数字で見る怖さ…

小学校の先生で、2児の父、雄剛です。

パリオリンピックも佳境に入ってきましたね。
8月10日6時現在の日本のメダルの数は
〇金メダル 16
〇銀メダル  8
〇銅メダル 13
獲得数でいうと、4位だそうです。

水泳については、メダル獲得数が1個のみ…
11個のメダルを獲得した2012年ロンドン大会には遠く及ばなかった…

こんなニュースが飛び交っています。ニュースで強調されるのは、メダル獲得の活躍と、獲得の期待がかかった競技・選手の様子、そして、メダル獲得数…。これってけっこう残酷なことだなと思うんです。

みんなが注目していることは、メダルを獲得できたかどうか…。

仕方がないとは思うんです。オリンピックということで、複数の種目を同時にやるので、1種目ずつに注目して、掘り下げていくことはできませんよね。そうなると、メダルを獲得する活躍をした選手・競技が注目され、そうでない選手・競技は影に隠れてしまう…。

まず、オリンピックに出場するということが、本当にすごいことですよね。日本の中の超一流しか、その権利を得ることができません。その切符を手にするためには、才能はもちろん、その裏には本当に常人では考えられないような努力の積み重ねやプレッシャーがあったのだと思います。周りで支える人たちの期待と苦労があったのだと思います。オリンピックを目指したけれども、届かなかった数えきれないたくさんの選手の悔しさがあったのだと思います。それを、メダルを獲得したかどうか、メダルの獲得数という数字だけで見るって、すごく怖いことだなと思ってしまうんです。

学級でも、数字で見ることの怖さ…

多くの学校では、年度初め、または年度末に学力テストをするのではないでしょうか?あれって、結果が気になりますよね。

「このクラスの偏差値は、56だって!」
「おお、すごい!全国平均を大きく上回ったんだね!」
「前の担任の先生、頑張ったんだ!子どもたちも優秀、優秀!」

そんな会話がありますよね。でも、これってあくまで「クラスの偏差値」であって、一人一人を見ていくと、また違った見え方になります。
「この子、すごいなぁ。偏差値60!受験を見据えて勉強頑張っているもんな!」
「この子、アンダーアチーバーになっているな。もっと頑張れるはずなのに…」(*アンダーアチーバー…知能検査の結果によって「これくらいできるはず!」という期待値よりも大きく下回っている)
「この子、できていないなぁ。特別な配慮が必要だな。」
「できている子と、できていない子の差が激しくて、その間がいない…。これは授業でもその差を意識しないといけないな。」
クラス偏差値の数字だけに注目してしまうと、大切なことを見落としてしまいますよね。

私もやってしまっているかも…

私も、学級通信で頑張りを伝える際に、こんなことをしてしまうことがあります。
「50m走のタイム。運動会の取り組みの一番最初に計ったタイムと、体育で練習を重ねて運動会後に計ったタイムを比較すると、なんと9割の子が新記録を達成しました!」
「水泳の一番最初に計った記録と、最後に計った記録を比較すると、ほぼ全員が記録を伸ばしました!」
「アンケートで『学校がとても楽しい』『楽しい』と答えた子が、9割でした。」
これで伝えたかったことは、「こんなにたくさんの子が記録を伸ばしたんですよ!」「ほとんどの子が学校生活が楽しいって言ってくれていますよ!」ということ。

でも、裏を返せば、約1割の子は記録を伸ばせなかった…。学校生活を楽しめていない…。そういう子にこそ、目を向けなければ、やっぱり学級経営は成り立たないですよね。

数字って、すごく客観的で、分かりやすいですよね。ただ、その数字だけを見て判断することは怖いことだなと思います。数字には表れない、その裏にあるものにもしっかり目を向ける意識をもちたいですね。


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