
1941年「夏」戦時体制下日本はすでに敗戦することを社会科学的に予測しえていたが,昭和天皇裕仁は納得ずくで大元帥の立場から大東亜戦争開戦に賛成する御名御璽に応じたのは,勝算ありと期待したからだったが,敗戦となるや東條英機のせいにして自分だけは戦犯から逃れ延命するという姑息に遁走,これを利用してマッカーサーもまた自分の栄誉をさらに昂揚させようと企図した戦後敗戦史(続編の2)
【断わり】 本記述は以下の2稿を受けている。できればこちらをさきに読んでもらうのが内容展開上,好都合である。
※-1 武器貸与法(Lend,Lease Act;レンド・リース法)
1) 1941年3月の出来事であった。第2次世界大戦中まだ参戦していなかったアメリカにおいて,F・ローズヴェルト大統領が議会に提出した「武器貸与法」が認められた。
この法律は,イギリスなど連合国を支援するため武器貸与を認めていた。しかも「借款ではなく貸与」であって,連合国にはのちにソ連も含まれた点が重要となる。その後,アメリカじたいが同年12月8日(日本時間),日本の真珠湾攻撃を受け,第2次大戦に参戦する。
当時,アメリカ議会はイギリスなど「枢軸国側と戦う諸国」に対して,武器・軍需物資を貸与することを定めた,この「武器貸与法 Lend, Lease Act (レンド・リース法)」は,利子付きで返済する必要がある借款ではなく,貸与= Lend ,または賃貸= Lease するものであり,使用後に返還するか,賃貸料を支払えばよいと規定してので,イギリスなど貸与される国々にとってその負担は少なかった。
また,1941年6月に独ソ戦が始まると,ソ連に対しても戦車・飛行機などを提供して支援した。アメリカは同年12月8日,日本の真珠湾攻撃によって日本と開戦,ドイツ・イタリアも宣戦布告し,この時期から正式に参戦し,ヨーロッパ戦線・太平洋戦線に莫大な兵力と物量を投入することになった。
同時にこの武器貸与法は,イギリス,フランスのみならず,ソ連や中国(蔣 介石政権)も対象として連合国を幅広く支援し,物資面でも連合国を支えた。
要点・1 同法は貸与または賃貸が可能であり,第1次世界大戦でのアメリカの支援が借款であり,戦後にその返済でイギリスが苦しみ(さらにイギリスに支払う賠償でドイツが苦しみ),戦争の再発につながったことを反省したものとなったので,基本的には貸与の形式を採り,使った武器は戦後返還するか,損傷したものは賃貸料を払えばよかった。
要点・2 その対象がソ連や中国へひろがり,とくににソ連に対する支援は国内でも反対が強かった。けれども,F・ローズヴェルトは「敵の敵は味方」と割りきり,ソ連を支援した。武器貸与法はイギリスが対象という印象が強いが,教科書本文には「武器貸与法によってイギリス・ソ連などに武器や軍需品を送り」とはっきり書いている。
注記)以上は『世界史の窓』「世界史用語解説 授業と学習のヒント-武器貸与法」https://www.y-history.net/appendix/wh1505-036.html から。
上記,ウィキペディアの説明によれば,第2次大戦中から1945年9月30日まで,ソ連に対して出荷された軍需物資の合計は,以下の一覧のとおりであった。
航空機 14,795機 戦車 7,056輌 ジープ 51,503輌
トラック 375,883輌 オートバイ 35,170台 トラクター 8,071台
銃 8,218丁 機関銃 131,633丁 爆発物 345,735 トン
建物設備 10,910,000 ドル 鉄道貨車 11,155輌 機関車輛 1,981輌
輸送船 90隻 対潜艦 105隻 魚雷艇 197隻 舶用エンジン 7,784基
食糧 4,478,000 トン 機械と装備品 1,078,965,000 ドル
非鉄金属 802,000 トン 石油製品 2,670,000 トン
化学物質 842,000 トン 綿 106,893,000 トン
皮革 49,860 トン タイヤ 3,786,000 軍靴 15,417,001 足
2)「武器貸与法」がソ連に適用された事情・背景
以上の 1) の解説はつづけて,こう記述していた。今日・現在というか,ごく最近の世界政治においては,2025年1月20日にアメリカ大統領に再選されたドナルド・トランプが「プーチンのロシア」は,2022年2月24日に始めたウクライナ侵略戦争,すでに3年近くも長期間,戦争がつづいているこの状態を,オレが停戦させる(休戦から終戦までもっていく)と,たいそうな自信と気迫を示し,すでに働きかけを開始していた。
それにしても,第2次大戦中に連合国側で戦ったソ連に対して,「武器貸与法」でそれこそ惜しみなく兵器・武器を貸与していたからこそ,ソ連はまずはドイツを最終的に撃破できたのである。
またソ連は1945年5月7日,連合国軍としてドイツを無条件降伏させたあと,同年8月8日,ソ連は突如(とはいっても事前から予定の作戦であったが),日本に宣戦を布告し,翌9日にはソ連軍機甲部隊が国境から南下を始め,またたく間に満洲地域(満洲国であった現中国東北部)や朝鮮半島北部を制圧した。
以上の戦争過程において「ソ連への兵器・武器の貸与」については,つぎのような説明が参考になる。
a) 武器貸与法がアメリカ議会を通過したので,イギリスおよび中国にはただちに武器貸与が始められた。1941年6月に独ソ戦が始まると,F・ローズヴェルトはドイツが宣戦布告せずに対ソ侵略を開始したことから中立法の適用を除外し,ソ連がアメリカの武器を購入することを認めた。
しかし,武器貸与法の適用に対してはソ連軍がすぐに負けるのではないかという観測もあり,軍が消極的であった。しかしF・ローズヴェルトはソ連の敗北は,直接イギリス・アメリカの敗北につながるとして,10月,三国間の武器貸与協定を締結してソ連軍にも武器貸与を開始した。これによって戦車や航空機が,北海ルートや中央アジアルートでソ連に送られた。
b) 武器貸与の実際はどのようになされたのか。武器貸与法によって,1945年までに,全体で金額に換算すると約500億ドルの供与がおこなわれ,その内容は〔前述に一覧してあったように〕,武器,戦車,航空機,車両,船舶から軍靴にいたるまでのあらゆる軍需品が含まれていた。
第2次大戦中に武器貸与法で供与されたその総額約500億ドルの内訳は,イギリスに314億ドル,ソ連に 113億ドル,フランスに32億ドル,中国に 16億ドルという多額の数字になっていた。
戦後の1945年に,米英金融協定が成立し,アメリカは武器貸与法によってイギリスに供与した約200億ドルの賃貸料を免除した。これによって,第1次世界大戦後のような賠償問題は発生することがなかった。
c) アメリカにとっての武器貸与法 武器貸与法が成立し,連合国諸国に大規模な軍需品の提供が始まった事実は,軍需産業を中心とするアメリカ経済にとっても重大な意味を発揮した。
世界恐慌以来,アメリカの失業者の増大はなおも続いており,1940年には800万人を数えていた。だが,1941年の武器貸与法の成立による軍需産業の本格化,さらに同年末のアメリカ参戦によって,
1942には失業者は266万に減少(失業率 4. 7%)した。1943~1944年は失業率 1. 9~ 1. 2%という超完全雇用を達成した。ニューディールが理想とした完全雇用は,戦争景気で達成されたのだった。
注記)以上,「戦争の記憶~ソ連の対日参戦 写真特集」『時事通信』https://www.jiji.com/jc/d4?p=sov808&d=d4_mili 参照。
d) 1929年秋,ニューヨークの株式市場から発生した世界大恐慌から受けたアメリカの痛手は,いつまで経っても経済を十分に立ちなおらせないほど大きかった。とはいえ,第2次大戦中,当時までの不景気:景気後退の経済状況から抜け出せていなかったアメリカであっても,すでに,一大工業生産国家体制を誇れる経済大国にはなっていた。
そこへともかく,戦争が特別の需要をそれも尋常ならざる「戦時需要」として,しかも「武器貸与法」を成立させたうえで,つまり国家が先頭に立って指揮・督戦する兵器・武器の多量生産体制が,アメリカの工業力の底力を発揮させるかたちで実現されることになった。
この場合,当然のなりゆきだったが,アメリカの軍需産業は「当面する戦争のための需要を満たす」ためであって,それじたいとしてはけっして「生産的な使途:消費」に向けられるそれではなく,どこまで当面する戦争目的のための「兵器・武器やその他関連物資」の「生産-販売」という企業の営利活動のための展開になっていた。
しかし,第2次大戦中においてその「武器貸与法」を提供された各国は,日独伊の「三国同盟」と戦った連合国側の国々の立場としてならば,それこそ,アメリカからの兵器・武器援助は「干天の慈雨」も同然であった。
e) ここまで説明を進めることができれば,さらにつぎのように前世紀と今世紀とにおいてそれぞれ発生した「戦争事態」について,ひとまず「第2次大戦」とここでは「宇露戦争との比較」となるから,その規模に関しては一定の差があるとはいえ,時代:世紀をまたいで語れるような話題となりえよう。
すなわち,2022年2月24日に「ロシアのプーチン」が隣国のウクライナに侵略戦争をしかけ,それも,ごくたやすく一気に同国政府を崩壊させうるつもりで攻め入った。
ところが,ロシアが立案した侵略作戦そのものが甘く,またウクライナ軍側が当初からなんとか,それのうまく対応・反撃していたので(直後から応戦するための対陣の構築とそのたくみな展開がなされた),3日から長くとも数週間あれば,その戦争が完全に勝利できるなどと「相手を完全に舐めきって予定してみた」「プーチンのロシア」によるウクライナ侵略作戦は成就するに至らず,腰砕け的に失敗,頓挫した。
しかし,ロシアは現在もなお,ウクライナの領土の5分の1ほどを,今回「特別軍事作戦」の成果(戦果)としてかじりとったまま,両国間の戦闘状態が続けられている事実は,両国の政治経済に対して重大かつ深刻な影響を与えてきた。
ところが2024年8月からであったが,ウクライナ軍側がロシア領内のクルスク州の一部地域に突如,逆襲的に侵攻し,占領・支配した。その地域は,ウクライナがロシアに現在奪われている広い面積に比較すれば,ごく小さな場所に過ぎない。
けれども,プーチンの立場にとってみれば,予想だにしなかったウクライナ側の作戦展開の結果(ある意味では大成功)だったというべきしだいになり,ある意味,ウラジミールの面子を完全にうしなわせた要因にもなった。
補注)『日本経済新聞』2025年2月12日朝刊(昨日となる)の5面「オピニオン」に掲載の「〈中外時評〉ウクライナ終戦の予言のゆくえ」は,論説委員の石川陽平が書いていたが,そのなかにはこう分析・解説する段落があった。途中からの引用となる。
戦争が不可避だったと考えられる根拠は3つある。
まずプーチン大統領らロシアの保守派は,ロシア人とウクライナ人を「ひとつの民」とみなす。東スラブの単一の民族はけっして分離してはならないというある種の狂信だ。
ふたつ目は,ウクライナ人がロシアなど隣国の支配からの解放を長年の悲願としてきたことだ。17世紀のコサックによる国家樹立の試み以来,綿々と受けつがれてきた自由を求める熱き民族意識がある。
この2つのナショナリズムの衝突に〔さらに〕,米欧とロシアの勢力争いが重なった。それはウクライナをめぐる単なる地政学的争いではなく,キリスト教が影を落とした。
カトリックやプロテスタントの西欧と正教の守護者とされるロシアの根深い相互不信と対立だ。
ウクライナ問題を予言した1人には,ロシア人のノーベル賞作家ソルジェニーツィンもいた。「ウクライナとの関係はひどくつらいものになろう」。1960年代に『収容所群島』にこう書いた。
ただ,ソルジェニーツィンが「彼らの全民族的な激しい情熱を認めなければならない」と,忍耐強い話しあいを訴えたことも忘れてはならない。残念ながら,ロシアは侵略という暴挙に出てしまった。
(中略)
侵略者に都合の良い予言は禁物だ。ただ,ロシアという国は時に不可解で深い闇をみせる。少なくとも「3年での終戦」は,トランプ氏の登場で実現への機運が高まった。
戦況で優位に立つロシアは交渉を急がないとの見方もあるが,ウクライナに多大な損失をもたらした悲惨な戦争をこれ以上長引かせてはならない。
「力による平和」をめざすトランプ氏には,いまこそプーチン氏に終戦への強い圧力をかけてもらいたい。
「ウクライナ終戦の予言のゆくえ」
宇露戦争の事情や背景には,そのような昔からの歴史的経緯もからんでおり,われわれ素人の立場からはなかなか理解しにくい要因がいくたあるが,この戦争が勃発したせいで,メディア・マスコミはもちろん,SNSで慎重にその動画サイトを選んで学習していく気さえあれば,ある程度までは認識を深めることができる。
f) ここではあらためて,第2次大戦中にアメリカが「武器貸与法」の適用において,社会主義国(共産主義国)であったために基本的には敵視していたソ連であっても,「敵の敵は味方」だという理屈を立てて,戦争勝利のためであればあえてでも,莫大な物量を援助していた事実を思い起こしておきたい。
補注)もっとも,最近アメリカ大統領となったトランプは,ウクライナに対する軍事支援は継続していくものの,ウクライナのそれもとくにロシアにだいぶ占領されている地域を中心に,ウクライナ国内から多く産出されるレアアース(希土類の地下資源)の入手を,「トランプ流のディール」の対象として強く意識しており,つまり,軍事支援に対する埋めあわせをその稀少土類資源で返させる〈今後の構図:構築〉を狙っている。
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【参考記事】-『産経新聞』から-
〔本文に戻る→〕 ところが,21世紀も第1・四半期が終わるころ,そのロシア(旧ソ連)がおっぱじめた隣国:ウクライナへの侵略戦争に対面したアメリカは,ヨーロッパ諸国に率先する形勢でもって,ロシアに抵抗するウクライナへの兵器・武器援助を,それもプーチンの出方・反応をみながらであるが,相当の大量を注ぎこんで支援してきた。
ウクライナ側はそうした米欧の軍事支援などがあって,ロシアとの3年にもなる戦争に耐えているが,このロシア側の国内経済事情としての戦時経済体制は,前段で引用した『日本経済新聞』の論説のなかに,「戦況で優位に立つロシアは交渉を急がないとの見方もある」とはいっても,はたしてこのとおりに受けとっていいとは判断しかねる要因が混在している。
というのは,戦時体制としての現在のロシア経済は,いますぐにでもウクライナへの侵略戦争を止めたら止めたで,いままで戦争状態をすでに前提とした経済運営がなされてきただけに,すでにほぼ「破綻に近い現実」そのものが,もしかすると一気に露呈すると予測されているのである。
g) その点は,杉浦敏広「ついに見えてきたプーチン王朝崩壊の兆し,早期停戦なければ今年前半にも この2か月で3兆円の資産と 100トン以上の金売却,財政破綻は秒読み段階」『JBpress』2025年2月8日,https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/86503 が詳細に分析したうえで主張している。
杉浦敏広のこの論説はかなり長い解説をおこなっているので,冒頭頁からつぎの要点のみ引用しておく。
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さて話題は飛んで,戦時日本の話題に変えて議論したい。
実際,旧日本軍側は戦争末期にいたる以前すでに,「満洲国に配置されていた各師団」のうちの多く兵員数は,わけてもとくに太平洋地域の戦線に引き抜かれ配置転換されてしまい,満洲国の中では「かかしの軍隊編制」化していた。満州国内における日本軍の実力は,すでにもぬけの殻に近いボロボロの状態になっていた。
そこへ1945年8月8日,参戦してきたソ連の軍隊は,前段に説明した「武器貸与法」によって豊富に装備した軍隊として,「圧倒的な物量」と「その兵器・武器の決定的ともみなせた性能格差」となっていたからには,これに日本軍が対戦するにしても結局,初めから倒壊させられ敗走すること以外,なす術がなかった。
h) 以上のごとき第2次大戦中のアメリカによる「武器貸与法」に似て,「ロシアのプーチン」の軍隊の侵略を受けたウクライナが,ヨーロッパ諸国からの支援もあってだが,とくにアメリカからの軍事支援を強力なテコにして応戦できたからこそ,現在まで宇露戦争が3年にわたり継続してきた。
換言すると,このたびの「プーチンのロシア」が,ウクライナを軍事侵攻し,ロシア連邦の一部と化すためだった侵略行為に対して,基本的には「歴史の事実」としてならば,きわめて酷似した事例となった,今回におけるアメリカによるウクライナへの「兵器・武器の支援(供与)」は,そのプーチンの企図・野望を当初から阻止しえたことになる。
宇露戦争の初期において,一番特長的に目立ったアメリカからの軍事物資支援に,ジャベリンという名称の「歩兵携行式多目的ミサイル」があった。現在までロシア陸軍が保有していた戦車のうちすでに4千台が破壊されたという数値は(その後はジャベリンだけでなくとくにドローンの攻撃による戦車の損害も増えているが),2カ国間の3年間における戦争過程がもたらした「ひとつの結果」として,プーチンの立場をひどく悩ませたはずである。
【参考記事】 -『JBpress』2024年12月13日から-
これまでの宇露戦争の事実経過に関してはひとまずともかくも,アメリカをはじめ,ヨーロッパ諸国(このなかには旧ソ連邦の社会主義同盟関係にあった東ヨーロッパの国々も含まれている)からの兵器・武器などの支援を受けてこそ,ロシアといままで3年の長期を戦いえた『ウクライナ側の戦争持続力』は,同時に数多くの人的犠牲者と国土の大々的な破壊を被っていながらも,なおロシアに対する抗戦力を保持しえている。
このたびの宇露戦争において発生・結果していた両国の人的・分的な損害状況は,今後においてその詳細が徐々に明らかになるはずだが,戦争じたいが長引くにつれてその損害が急増しつつある事実は,大日本帝国時代のこの国がすでに実証ずみであった。以下のかかげる統計図表のうちでは,最後のものがその付近の戦争事情に触れている。
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日本軍の戦没者数は1944年から全体の91%を占める281万人にまで達した
※-2「プーチンのロシア」によるウクライナ侵略戦争の犠牲者数に関する報道-2024年9月18日 ⇒2024年12月9日 ⇒2025年2月1日-
a)「ウクライナとロシア両軍兵士の死傷者,推計100万人… 米紙報道」『読売新聞』2024年9月18日 18:38,https://www.yomiuri.co.jp/world/20240918-OYT1T50134/ の情報
米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは〔2024年9月〕17日,2年半に及んでいるロシアのウクライナ侵略での両軍兵士の死傷者数が推計で約100万人に達したと報じた。
ウクライナ軍に関しては自国の推計値として死者約8万人,負傷者約40万人としている。ロシアについては,西側の情報機関の推計に基づき,戦死者数が最大約20万人,負傷者数は約40万人としている。
英国防省は17日,露側の死傷者数が約60万人とする推計を発表した。戦場での自軍の死傷者数の公表をめぐっては,ロシア,ウクライナとも消極姿勢が際立っている。
b)「ウクライナ ロシア軍事侵攻以降 軍死モノ4万3000人 支援呼びかけ」『NHK』2024年12月9日 6時44分,https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241209/k10014662121000.html が伝えた「宇露戦争の犠牲者数」(以下の引用では文体を変えた)
ウクライナのゼレンスキー大統領は,ロシアによる軍事侵攻が始まって以降,ウクライナ軍の死者は4万3000人にのぼると明らかにするとともに,アメリカをはじめとする国際社会に対し,さらなる支援を呼びかけた。
ウクライナのゼレンスキー大統領は〔2024年12月〕8日,自身のSNSに投稿し,ロシアによる軍事侵攻が始まった一昨年〔2022年〕2月以降のウクライナ軍の死者数について「戦場で4万3000人の兵士を失った」と明らかにした。
侵攻によるウクライナ軍の兵士の死者数は,今年(2024年)2月にゼレンスキー大統領が初めて公表した3万1000人から1万2000人,増加した。また,負傷した兵士を治療した件数は37万件で,負傷兵のおよそ半数は戦場に復帰しているとしている。
一方,ロシア軍の死傷者は死者が19万8000人,けが人が55万人以上だと主張したうえで,今年(2024年)9月以降のロシア軍の死者数は,ウクライナ軍の5倍から6倍だと指摘した。
補注)この「ロシア軍の死者数は,ウクライナ軍の5倍から6倍だと」という指摘は,にわかには信じがたい数値である。だが,露軍が宇軍の数倍の犠牲者(死・傷者の双方)を出している点そのものは,事実と認定できそうであった。「プーチンのロシア」軍による人命軽視(ないしは完全なる無視)という点は,今回の宇露戦争のなかでも明解に浮上した事実そのものとして,そうした死者数の推定作業においては十分に顧慮されてよい。
〔記事に戻る→〕 そのうえで,ゼレンスキー大統領は「プーチン氏を止められるのは,平和の指導者となりうる世界の指導者たちの力だけだ。プーチン氏を止めるには,アメリカと全世界の支援が必要だ」として,アメリカをはじめとする国際社会に対し,さらなる支援を呼びかけた。
c)「ウクライナ,人口100万人減か 50万人が死亡,移住も50万人」『毎日新聞』2025年2月1日 09:13,https://mainichi.jp/articles/20250201/k00/00m/030/017000c
ウクライナ国立銀行(中央銀行)は〔2025年1月〕30日,ロシアによる侵攻などの影響で,昨年約50万人が国外に移住したとする報告書を発表した。ウクライナメディアは31日,司法省の統計を基に,昨年約50万人が死亡したと報道。二つのデータを合わせると,人口が1年間で約100万人減少したことになる。
中央銀行は昨年の国外移住者数について予測の範囲内とする一方,侵攻の影響で流出が続き「労働力不足が深刻だ」と分析した。今年も20万人の流出をみこんでいる。
国外での生活に適応すれば,帰国を望む人の割合は減ると予測し「現状では大勢が迅速に帰国するとは考えづらく,労働力不足は続く」とした。(共同)(引用終わり)
以上の,ここ半年内に報道された記事は,戦争=戦乱という大事件が人びとの生活基盤をうしなわせるだけでなく,生命と財産まで奪う「不幸と不運」をもたらすだけの大事となる出来事になっている点を,どの国・どの地域で起きる戦争行為でも同じに結果させられる事実であることを教える。
※-3 『日本経済新聞』朝刊「経済教室」に連載された一橋大学教授岩崎一郎の寄稿記事- 2025年1月6日から17日が「議論したロシア戦時経済の根本問題」
1) 「〈やさしい経済学〉ロシア戦時経済の憂鬱(1) 失った『機会コスト』の重さ」『日本経済新聞』2025年1月6日朝刊,https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD112KI0R11C24A2000000/ (なお以下の引用では文体を変更などしてある)
【人物紹介】「いわさき・いちろう」は一橋大学博士(経済学),専門はロシア東欧経済,比較経済論。
--2022年2月24日,ロシアのプーチン大統領がウクライナに対する「特別軍事作戦」実施を布告した。その時から,まもなく3年の節目を迎える。
国連安全保障理事会常任理事国のロシアは本来,平和の守護者たるべき存在である。そんなロシアが「ウクライナ政府の虐殺行為から(同国東部2州の)人々を保護する」という根拠薄弱な理由で国際法をないがしろにした。
プーチン政権の蛮行を押しとどめるべく,わが国を含む国々がロシアに対してきびしい制裁措置を,矢継ぎ早に実施したのは周知のとおりである。しかし,ロシア経済は2022年こそ前年比マイナス 2.1 %の景気後退となったが,翌2023年は 3.6%のプラス成長に復帰しており,その後も堅調に推移している。
この事態は,ロシア中央銀行の2022年成長予測が,当初はマイナス8%だったように,多くの専門家や研究機関にとって,実に予想外のことであった。
前代未聞な規模の国際制裁がさほど効果を発揮していないわけで,制裁実施国を中心に一種の失望感が生じていた。ただ,ここ数年間のロシアに関する調査・研究活動からは,プーチン政権は膨大な「機会コスト」を喪失し,この国〔=自分が支配する国〕に重い代償を強いていることが分かる。
機会コスト〔opportunity cost〕は経済学の重要概念のひとつで,ある決定によって失われた,他の選択肢からえられたであろう価値である。別名「逸失利益」と呼ばれる。
機会コストは実現されない便益や利益なので見逃されがちだが,経済学者はこの視点を大変重視している。ウクライナ戦争の経済的帰結を考えるさいも,実際に生じた人的・物的被害だけでなく,ロシアが失った機会コストに注意を払うべきなのである。
機会コストが生じた領域は広くかつ甚大である。この連載では,ウクライナへの侵略によってロシアが受けとることのできなかった利益や,被ることになった損失とはどんなものであるのかを,主に機会コストの観点から考えることにしたい。
2)「〈やさしい経済学〉ロシア戦時経済の憂鬱(2) 国富たたき売りの代償」『日本経済新聞』2025年1月7日朝刊,https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD112QE0R11C24A2000000/
国際社会から厳しい制裁を受けているにもかかわらず,ロシア経済が堅調に推移しているひとつの大きな理由は,原油輸出からえられる外貨収入が一定程度確保されていることにある。
ロシアは米国に次ぐ世界第2位の原油産出国で,原油輸出もサウジアラビアに次いで世界第2位である。天然ガスや石炭も豊富である。総輸出額に占めるこれら化石燃料の割合は,今世紀を通じてつねに5割を占め,ロシアの国家財政を大いに潤してきた。
ロシアにとって生命線であるこの外貨獲得源を遮断しようと,欧米諸国は侵攻直後にロシア産原油の禁輸や天然ガスの輸入制限などを実施した。当時の欧州はロシア産エネルギー最大の需要者で,この措置がロシアに与えるダメージは大きいだろうと予想した。実際,内外の専門家や研究機関はこの点を考慮して,2022年の経済成長率をマイナス7〜15%と予測した。
ところがロシアは,原油や石油製品の輸出先を欧米諸国から中国,インド,トルコなどの非制裁参加国へ転換し,難局を打開した。この事実に専門家も正直驚いたが,すぐにその理由が明らかになった。ロシアは,プーチン大統領が「友好国」という国に対し,3〜4割の値引きをしていたのである。
欧米諸国はこの事態を逆手にとり,ロシア産原油と石油製品の取引価格に上限を設定し,ロシアが第三国へ安く売りつづけざるをえない状況に追いこんだ。油価の暴騰による世界経済への影響を回避しつつ,ロシア政府の戦費調達を大きく制限する巧妙な仕組みだといえる。
一説によれば,ロシア産原油の原始埋蔵量は約60年分であるが,採算がとれるのは20年弱分に限られる。つまり,ウクライナ侵略を決定することで,プーチン政権は貴重な国富を叩き売りし,しかもその収入を将来の発展にではなく,戦争に浪費するという選択をした。
ロシアにとってこの機会コストは非常に大きいといわざるをえない。石油資源が枯渇した時に,ロシアは戦争の代償の重さを,あらためて思いしるはずである。
3)「 〈やさしい経済学〉ロシア戦時経済の憂鬱(3) 失われた国際的な事業機会」『日本経済新聞』2025年1月8日朝刊,https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD112RG0R11C24A2000000/
石油資源の浪費に匹敵するほどの機会コスト喪失といえるのが,国際的な事業機会への影響である。それは大きく分けて,① 外国企業の撤退,② 合弁事業からの外資引き揚げ,③ 国際的事業計画の停止・遅滞の3形態で顕在化していく。
ウクライナ侵略後,約千社もの外国企業がロシアから撤退した。米マクドナルドや欧州のダノン,フォルクスワーゲン,メルセデス・ベンツなど,欧米の大手企業が事業を売却し,ロシアを去った。
日本でもトヨタ自動車,日産自動車,コマツ,IHIなどを含む進出企業の約6割が,撤退または事業停止を選び,欧州の巨大エネルギー企業が出資した大規模資源開発プロジェクトなど,合弁事業の多くも解消された。
企業撤退や合弁解消ほどは注目されていないが,機会コストという観点では,将来有望な国際事業計画の滞りもロシアにとって大きな痛手である。
北極海航路開発はその一例である。東アジアと欧州を結ぶ最短の海上ルートで,地球温暖化の影響で冬場の海氷域が縮小したことから,スエズ運河に代わる輸送回廊として価値が高まっている。
ロシアにとっては千載一遇の事業機会であるが,今日の国際情勢がその開発を許さず,現在も北極海航路の利用は非常に低調である。このように,戦争の影響を受けるロシアの国際事業計画は枚挙にいとまがない。
一連の実証研究はロシアに進出する外国資本の貴重さを強調している。つまり,市場規模や所得水準を考慮すると,ロシアに進出する外国企業の数や直接投資の額が,中国などの中所得国と比べて明らかに少ないのは,政治リスクなど多くの投資阻害要因があるからであった。
外資は国内資本の不足を補うだけでなく,先端的な技術や経営ノウハウの伝道師としても重要な存在となる。技術革新力の弱いロシアにとってはなおさらである。ただでさえ貴重な存在である外国企業の多くを,プーチン政権は事実上追放した。ロシア経済の現在と将来に与える損失は,非常に大きいといえる。
以上,岩崎一郎の現代ロシア経済「論」は,プーチンが領土拡大欲求を狙ったあまり,当初に狙っていた「ウクライナ侵略戦争」の目標は,実は完全に,いわば目算を完全に狂わせる顛末を招来させた。
しかも,ごく短期間で終結させ達成するつもりであった,ロシア流の武力によるウクライナの併合は,完全に失敗した状態になっていた。それでいながら,現状のごとき「両国間の戦争状態が3年近くも継続してきた」という番狂わせは,これを「プーチンの主観に即して表現する」としたら,思いもかけないその後における「宇露戦争への発展・推移の展開」になったことを意味する。
それにしても最近,今日の2025年2月13日までにおけるロシア戦時経済体制の実情は,昔における戦時期日本における統制経済体制を,嫌でも思いおこさせる。
以上に紹介した「岩崎一郎の現代ロシア経済」論は,全10編の寄稿からなり,この「本稿(続編の2)」では3稿しか紹介できていないゆえ,つづく「本稿(続編の3)」において残りの7稿もとりあげてから,その全稿をとおしての議論・吟味に進みたい。
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【参考記事】
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【付記】 続編は出来しだいここにリンク先住所を案内する。
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