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高齢の住職や神職の世代交代時には、退職金を出そう!
世代交代がスムーズにいっているのなら、頭がハッキリしているうちに早めの対策は民間と同じ準備で良いと思うが、教会のように地域の人事異動がなされないし、また、よくも悪くも縄張り外に住む寺社の聖職者はほとんどいない(中には人生で一度も引っ越し経験がない人も)。
ただ、たまたまその地域に生まれたり赴任したりしただけなのに村八分やDVや子どもが虐めにあっていた地域や、全体に治安が悪くて骨を埋める気も帰る気も無いとか、お嫁さんや子どもたちとの話し合い(例 身の回りの介護が以前より必要になってきた)、ダブルワークとの兼ね合いから、移動や寺以外の家や施設を探す際ぐらいは長年の地域貢献に対して金銭をもって慰労されても良いのではないかと思う。キリスト教会さんでは、既に制度として存在するもよう[註1,2]。
はる会長は、そのようなものが社寺業界にないことを不審に思ったので、経験を活かし自ら駒沢大学図書館と国立国会図書館まで月刊住職(当時は寺門興隆という名前だった)のバックナンバーから法律と税務相談のコーナーを全て読みに行き、隅々調べて民間でいうところの退職金制度があるか確認したのだった。
すると、福利厚生が存在しないぐらいだから、なさそうだろうと思っていたら、寺院規則を改正すれば可能(本人家族や護持会から提案、草案も可)で、世代交代が起きるときのための積立金や介護施設入所時に必要な一時金くらいな規模の準備は可能と判断できた。いろいろな基準があるみたいだが⬇️
勤続年数がわかれば、計算方法は民間と同じ。
どの宗も同じかわからないが、曹洞宗の場合は寺族でも得度だけでなく準教師以上資格があれば、会計や財務などの話し合い会議に参加できるので(最新基準は不明。他宗では坊守の権限は、もっと持たされているそう)、住職引退後や亡き後からむやみに要求することがないよう次世代のためにも、予め改正しておくと良いかと思う。
後任や護持会と対等な関係が築けられず、反対にあって規約変更までたどりつけなさそうなケースであれば、それこそ成年後見人制度を使うなどして、個人の相続準備もきちんとしておくことが肝心である。立つ鳥跡を濁すようなふるまいは、檀家さんが担う代表世話人であっても住職や神主、牧師など聖職者であっても世間からは同じようにガメつい印象になってしまう。
住職や坊守が自分で積立するにあたってというところでは小論を書いたことはあるが[註3]、一昔前ならともかく昨今の情勢からいって僧名と本名と違うことは銀行や渡航時に不審がられるし、生活に困っていないレベルの人ほど口座をもっていない可能性もあるのだ。
比較的若い年齢なのにコンビニのコピー機やATMを使ったことがない修行僧がいたりして、驚いたことがあるが、そのような感じで口座の開き方もわからず、帳面を(これまた良くも悪くも)税理士に丸投げしていたり、銅板などのモノが盗まれても何年も気が付かない無人エリアの管理不徹底など目に余ることもある。 昨今では銀行口座がない=作れない人つまり反社と同じにとられ、社会的信用に関わることであるので、地銀でも大手でもいいので寺単位だけでなく個人単位(坊守名義も)での開設を強くお勧めする。例えば、大本山永平寺の境内に福井銀行の碑があるのは宗門でも知らない方は多いし、日本では、企業側が商売繁盛を願ってお金を払ってお祓いを受ける受け身型支援だが、諸外国では逆で教会のスポンサー看板に銀行が名を連ねている。
そもそも経営や経済という単語じたいが古典からくる宗教の言葉である。 各宗門いっぺんに変えることは難しいが、一つ一つ、個々の法人単位でその方の功績や地域の実情にあった退職慰労金がいくらかでも出ることが当たり前になることを願っています。
このようなことにならないためにも(住職亡き後に、持病のある方がたが残されていたケース)⬇️
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引きこもりや病気への無理解も指摘されていた。
日頃から互いに助け合って生きてほしいと説教してきたはずの方々が、自分はできないでいて、
放置され、見過ごされている。
[註1] 川又 俊則:宗教指導者の「老後」--現代日本のキリスト教界を中心に 鈴鹿国際大学紀要 = Suzuka International University journal : campana (13), 87-98, 2006
[註2]「ごくたまに買う1本の花が、ものすごくうれしい」70代女性牧師が年金生活から感じた「お金と幸せ」 毎日が発見ネットKADOKAWA Group [註3]寺院における危機管理とその方法©宮城温子 曹洞宗総合研究センター2012発表
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