【R3.7.5】境界線を無くすこと。自治会七夕行事でも気づいた
いろいろあるけれど、歳時記ではもうすぐ七夕です。
春にタケノコを食べていた竹は、今の時季に青々としていて綺麗です。
例年、当自治会では子ども達の行事として七夕会を催しますが、昨年と今年は集まりを控え、家庭サイズの笹と折り紙などを配ることにしています。 大きな竹を1本設置して飾れるようにもしました。
写真の短冊は、先日の雨の土曜日に竹を取りに行ってくれた子ども事業部長さんが書いたものです。 フルタイムで働く若いパパですが、役員選出時に「誰もいないなら」と立候補してくれた方です。
早速、大雨にも関わらずその週末から笹枝や飾りを取りにくる親子がいました。
みんなが七夕を楽しめますように
「そういえばそんな風流で清い節日だった…」と頭の中で綺麗な七夕を思い描くと、近頃の新聞を賑わす忙しい/酷いニュースがふっと後ろに追いやられます。
子どもも大人も。
この七夕準備が済んだ後に気が付きました。 今回も、境界線を無くしたら良かったと。
なぜ七夕の笹枝配りを例年に倣って「子ども向け」にしたんだろう。 コロナ禍だったら余計に、小さい子がいない家庭だって、笹を飾ってご家庭の中で季節を感じたいと思う人がいたかもしれない。 この自治会には、お子さんが大きくなった世帯も単身世帯も、高齢世帯も多いのだから。
最初に「子ども向けである必要はない」と気付いたのは、コロナ禍のラジオ体操でした。
当自治会では、七夕会と同様に夏休み中のラジオ体操も子供向け事業の一つとして行われています。
多数の子ども達に対して、七夕は「婦人サークル」、ラジオ体操は「ラジオ体操指導員」など限られた大人が参加しています。
昨年、コロナが蔓延し始めた長期休校中に朝のラジオ体操を企画しました。 ラジオ体操ならば密にならず広がって出来るし、当時問題になり始めていた子ども達の運動不足を解消できると考えたのです。
時間は夏の6時半よりは遅めの、8時半から。 学校の朝会あたりに合わせました。
つい当たり前のように子ども向けでご案内しましたが、気が付くと、子供の付き添いで来ただけだと思っていた大人達が、ピンと手足を張りイキイキと体操していました。 そのうち、単独で参加する大人達も現れました。 コロナ禍でテレワークに切り替えた人達だったかもしれません。 10人~後半は20人くらいx適当に作ったマス目の分だけ(12日間)続きました。
七夕もラジオ体操も、「子ども向け」としながら「大人もどうぞ」にするくらいが良いか、今後は子ども事業部長さんや副会長さん達に聞いてみよう。
活動キーワードの一つは「境界線を無くす」こと。
コロナ禍で世界共通の問題が出来たとき、境界線が薄まったと感じました。 あらゆる場面で境界線が存在しますが、綻びを見せている線が多い時代です。
国境。男性女性。日本人外国人。常識非常識。 境界線は、カテゴライズするため。管理するために存在している場合が多いです。
必要なものや無くすことが難しいものも多いですが、薄めたり緩めたりしないとどこにも属さないモノ人が出てきたり、目には見えない線のはずが、見向きもしない壁のような存在になってしまう恐れもあります。
自治会活動という手を出すことができる範囲では、薄められる可能性を見ていきたいと思っています。 今の私の活動方針を決めるキーワードの一つです。