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私の人生は長距離走。奇跡が完走をサポートしてくれた。

私は生まれた時は4キロ超えで当時としては珍しかった。
何でもノンビリし、歩くのも、言葉も1歳半過ぎでとても遅かった。
今、80歳になりその意味が初めて分かった気がする。
ランナーで言うと、短距離と長距離の違いで私は典型的な長距離ランナーの筋肉なのだ。
高等学校の全校長距離走で1位になった事もある。
勿論、お祭りだから陸上部を始め運動系の選手はは全力で走る事は無かったのだろう。最後は足がつりながら、引摺り、引摺りゴールしたのを覚えている。
私の生き方は長距離走なんだ。
若い頃は無欲でノンビリしていた。
通信簿には、分かっているのに手を挙げない。
成績も4.2位で満足していた。

長距離走は途中で棄権したらそこで終りで記録も残らない。
今迄、その危険を避ける為、神様が沢山の奇跡を私に与えてくれたと、強く感じる。
1.音楽大学時代大学院試験で、前夜、偶然手にした、ピアノ音楽の歴史の本。最初に開いた2ページを気休めに読んで床についた。 本は勿論沢山持っており、この本を読む理由は特に無い。 
気休めだっただけ。
開けた所がここ以外だったら何の意味も持たなかった。
そうなんです!この2ページが、何故か大学院のテストにそのまま出た。
この入試に失敗していたら、その後に控えていた就職と結婚が、計算上、駄目になっただろう。
2年後大学院修了と同時に、アルバイト先の友達から、有名私立女子高音楽科の空きが出たとの報告を得て、就職の意志を打診されたのだ。
そして、その後、両者を良く知る同僚から結婚を勧められ、ゴールインした。
家内の実家は土地持ちだったから、直ぐに持ち家を買った
この連鎖は、偶然と言うには何か神がかっていた。 



2.長男が高校生の時、難病認定され、死の宣告を受けた。 
その後受けた結果は、何かの間違いで、取り消し
難病とは医学的に解明されていない部分が多いので、そう呼ばれるのかも知れない。
息子は今も元気で大活躍している。44歳になった。


3.私が合唱団を連れてクロアチアへ赴いていた時、妻は愛車スカイラインを運転中、全損事故を起こした。
大型クレーン車が右側から運転席に突っ込んだのだ。
30センチズレていたら、死亡事故となっていたらしい。
4.大手生保会社協栄生命倒産は戦後最大の事件として、大々的に報道された。
ここは教育公務員や警察等に大きな顧客を抱えていた。
私も都立高の専任教諭だったから、足繁く通うセールスレディに老後の全財産を託していた。
6%と言う利率が魅力だった。
それが、不思議な事で霊感のおぼしめしで、倒産の前日全て解約出来た
老後の資金を全額守れた。
何故解約なのか、未だに、それは私自身説明が出来ない

過去の事は此の位にして、80歳になった途端の話だ。 


顎の骨に異常をきたし、医師は癌の疑いを示唆した。
論拠もしっかりしており、覚悟を決めねばと決意した。
80歳になると細胞の寿命が来るのだと、何かで読んだ。
だからそれ以上の年齢では癌になっても手術をしないと言う医者もいるらしい。
ここでも私は、救われた。検体検査の結果異常無しと言うお墨付きを頂いた。


良かった!


しかし、今や生涯100年時代と言われるが、皆がその年まで生きる訳は無い。
ほんの数%の話だ。
しかも日本男性の健康寿命は72歳付近だから、80歳代の老人は色々、持病を持ち、苦労しているのだろう。

私の母はトランプゲームをしながら、我々に教えた。
勝負に勝ちたいなら、根気強く、相手の疲れを待つのも一つだよと。
神は私の人生の岐路で、色々な形で警告をしてくれた。
今まではマラソンを終りまで続けさせる為に、助けてくれた
でも今回は、かも知れないと言う言葉は、人生の最後は価値のある毎日を送り、周囲の人々に感謝し、納得のいく最後の時間を送りなさいと言う戒めの言葉だったのだろう。
幸い癌でなく、80のスタートを元気に切れた事は、自分を追い込まず、ユッタリ生きるのもこれからの選択肢に有るのだろう。

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まこじい
拙い文ですが、溢れ出る思いを、人に伝えたいと願っています。日常にある小さな出来事ばかりですが、その視点により皆が幸せになれると嬉しいです。何より読んで欲しいと切望しています。宜しくお願いしますね!