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小学校の先生で、2児の父、雄剛です。

家に帰ると娘がなぜか怒っていました。どうしたのか聞いてみると、こんな話が返ってきました。

「ねえ、ちょっと聞いて!今日学校でさあ、すごい腹が立つことがあって!図工の時間に作品を作っていたんだけど、そこで○○君が、『先生、早く終わった人はどうすればいいですか?』って質問したんだよね。

そしたらさ、『先生は、一人もいいと思う人はいません!』って言ったんだよ!ひどくない?もうみんなそれに怒っちゃってさあ!だって、みんな頑張って作ったんだよ!それを『一人もいいと思う人はいない!』ってどういうこと?すごく嫌だった!!その後の授業とか、みんな先生のこと冷めた目で見てたんだよ。」

冷静に聞いていると、ちょっと文脈がおかしいですよね。だから、おそらく先生もみんなの作品をダメだって否定したくてそう言ったのではないのだろうなとは思うんです。

察するに、
「先生は、一人も(完成で)いいと思う人はいません。(「もう少し工夫してみるともっとよくなるよ!」または、「ここで終わりではなくて、もう一歩付け加えていくともっとよくなるよ!」だから、もう少し頑張ってみようよ!)」
ということを伝えたかったのではないかなと思うんです。

問題は、子どもたちに「頑張りを否定された」と捉えさせてしまったこと…

先生がどういうつもりかはさておき、子どもたちに「頑張りを否定された」と捉えさせてしまうことは問題ですよね。

子どもの頑張りを全否定するやり方は、信頼関係を一瞬で崩します。

実は、私もこの失敗をしたことが…

5・6年で持ち上がりしたクラスでのこと。

その学校では全校で楽しむお祭りがあったんです。各クラスでブースを出す文化祭のようなものですね。5年生でそのお祭りをした時には、私は異動して初めてだったので、雰囲気が分からず、ある程度子どもたちに委ねて、やりたいようにやらせてみたんです。子どもたちは、すごく楽しそうだったのですが、すごく内輪で盛り上がっていて、お客さんを置き去りにしている感じがあったんです。その時の私は、「まぁ、こんなものなのかなぁ…子どもたちも満足しているし…」と流してしまったんですよね。(これもいけなかったのですが…。)

その次の年、6年生で迎えた2回目のお祭り。私としては、「最高学年の出し物だし、昨年の反省を生かして、内輪で盛り上がるのではなく、みんなが楽しめるものにしてほしい!」と思ったんです。

「昨年のお祭りはさ、正直内輪盛り上がりの面が強かったと思うんだよね。今年は、もっとみんなが楽しめるということをテーマに考えてみてはどうかな?」

この時に、クラス全体がさーっと引いていくのを感じたんです。それはそうですよね。子どもたち的には、頑張って準備して、満足の出来だった昨年のお祭り。その時には何も言わなかったのに、一年越しに「内輪盛り上がりだ!」と否定されたら…。それは面白くないですよね。これだけがきっかけではありませんが、これを決定打に信頼関係にひびが入ってしまった子もいるなと感じていて、今でも伝え方が悪かったことを悔やんでいます。

一度崩れた信頼関係は、なかなか戻らない…

だからこそ、子どもたちに伝える言葉には、細心の注意を払わないといけないですね。これは、子どもたちとの関係がうまくいっていても同じです。信頼関係が崩れるのは、一瞬ですから。


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