期待をもたせたところで,原発の建設計画段階から実際の稼働期間を経たあと,さらに,廃炉工程にまで逢着する「原発の全体工程におよぶ運命(宿命)の非常に長期間に及ぶ経路=技術工程」は,まことに長期間にまでわたって,いわば「高炭素になるほかない作業の期間」がつづくゆえ,当面の観察だけをして目先をくらますような議論をすべきではない。

  5) 原発推進派がいままで記録してきた「世迷言(よまいごと)」に等しかった原発観,換言すれば「安全・安価・安心」という〈原発神話〉は,いまとなってみれば「やまひ(病)ごと(言)」の意味であった事実を否定できまい。

 いつまでも「原発の稼働中は炭酸ガスを出す程度(比率?)が低い」などいったような,昔であればけっして口に出さなかったいいぶんが,最近になると,あたかもこちらが真実に近い「事実?」だった(!)とでもいいたげに語れるこの口調には,正直いってウンザリさせられる。

〔樋口英明・記事に戻る→〕 ところが,現実の地震はこの数値を優に上回る。いずれも最大震度7だった今〔2024〕年1月の能登半島地震は2828ガル,2011年3月の東日本大震災は2933ガル。過去最高は2008年6月の岩手・宮城内陸地震(最大震度6強)で4022ガルだった。

 今〔2024〕年8月には南海トラフ巨大地震の臨時情報(巨大地震注意)が初めて発表された。想定震源域にある,四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)の基準地震動は650ガルと心もとない。

 「原子炉は硬い岩盤に建っていて,揺れは地表面より小さくなる」というのも誤解で,記録を調べると,岩盤の揺れが地表より大きくなることはままある。そもそも,半数近い原発は岩盤が地下深くにあり,岩盤上に建造されていないという。

 地震観測網の本格整備は1995年1月の阪神大震災を機に始まった。それ以前の地震学では重力加速度(980ガル)より強い揺れは来ないとされていたが,近年は想定をはるかに超える値が珍しくないと分かってきた。なのに,対策が追いついていないのだ。

 6) 樋口さんは古巣にも憤る。再稼働を止めようとする訴訟が各地で起きている。本来重要なのは福島の原発事故後に見直された新規制基準じたいが適切かどうかだ。

 なのに,裁判所は新規制基準が適切であるとの前提で,各施設が基準に適合しているかどうかばかりに目を向けているというのだ。「まさか裁判所が規制基準の後追いをしているだけなんて国民は思わないでしょう」

 思いこみや誤解はまだまだある。「原発がないと日本の電力は立ちゆかない」と思われがちだが,稼働中の原発が全国の電力供給に占める割合は5%程度に過ぎない。「発電コストが安い」もしかり。

 米政府機関の試算では太陽光や陸上風力の費用が原発の半額以下で,欧米では採算を理由に廃炉する例もある。

 「核武装の潜在能力を保持するため」と放言する政治家もいる。だが,核保有国とされるイスラエルは電力を原発に依存しておらず,南部の砂漠地帯などに核研究施設を設置している。

 核武装の潜在能力うんぬんは,原発を続ける理由にはならない。

 ロシアのウクライナ侵攻で原発が攻撃されたが,日本の海岸沿いには無防備な原発が50基以上並ぶ。

 「保守政治家は平和を叫ぶ人びとを『お花畑だ』とバカにするが,それはどっちなのか。原発はエネルギー以前に国防問題だ」と樋口さんは訴える。

 振り返れば,日本の原発はすべて自民党政権下で建造された。化石資源が乏しく,使用済み燃料を再処理して高速増殖炉で使う「核燃料サイクル」をめざしてきたが,事実上破綻している。地方振興の側面もあったが,原発事故は福島に被害を押しつける形となり,状況は一変した。

 なのに,岸田文雄政権では原発新増設の検討やリプレース(建て替え)の具体化,最長60年としてきた運転期間の延長を認めた。今〔2024〕年9月の自民党総裁選で「原発ゼロ」に言及した石破 茂首相も,結局は岸田氏の路線を踏襲するとみられる。

 補注)岸田文雄が首相になってすぐにだが,そのように「原発新増設の検討やリプレース(建て替え)の具体化,最長60年としてきた運転期間の延長を認めた」事実に接したとき,

 本ブログ筆者は唖然というか,この首相,仮にそれほど狂っていなかった「世襲3代目の政治屋」だとしても,実は原発(原子力)問題に関して,なんらまともに勉強をしていないし,もともと基礎知識すらもちあわせていない人物だと,判定するほかなかった。

 岸田文雄も「世襲3代目の政治屋」のボンボンであったが,安倍晋三も同じ世襲のボクちんであって,東電福島第1原発事故のことを,原子力緊急事態宣言が出ている最中に(現在も同じに撤回されていないが),そしていまもなお,その事故現場からデブリが全然除去させえていない状態に置かれている事情があったにもかかわらず,現地は「アンダーコントロール」でゴザイマスと(2013年9月段階で),放言した。無責任のきわみであった。

 要するに,安倍首相自身が完全に脳天気なのでなければ,このような「完全な嘘」を平然とつけることはありえないはずだが,それでもこうまで述べていた。国会でも正式に認定された嘘つき名人であった彼のことゆえ,この程度のウソなど, “お茶のこさいさい” であった……。

 Some may have concerns about Fukushima. Let me assure you, the situation is under control.

この布告はいまも持続中

 7)〔記事に戻る→〕 自民党政権が原発に固執する理由について,樋口さんは「現実から目をそらし,原発推進が単なるイデオロギー(観念)になっている」と指摘する。

 新増設と簡単にいうが,原発は建造に時間がかかる。いまから着工して動かせば,運転終了は22世紀になり,廃炉や放射性廃棄物の管理で,さらなる未来の世代まで縛ることになる。景気を浮揚させようとしても,大惨事が再び起きれば国家の損失は計りしれない。

 補注)少なくとも,日本に特定することなく「原発の大事故」は,絶対に発生させてはならない。その「大惨事が再び起きれば国家の損失は計りしれない」と表現されたこの「実際の中身」は,もしも日本国内で再び起これば,もはや完全に日本沈没となる。それだけでなく,近隣諸国を中心にして世界中に多大な悪影響をもたらす。

 なお,韓国紙の『HANKYOUREH ハンギョレ』に2023年11月23日に掲載した解説記事であったが,つぎの見出しになる記事を掲載していた。日本語訳なのですぐに読める。なぜ,六ヶ所村再処理工場がなくならないかの理由が説明されていた。


〔樋口・記事に戻る→〕 「私が原発に反対するのは愛国心からです。いまの日本で原発ほど重要な問題はなく,真の保守政治家なら身を捨ててでも止めるべきものではないですか」
 
 補注)樋口英明の求める「真の保守政治家」など,おそらく1人もいない。そういった類いの政治家だとみなせる人物,少しでもアテになりそうな国会議員は,とっくに自民党の政治家のなかにはいなくなっていた。

 樋口さんは,新著『原発を止めた裁判官による 保守のための原発入門』(岩波書店)を8月に刊行した。この本を〈保守に対する挑戦の書〉と銘打ち,こう記した。

 「真の保守を自認する者がこの本を読んだ後も「原発維持」を唱えるのなら私の負け。しかし,それはありえない。」

 たいした自信であるが,しかし,ここまで断じていわねばならないくらい,日本における原発問題の現況は危険がいっぱいである。

 --以上のインタビュー記事をとりまとめて記事にした毎日新聞社の記者千葉紀和は,「さあ,保守に誇りをもつ皆さん。この挑戦,受けて立ちませんか。」と語りかけていた。

 だが,現状の保守陣営のなかにはたして,以上のような樋口英明の宣明を本気で真正面から受けとめるだけの度量の点はともかく,最低限の理解力を備えた政治家はいるのか?

 ネトウヨ的にゴミ同然である,オジサン,オバサン的な国会議員ならば掃いて捨てるほどいるのだが,以上のごとき樋口英明の主張を理解できる「彼ら・彼女ら」は,ほとんどいないようにしか映らなかった,現状の「国会の風景」。

 そういった悲観的な気分で,本日に論及した話題を設定し書いてきたが,樋口英明元裁判官という存在が日本の政治社会に与えられた事実は,とても幸いな出来事であった。

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