76番 わたの原漕ぎ出でて 法性寺入道前関白太政大臣
今橋愛記
わたの原漕ぎ出でて見ればひさかたの雲居にまがふ沖つ白波
法性寺入道前関白太政大臣 《ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだいじょうだいじん》 〔所載歌集『詞華集』雑下(382〕
目が炭酸水になってしゅわしゅわと突如視覚が回復するような。
ぱっと視界がひらける歌。
「わたの原」、漕ぎ出でて見ればの8音、「ひさかたの」、「雲居にまがふ」、「沖つ白波」
書き出してみると、ぜんぶの音になったが、その全てがせかせかしていない。ひらけた視界に心がすかっとして、呼吸まで深くなるような大きな歌。三好和義の写真集のよう。
1135年、4月。内裏《だいり》歌合にて、崇徳天皇(77番)の御前で「海上遠望」というお題で読まれた題詠歌。
華やかな場にふさわしい、大きく漕ぎ出すこの歌に、居合わせた人たちの視界もぐっと広がったことだろうと想像する。
しかし、そこから二十年後、この二人は敵同士となり(保元の乱)、崇徳勢は敗れ崇徳院は讃岐に流され、巻き返しをはかることなくお亡くなりになられた。その生涯、その物語は次の77番
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ
へ掛かっていく。
個人的には、崇徳院の走馬灯の脳内に、この内裏《だいり》歌合の場面、
そしてそこにマーラーの5番を合わせてしまう。ああわたしは曾禰好忠か。
さて、わたの原というと、
わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣舟
(11番・参議篁) が浮かぶけれど、この2つの歌は全然ちがっている。
76番にすかっとした目で11番を見つめると、参議篁(さんぎのたかむら)の歌のすごさにいよいよ びびる。
以前、花山周子が書いたこんな文章を読むと、
さらにああ。と思うのだった。
八十島かけて、の「かく」は目ざすの意味で、目ざすのだからその目線は前をむいているということになるのだけど、
現在の言語感覚だと、かけてが
~を賭けてのようにもとれて、そこから個人的には大小の島という、その大きさがどれくらいかもわからない塊が、作者・参議篁(さんぎのたかむら)の肩に、つけもの石のように乗っかり、目線も前にはとれず、彼が身動きができない状況にあるようにも感じられるのだった。
作者・参議篁(さんぎのたかむら)は、そのとききっと無念だったろうけれど、ずっと無念の中にいる人ではなかった。立ちあがる力のある人だった。
わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣舟
そうでなかったら こんな歌はつくれない。
そして「この重たく籠った韻律に、彼の強固な矜持がにじむ。」
と書く、この鑑賞文にも、
花山の矜持がにじんでいるようにわたしは感じる。
上から圧をかけられ押し込められ続けたかのような、横に低く長い箱ずしのような文体と、そのあいまあいまにさしはさまれる句読点。
その全体の塩梅が、長歌のようなラップのような不思議な音楽(韻律・リズム)を生みだしている。
ついでなのでこのまま書くが、書こうと思いながら一文字も書けていないが、花山の短歌作品には気配が入りこんでいる。
このところの連作を読むと、
どんな言葉が書いてあったかは忘れているのに気配だけ覚えていたりする。気配というか気の流れや滞りのようなもの。
それってなに。と思う。
どうしてそんなことができるんだろう。
そんなこともいつか書いてみたい。
翻案は子どもがはじめて海を見たときの様子を思いだしてつくった。