子どものスポーツ系の習い事 指導者についての考察 安かろう悪かろうの可能性? 指導者の資質、その意義と親としての気持ちの折り合いのつけ方アイデア
本質的に、団体スポーツは競争心の強さが必須になるんじゃないか。
何故だか我が家の3人男児は、競争心、勝ちへのこだわりがやや薄い。
3人は、それぞれサッカーやバスケを習ったことはある。でも合わなかった。ボールを奪いに来られると、そんなに欲しいならと渡してしまう。押し負ける。ギバー寄りな性格。
負けて悔しい、は薄いけれども、ギブアンドテイクの関係が作れないことにはモヤモヤする。テイカーに狙われて持ってかれる。
結果、単独で自分を高めていくスポーツの方が合っているみたい。うちの場合は体操や空手。ダンスは、自分が上手く他の人に合わせられないと迷惑をかけてしまう、とやめてしまった。
私立幼稚園の片隅でやっているその体操教室のコーチは楽しく体を動かすことを、一人ひとりの成長を、その子に合わせて考えてくれる。学校の体育館でやっている空手の師範は、人格者。穏やかでいながらも一本筋が通っている。オーラがある。型の大会で入賞するような子も、なんとなく来ていてそこまで上手くない子も分け隔てなく真摯に教えてくれてる。どちらも、近くにこんないい習い事が、さほど高い料金もなしであるなんてラッキーと思いながら長年通っている。
団体スポーツに邁進している子のママ友と話をしていて、なんだか、指導者に恵まれない話が多いね?と思って、ずっと考えていた。
しましまさんの記事を読んで似てる話だなと思って、記事を書く。(バタバタしてるうちに遅くなっちゃった)
子どものために指導とはどうあるべきか、などと考えるタイプの教育者は、本質的にギバー寄りであって、団体スポーツ内でのし上がって行くには困難があるのではと感じている。
指導者は3つのタイプに分かれているのではないか。
指導力に欠けるが勝ちにこだわる指導者。テイカー寄りと思われる。ボランティアで仕事の傍ら指導する人のなかには、元々競争心が強く、そこそこ団体スポーツで能力があったけれどもプロになれるほどでなかった人たちが紛れている。指導をすることで勝たせることを自分の手柄と考える。手段は問わず、勝つことに強いモチベーションを感じる。6年生の試合にもかかわらず、上手い5年生をメインにしてでも勝ちにこだわる結果、外から見たら勝てるチームとして人も集まる。そのため存続するが、指導の中身は推して知るべし。
指導力はあるが勝ちにこだわらない指導者。ギバー寄りと思われる。たぶん、私やしましまさんが思うこの理想の人たちは、元々団体スポーツにおいて脱落していきがちと思われ、絶対数が少ない。もしいたとしても、勝ちにこだわらない分、上手でない子にも試合に出してチャンスを与えるが、そのため試合で結果は出せず。競争心が強く団体スポーツに一番適性のある上手い子たちからは選ばれにくいチームになる。人が集まらず衰退する。レアな存在。近くにいれば超ラッキー。
指導力もあり勝ちにもこだわる指導者。マッチャー寄りなんだろうな。ごく一部に目覚めたギバーもいそう。そして、たぶん、かなり戦略的に考えるタイプの人。コーチングの手法を使っていたりして非常に優れた指導をする。その結果、スポーツマンシップに則った素晴らしいチームになる。このような指導者は、需要が高まりすぎて指導を仕事にする。需要と供給の関係から、人が集まりすぎて選抜せざるを得ない。そもそも上手でないとチームに入れなかったり、もちろん料金も高くて当然となるはず。そして習い始めの小さい子よりある程度将来性がわかってきた経験者を相手に指導しているはず。習わすには親にも覚悟が必要。時間及びお金……。入るための練習……。
三男がバスケを習いたいと言ったとき、初めにちょっと見てみた小学校の体育館のバスケは1番タイプだった。やたらと走らせ、終わりに長ーい精神論を語る説教タイム。経験はあるらしきアマチュアのボランティアの父親もしくは母親が出張ってる。他の母たちがこき使われてるのをみて、嫌だなと思い他を探した。
結果、プロのスポーツチームが市の体育館でやっているスクールへ、わざわざ車で送迎して、それなりに高い月謝を払うことになった。一番下の子だったから良かったけど、上の子だったら下2人を連れつつ通わせるのは無理だったと思う。1年でやめてしまったけど、親の目から見ても明らかに上手くなるスピードが速かった。理論的な説明、どんな練習すれば上手くなるのか知識ノウハウが蓄積されている。メリハリの効いた練習。集中力が途切れない楽しい短い練習をどんどんとこなす。最後の方にミニ試合。コーチがバスケめちゃくちゃ上手い。これはお金取って当たり前だと思った。たまたま車で通えるくらいのところにあって良かったけど、全国津々浦々とは行かないだろう。本気でこのような素晴らしいチームに通わせたい親は引っ越すことも厭わない印象だ。
では、1のチームには存在価値がないのか、といえばそんなことはないと思う。子どもにどんな才能の種があるかはやってみないとわからない。種のある子はどんな指導でも花開く。自分を知るきっかけ。そして、その後どこかで素晴らしい指導者に出会ったとき、その希少性ありがたみを感じることもできる。
我が家の三男のバスケのように、素晴らしい指導であっても、こちらに才能の種がない場合もあることだし。最初からお金や時間をかけなくても知ることができるってありがたいこと。少年老いやすくだからね、近場で安くでどんどん経験させてみるのがいいなと思っている。ボランティア指導者ありがたし。学校の部活などもね。大変だよ、お金ももらわないのに子どもたちを指導するって。
それはひどい、全然ダメだよね!!という傍ら、そんな風にママ友を慰めている……。