子どもの作品か大人の作品か
昔の日記から
子育て最中の方にご参考まで
子どもの絵は子どもらしく描かれている。サッカーの試合も同じ、子どもの発想、技術、体力で描かれているか?大人の真似のようなサッカーを子どもにやらせて何の意味があるのだろうか。
ここ2週間の試合観戦
3~5年生の週末2回続けて公式戦を観戦した。クラブも人数が増えていろんな個性の子ども達のプレーを見ることができて楽しい。彼らはそれほど勝負に強くないので結果成績は期待してない。しかし平均レベルとは次元の違うサッカーに挑戦している子ども達が数人クラブからでてきたことに父兄たちはドキドキしている。観戦に来る親たちも日ごとに増えてきている。見ていて試合が楽しいのだ。
彼らのメッセージ 彼らの試合から大人たちはメッセージを受け取らなくてはならない。 「サッカーはもっともっと楽しいんだよ。敵から皆でがんばってボールを奪って、パスかドリブルを選ぶ、ゴール前までにボールを運ぶ。シュートするためにね。途中で敵に取られたらまた取り返せばいい。でも敵になるべく取られないように上手くなりたい。だからクラブで毎日練習する。あっ毎日じゃないや、水曜日休み」 こんなメッセージを聞き取れるような、子どもらしいプレーを観戦することが楽しい。
大人の真似チーム
我が子が通うクラブとは正反対の位置に「大人の真似チーム」がある。大人のサッカーを子どもに教え込んで、大人たちは満足しているが子ども達は楽しくなさそうなチーム。もう少し細かく言うと役割分担をはっきりさせ過ぎ、身体能力の高い子ども達に依存しているチームだ。
見分け方は簡単。味方を見ずにゴール前にクロスを上げるチームが該当する。それでも、小学生の守備能力など高くないから、こぼれ球を拾えば勝利につながる。 我が子が通うクラブの子どもは楽しくないサッカーはやらないのだ。ボールを持った時楽しむ、相手をフェイントで欺くことを楽しむ。「それで、負けては意味ないじゃないか」と考えられる読者もおられるだろう。我が子たちのチームが我々を楽しませてくれるのは、「大人真似チーム」に対して真っ向から「高い技術と勝利への執念」で戦う姿を見せてくれるのだ。「技術みせびらかしいチーム」ではない。高い技術を自分の意思で身につけ、大人の真似をせずに、自分の技術、体力で戦う姿が楽しそうなのだ。
子どもらしく 絵画だって子どもらしく描かれたものが子どもの心を映し出す。 子どものサッカーだって同じ。子どもらしさ、が見られないチームは発想に乏しい。 大人が言うとおりに仕向けて大人が動かしている「大人の真似チーム」の試合は大人の作品であって子どもの作品ではない。
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