ドーナツの穴をのぞいて
「ドーナツの穴を覗いてみて」と言う言葉が好きだった。ミナは、小さなカフェの窓辺に座り、ホットコーヒーとお気に入りのシナモンドーナツを手に取った。子供の頃、祖母がよくこの言葉を言っていたのを思い出す。ドーナツの穴はただの空間ではなく、時間や季節、思い出が詰まった特別な窓だったのだ。
最初にドーナツの穴を覗いたのは秋のことだった。紅葉が色づき、風が冷たくなり始める頃、ミナは大学生になり、初めての一人暮らしを始めた。新しい生活に期待と不安が入り混じる中、カフェで一人静かに過ごす時間が心の安らぎだった。
「ほら、季節が変わってしまった」
ドーナツの穴越しに見えたのは、色とりどりの葉が舞う光景だった。季節の移ろいを感じながら、自分も少しずつ成長していくのを実感した。
次にドーナツの穴を覗いたのは、春のことだった。卒業間近の忙しい時期、友人たちとの別れが近づいていた。
「ほら、顔に皺ができてしまった」
鏡に映る自分の顔には、小さな変化があった。笑顔の跡が皺となり、時間の流れを感じさせる。しかし、その皺はただの老いの象徴ではなく、たくさんの笑顔と喜びを刻んだ証だった。
夏が来て、ミナは大きな決断をした。海外での仕事を選び、新しい土地での生活が始まった。初めての海外生活に戸惑いながらも、夢に向かって歩き出した。
「ほら、あの子が大人になった」
ドーナツの穴を通して見ると、自分が少しずつ変わっていくのがわかった。子供だった自分が、大人としての責任を持ち始めたのだ。
そしてある日、長い間連絡を取っていなかった旧友から手紙が届いた。その手紙には、懐かしい笑顔が描かれていた。ミナはその手紙を手に、再びカフェに足を運んだ。
「ほら、君がまた笑ってくれた」
ドーナツの穴を覗くと、そこには昔の笑顔が広がっていた。遠く離れていても、心の中でつながっているのを感じた。
冬の夜、ミナはベランダに出て星を見上げた。寒さが身にしみる中、ドーナツの穴を通して見る星空は、一層輝いて見えた。
「ほら、空に星が瞬いた」
その瞬間、自分が夢見ていたものが少しずつ形になっているのを感じた。どんなに小さな夢でも、一歩一歩進むことで実現するのだと確信した。
やがて、ミナは過去の自分と向き合う時間を持つようになった。泣きたい時も、辛い時も、ドーナツの穴を通して見ると、不思議と涙が乾いていった。
「ほら、涙が乾いてしまった」
そして、再び笑顔になれる自分がそこにいた。ドーナツの穴は、過去と未来をつなぐ特別な窓だったのだ。
最後に、ミナはカフェで出会った人々との思い出を振り返りながら、再びドーナツの穴を覗いた。
「ほら、また君がそばにいた」
過去も未来も、すべてがこの小さな穴を通してつながっている。ミナはそう感じながら、温かなドーナツをかじった。そして、また新しい一歩を踏み出す勇気を得たのだった。
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