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あえて失敗させてみる必要はあるの?

小学校の先生で、2児の父、雄剛です。

学習発表会の取り組みがスタートしました。最近の学習発表会の方向性は、できるだけ特別な時間を確保することなく、授業でやったものを発表する…。それを体育館のステージで低学年なら20分、高学年なら30分で発表するのですが、「『時数を確保したい』でも、『ステージで一定時間の発表を!』」…。なんかすごく中途半端な形式で、とても苦しいし、「これで子どもたちに何を残してあげられるのだろう…?」ということを考えてしまいます…。すみません、ただの愚痴でした。

あえて失敗させることは是か?非か?

今、低学年を担任していますが、なかなか話し合いができません。途中で意見がぶつかり合って喧嘩になったり、かと思えば自分ごとにできずに遊び始めてしまったり…。そんな状況で迎える学習発表会の取り組み。2年生なりのレベルで、グループごとに話し合う時間を設けて内容を決定させていく活動を取り入れたいところですが、現状では空中分解することは目に見えています。あえて失敗したとしても自分たちで決める活動を取り入れるのがよいか…。失敗することが目に見えているならば、未然に防ぐのよいか…?

最終的なゴールは、高学年で自分たちで話し合い、決められること!

私がもっている最終的なゴールはこれです。いつも、高学年では、台本だけあって演技や動き、衣装、小道具などは全て子どもたちに作らせる。または、台本自体も子どもたちが作っていく。そんなふうにして、子どもたちが作り上げるからこそ、子どもたちにとって学びのある学習発表会になると信じています。自分たちの作り上げた発表で最後の拍手をしてもらったときのあの感動、達成感、自信は何にも代えがたいですよね。では、そこに至る過程の2年生ではどんな活動をさせるのか。

まずは、経験をさせること。そして、成果と課題と向き合う積み重ねが大事!

今回、あえて2年生なりに話し合い、内容を決めさせる場面を作りました。空中分解するのも想定済み。その上で、どうしたらよかったのか、どうすべきだったのかを考え、よりよい方法を考える経験をしてほしいから。そんな失敗を含めた経験の積み重ねが、高学年で花開くと信じて…。

ただ、挑戦と無謀は違う…

ただ失敗させるだけなら、それは無謀ですよね。子どもたちに経験は残るかもしれないけど、それだけ。最終的には、「成功」というゴールがあってこそ、達成感と自信がもて、そして失敗もよい経験として心の中に残っていき、次に生かされていく。

だから、私は最終的に成功というゴールに導くことを前提に、失敗させることは是!思い切り失敗させて、そこから学びを得ることはいいことだなぁと思っているのですが…。考え方によっては、事前に失敗することがわかっているならば、未然に防いだほうがいいという考えもありますよね。

あえて失敗させることは是か?非か?皆さんは、どう思いますか?

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