差が大きいほど幸せを感じるよね
右手首を骨折して手術をしたあと。数年前の話。
ギブスをしての生活。Amazonでギブス用防水カバーを購入した。シャワーを浴びるときに濡れないように。左手でゴム部分を引っ張って一人で装着できる優れもの。Amazonさんありがとう。これはスーパーやドラッグストアで売ってるの見たことない。いや、売ってるけど目に留まったことがないだけだろうか。なんにせよ、ポチッとするだけですぐ届くありがたさ。文明の進歩に感謝である。
左手で書く文字。みみずがのたくった様。お風呂場やトイレの手すり。なんて便利なの。トイレットペーパーひとつちぎるのも一苦労。ペットボトルの蓋を開けられるようになるまで随分かかった。右手ひとつ不自由になるだけで、こんなに生活が大変になるなんて。
ギブスを外したとき、一番幸せだと思ったのはお風呂だった。匂いがする。自分から匂ってほしくない、清潔にできてないと出てくる人間の普遍的な臭い匂い。垢もたまる。ギブスを外した夜の、カバーなしで入るお風呂。まだちょっと痛いし力をかけるのは怖いから、泡立てた牛乳石鹸(赤)でそうっと洗う。湯船に浸かる。ふやけた垢。こすると出てくる垢。あったまったら、また洗い場で泡にまみれて右腕を洗う。匂いを嗅ぐ。ああ、石鹸のいい匂い。ああ……!
首まで浸かる湯船の気持ちいいこと。右肩にかけるシャワー。両手で洗う髪の毛。こんな普通のことなのに、こんなに嬉しい。幸せ。お風呂の気持ちよさは、お風呂に入れないあとにこそ強く感じるものだな。
私は悟った気がした。この世の幸せは下から上がる差が大きいほど強く感じるものだと。
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