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あれ?自分は何に注意しているの?
小学校の先生で、2児の父、雄剛です。
先日、スキー学習の準備の時に不思議な現象に出くわした話…。
スキー学習の準備の第一関門は、スキー板とブーツを運んで履き替えるところ。スキー板とブーツを運ぶのって、低学年には重いし、大きいし、けっこう大変なんですよね。しかも、私の学校では、2階に板とブーツを保管してあるので、階段を降りるというひと手間が乗っかっています。
そこで、第1回目の学習の際には、スキー板とブーツを同時に運ぶのは低学年には厳しいと判断して、別々に運ぶことで準備の流れを確認したんです。
第2回目の学習で…
私の頭の中では、準備の時に前回同様の流れで、板とブーツを別々に用意する頭でいたんです。そしたら、なぜか置き場から板とブーツをどちらも持って運ぼうとしている子どもたち。
「ん?違くない?『板とブーツは、別々運ぼうね』って確認したよね?まず、ブーツは置いて、板だけ持っていこうよ!はい、ブーツ置いといで!」
私は、これを子どもたちに指示しながら、なんかすごく不思議な感じがしたんですよね。
どこが不思議か分かりますか?
この準備。本来は、板とブーツを同時に運べるようになることが理想なんです。
なぜか?
来年は、スキー場で学習するので、学校からバスへ、バスからスキー場へ、そしてその逆も、板とブーツを同時に持って移動しなければならないんです。だから、本来は同時に持てるのが理想なんですよね。
それなのに、同時に持って移動している理想の姿の子を注意しているこの構図…。なんだか不思議ですよね。
自分の指示通り動いていないことへの注意
今回の注意は、まさにこれだったんです。もちろん安全面のことがあるので、みんなで確認した通りに子どもたちが進めることも大切なことだと思うんです。
でも、安全面の配慮さえクリアできれば、同時に運べるなら運ぶべきなんですよね。同時に運んでいる姿を見たところ、そこまで危険な状況ではなかったんです。
だから、確認した流れと違うことは押さえつつ、でも状況として安全面をクリアしつつ同時に持てそうなら、それで進めてもよかったんです。なのに、恐らく自分の指示通り動いていないことの方を大きく捉えて、「決められた通りにやるんだ!」と注意してしまったんですね…。
注意する目的が、「子どもたちを成長させること」ではなく、「自分の言うことを聞かせること」になっていないかな?
これを常に自分に問うようにしないといけないなと反省させられる出来事でした。