卒業式の「教えること」と「自分で考えさせること」
体育の研究授業でよく話題になることがあります。
「これは教える内容じゃない?」
「ここは考えさせること価値があるよね。」
例えば、サッカーの授業。グループ練習をさせるのに、「じゃあ、自分たちで考えて練習してごらん!」これだけだと、もし練習方法のバリエーションを知らなければ考えようがないですよね。ただの遊びになってしまいます。
練習方法は「教えること」として教えて、そこからチームの課題として選択させたらどうでしょう?これは、考える価値がありそうですよね。
卒業式ではどうでしょうか?
先日、「卒業式はなんのためにやるのか?」を迷っている時、こんな取り組みをみました。
卒業式の内容は全て子どもたちが決める!
正直、一瞬素晴らしいなと思いました。子どもたちが話し合い、自分たちで思い出に残る式を作る…。これなら先生にやらされているという感覚ではなくなるかもしれない…
でも、本当にいいのかな?
◯卒業式という厳粛な式での内容や立ち居振る舞いは「教えること」ではないのかな?
◯考えるもとがあるから「自分で考える」価値がある。基本を知る機会の確保も大事ではないかな?
…ということで、私は卒業式ってどんな価値があるのか、みんなにどんな成長をしてほしいかを共有した上で
【教えること】
・厳粛な式での立ち居振る舞い
【自分たちで考えさせること】
・呼びかけ
(基本の型は教えて、中身の部分は考えさせる)
・合唱
(基本は教え、自分たちの今の状態よりもっと上 手に歌うためにはどうすればよいかを考えせる)
・卒業の一言
と考えていますが…。みなさんはどう思いますか?ぜひご意見を教えてください。