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【Podcast書き起こし】~能楽談議~:“歴史”・“番組”について

能楽先生と、能楽について知りたい生徒による教養バラエティ番組「ささやんが聞く!能楽入門」。いよいよ始まりました!
中心で進行していくのは“ささやん”こと、能楽初心者の笹村。
能楽に造詣の深い先生役の三浦知之さんから、能楽全般の知識を毎回教えてもらいます。サポート生徒として田中見希子さんがナビゲートを担当。
能楽の基礎的な知識から、歴史、舞台、演目などに話を広げていきます。
みなさんもこの深い「能」の世界を覗いて見ませんか?
ささやんたちと一緒になって成長できる場になり、
好きな人同士の新たなコミュニティが生まれる場になるといいなと考えています!
「能行ったことない〜」「世阿弥って文化人かつ美男子」!?「夢オチは室町時代生まれ」???
思わず能に行ってみたくなる、ハードルの限りなく低〜い能楽談義。
詳細は『Anchor』や『Spotify』配信でも聞いてくださいね!

☟落語の沼人:三浦さんに落語鑑賞の楽しみをきいてみた」より☟【'20/10/16配信】

【田中】さて、今回のトークテーマは、

【笹村】ささやんが聞く能。

【田中】ということで、今回能をテーマにお話をしていきます。能に結構お詳しい三浦さんにご協力いただきまして、ささやんに初心者代表として、疑問質問をぶつけていただいて。

【笹村】よろしくお願いします。初心者代表です。

【田中】能って数ある伝統芸能の中でもちょっと難しいっていう気持ちを持っている方が多いんじゃないかなっていうふうに思うんですけど、能の面白さに触れていく会にしたいなと思っています。よろしくお願いします。

【三浦・笹村】よろしくお願いします。

【三浦】ささやんは能ってズバリどういう印象を持ってますか?

【笹村】能って小学校で、ワードでしか知らへんって言いますか。

【三浦】ワード、言葉でね。

【笹村】僕を含む20代世代は「俺能見たで」って言うてる人見たことないって言いますか。

【三浦】いやそれは同世代でも一緒だと思います。

【笹村】ほんまですか? 三浦さんの同世代でも?

【三浦】私の世代だって、私自身が能をきちっと見るようになったのは10年経ってないですから。

【笹村】そうなんですか。

【三浦】もちろん、あることは知ってますよ。そういうものがあるのは知っていて、例えばこういうものは能から来ているものであるとか、こういう伝統芸能も能にルーツがあるとかいうのは知ってるんですけど、実は見たことなかったです、あんまり、子供及び結構大人になるまで。狂言は小学校の教科書に『附子』とかさあったじゃないですか。狂言はなんとなく教科書で知ったりするんですけど、能はないですよね。

【笹村】能って社会の教科書とかで、写真とかで紹介されるんですけど。

【三浦】そうそう。能楽師の写真がね。あと、これがお能ですと、能舞台の写真があって、一条みたいなことですよ。

【笹村】だいたい小学生そこに落書きしてるんですよ。

【三浦】能ってそういうことだと思うんですよ。ちなみにささやん、能はいつごろから発生したもんだっていうふうに思いますか?

【笹村】能のルーツ。僕、ほんまに初心者で言わさせてもらいますけど、江戸時代ぐらい。違いますかね?

【三浦】江戸時代ね。実はですね、奈良時代なんです。

【笹村】奈良時代。すごいですね。

【三浦】能として確立したのは、名前聞いたことがあるかもしれないですけど、観阿弥・世阿弥という親子がいて、親子が能を確立したのは室町時代、足利幕府の頃ですね。ただ、能のルーツというのは、諸説あるんですけど、私も最近勉強し始めていて、奈良時代に散楽っていうのがあって、また猿楽、この辺が能のルーツになっているのではないかと言われています。かの聖徳太子も神事、神ですね。神に対して何かを祈ったりとか、奉祝したりとか、そういうときに猿楽というのを奈良時代にすでに演じていたという説があります。

【笹村】そうなんですか。

【三浦】奈良時代以降に、猿楽のルーツとなるいろんな派があって、それが4つあるんですけど、その4つが今に至るまで1つの能の5流の1つの流れになっているっていうふうにも言われています。いきなり、飛びますが、鎌倉時代にも猿楽を……。あ、そうそうこれ大事な話なんですけど、猿楽をやる芸能ですわな。芸能活動してる人たちです。そういう人たちって。そういう人たちが神事、神のために何かを祈ったりするときに出てきて舞を踊ったり、何か芸をやったりするっていうのもありますし、あと仏教とも結びついてるんです。これ僕もはっきりわからない。不思議じゃないですか? 神事であり、仏事であるっていうね。これやっぱりね、ちょっと適当なこと言いますけど、日本の宗教文化って神仏習合っていうじゃないですか。どこの寺行っても実は神社があったりとか、こういうことにも能ってすごく体現されてると思うんですよね。猿楽の芸能をやる人たちが例えば、興福寺の仏事のために出演して、仏のために祈ると同時に芸能を見せる、舞ったりして。
それが能の起こりであるというふうに言われています。
で、室町時代に入って、1333年だったかな。観阿弥という……。

【笹村】観阿弥。

【三浦】観世流って聞いたことありますか?

【笹村】観世流ですか?

【三浦】観世流というのは能の1つの大きな流派で、今でも中心を占めてるところなんですけど、その観世流の「観」は観阿弥(の幼名観世丸)なんですよね。観阿弥さんが1333年に生まれて、能確立に向けて結構偉大な働きをして、それを大成させたのが息子の世阿弥と言われてます。世阿弥は1363年生まれで、当時の将軍は足利義満。足利義満は世阿弥をものすごくかわいがって、世阿弥が能楽を大成するのにすごく影響力を持った、背中を押してくれた人で。一方で、世阿弥はすごくベビーフェイスのいい男だったんです、子供時代。当時って将軍とかがお稚児さんとして男の子をかわいがるっていう文化あるじゃないですか?
※ポッドキャストより訂正 観世流の「観世」は観阿弥の幼名「観世丸」に由来。

【笹村】そういう文化があったんですか。

【三浦】そういうのがあって、世阿弥は義満にかわいがられて。義満は世阿弥のことがかわいくてかわいくてしょうがいないんで、おまけに天才なんですよ。あらゆる猿楽のものに通じていて、覚えたら忘れないっていう、そういう人だったらしくて。あとね、能にすごく大事なのが、能って結構、和歌・短歌をモチーフにしてることが基本があって、能のテキスト読んでると、必ず出典が古今和歌集であるとか、万葉集であるとか、和歌がベースになってるものが多いんですけど、そういうものも世阿弥はほとんど覚えていたと言われています。

【田中】めちゃくちゃ教養のある人ですね。

【三浦】本当に教養がある。文化人であるとともに、美男子。天が二物も三物も与えたという。

【笹村】すごいですね。QuizKnock(クイズノック)とか出てそうですね。

【三浦】ああもう全然。今の「東大王」とかにもある部門だったら勝てるんじゃないですかね。

【笹村】そうですね。

【三浦】東大の国文学部も入れるんじゃないかっていう、世阿弥は。

【笹村】入れますよ。世阿弥いうて、誰やねんって。

【三浦】で、世阿弥はそういう和歌をモチーフとしたもともとあった話をどんどん膨らませたりとかを行い、たくさんの曲を……。あ、そうそう能もね、曲っていうんです。

【田中】曲っていうんですね。

【三浦】曲っていうんです。1曲、2曲って。今2百(2百数十)曲ぐらいあると思うんですけど、世阿弥はかなりのものを書いてますね。世阿弥も観阿弥も書いてるんですけど、世阿弥の子孫たちがさらにそれに曲を付け加えていって、今に至ると。だから、観阿弥が1333年生まれだとすると、約800年以上続いているっていう。700年か。1333で2000からいくと、600で……。そうですね。700年弱くらい伝わっている非常に伝統のあるものであります。

【笹村】めちゃめちゃ伝統ありますね。

【三浦】そうなんです。

【笹村】先ほどおっしゃってたんですけど、能と狂言の違いってわからないんですけど。

【三浦】平たく言うと、能っていうのはシリアスな芝居なんですよね。これは神話とか歴史上の話を題材にしていて、例えば、能で多いのは平家物語。例えば壇ノ浦の戦いとか、そういうのがモチーフになっててそれを能に作ってるんですよね。必ずだから、話の出自があるんです。あとは歴史上の人物の生前と生後のことを能にしていたりとか、能っていうのはそういうもんで、神話や歴史上の話を題材にしていて、基本的にシリアスなものが多いですね。あとは、能の主役、シテって言うんですけど、シテは関らず面をつけます。あとは、1曲が長い。

【田中】どのぐらい長いんですか?

【三浦】短くて60分から70分。

【笹村】めちゃめちゃ長い。

【田中】短くて60分。

【三浦】まあ、50分のもないことはないけれど、だいたい60分だから。で、普通90分。長いのは120分。

【笹村】長っ!

【三浦】2時間半いくのもあります。

【笹村】2時間半。

【田中】それトイレ休憩とかないやつですよね。

【三浦】能はないです。

【笹村】よく眠くなりませんね?

【三浦】そうですね。それに対して、狂言はどっちかっていうと日常生活にあるお話が多いですね。だから、主人がいて家来がいて、主人がだいたい家来になんか言うと家来が……。太郎冠者って言うじゃないですか。太郎冠者・次郎冠者って。困ったこと言う主人だなっていい加減なことをしたり、嘘ついたりして、最後に笑いに持っていく。コントですね。言っちゃえば。コメディ。これが狂言です。
基本的に狂言の場合は、面はつけずに、素足の「素」でヒタメンって言うんです。

【笹村・田中】ヒタメン?

【三浦】素の面と書いてヒタメンと言います。

【笹村】素の面?

【三浦】そうそうそう。古来から能と狂言って今だとどういうふうに認識しているかは置いておいて、昔は能と狂言って交互に一日中やってたんです。朝から晩まで。順番でいうと、まずものすごい能にとって、大事な演目があって、翁っていうおじいちゃん……。

【笹村】おじいちゃんと書いて。

【三浦】翁(おきな)っていう字わかります? 公に羽かな。

【田中】そうですね。

【笹村】よく古典で習いましたけど、翁っていうね。

【三浦】翁の面っていうのがあるんですけど、こういう面です。

【笹村】三浦さんがお面の写真を見せてくださったんですけど、ほんまにおじいちゃんの写真。

【田中】すごいいい人そう。

【三浦】翁っていうのは、それこそほんとに室町時代ではなくて、もっと以前それこそ平安・奈良の頃からあったのではないかと言われています。翁っていうのは能にとってとても大事な演目で、別物。これはまさに神事、神のためにやるもの。だから、毎年正月明けてとか、お祝いのときとか、五穀豊穣を祈ったりとか、そういうときに演じられるのが翁で、それをやるときの面、笑ってるでしょ?

【笹村】笑ってますね。

【三浦】能の面で笑ってるのって、翁だけなんです。

【田中】ああ、確かに言われてみれば。

【笹村】能の面って怖いイメージあります。

【三浦】怖いでしょ。翁だけなんです。翁っていうのは特別演目として演じられ、その次に脇能(わきのう)。脇能っていうのは神様のためにやる能を脇能って言うんですけど、これは翁の脇っていう意味らしいです。翁がまずあって、次にある神のための能を脇能って言うんです。
その次に狂言が入って、そこから次はごめんなさいね。ちょっとあんちょこ見ますね。難しいんですけど。

【笹村】翁の脇ですか? おじいちゃんの脇?

【三浦】いや、全然それは。翁の脇。

【笹村】ああ、翁の脇のほうの話。

【三浦】面白いこと言いますね。

【笹村】すいません。

【三浦】最高です。翁があってその脇にある能を脇能と言います。その次に、脇狂言があって……。

【笹村】脇狂言。

【三浦】次にやる狂言ですね。脇能を初番目物って言うんです。一番の初めの初。その次に狂言が来て、その次が二番目物って言うんですけど。これ修羅能って言うんです。修羅ってわかります?

【笹村】仏像の顔とかにある。

【三浦】修羅はなんて言うかな。どっちかっていうと、武士をモチーフにしたようなもので、戦によって死んで行って、修羅道に落ちるとかって聞いたことあります?

【田中】修羅道って阿修羅とかなんかそういう……。

【三浦】そうそう、阿修羅は国宝の仏像だから、阿修羅の修羅。修羅道に落ちた武人の悲しみを描いたりしたものが修羅物と言われて二番目物と言われる。ここはどっちかっていうと、シテの役は武士を描いていることがほとんどです。

【笹村】主人公が武士。

【三浦】そう、だいたい全部死んでます。

【田中】終わりが決まってるのが……。

【笹村】感情移入しにくい。

【三浦】すでに死んでるから。

【田中】ああ、そうか。

【三浦】また狂言が入り、その次三番目物、これはね、鬘物(かつらもの)って言ってこれは女性をシテとしてるんです。ただ女性とは言っても、どっかで不幸な運命をしょってしまい、死んでいったとか。

【笹村】毎回。

【三浦】だいたい死ぬんですね。みんな死んでるんで。

【田中】毎回悲しい。

【三浦】また狂言が入ると、その次四番目物、1番目が脇能が神で、その次が武士の男、鬘物が女だとすると、次は狂人ですね。それも狂人なんだけど、なぜ狂人になってしまったか、それを能にしてるんです。例えば、わが子と生き別れになって、わが子を探して西国から東国のほうまで旅に来るんだけれども、そこで発見したのはわが子が死んでいるということであって。

【笹村】また死んでる。

【三浦】ほぼ死んでいるというね。わが子と離ればなれになっている時点で頭がおかしくなってて、物狂いって言うんですけど、狂人になっていて、それがわが子が死んでいるとなると、一層狂ってしまい、それを成仏させるためにお坊さんが出てきたりとかそういう。また、ちょっとそこの部分は説明します。
また、狂言が入って、最後切能(きりのう)って言うんですけど。これは鬼なんです。鬼が出る。異界のものが出てくるんです。だから、人間ではないものが主人公で出てくるんです。人間ではないものっていうのは、普通の世の中でいうと、人は怖がったり、嫌がったりするじゃないですか。能の世界ではそういう異界から来た鬼とかそういうものに対しても慈しみの情を持つんですよね。嫌われてるんだけど、最後は武士に殺されたりするんだけど、非常に悲しいことに死んでしまうので、やっぱり成仏できない。そういう異界の妖怪ですらちゃんと成仏させてあげようっていう、それが切能の世界っていうんですかね。おおざっぱに言うとそういうことなんですけど。
だから、翁、狂言、脇能、狂言、修羅物、狂言、鬘物、狂言、物狂い、狂言、切能って11演目。

【笹村】すごいですね。11演目。

【三浦】だから古来は全部やってたんです。

【田中】すごいですね。

【三浦】全部やってたんです。たぶん。見たことないですよ、もちろん。

【笹村】見たことあるようなしゃべり方してはりましたからね。

【田中】確かに見てきたかのような感じはした。

【三浦】講談師は見てきたように物を言いって言うんですけど、これ講談じゃないですけど、そういうふうに演じられていたのが従来の能の演じられ方なんですよね。今はそういうのを切り出して、翁は本当に大事なときしか演じられないので、正月明けとか、それからものすごい記念のときとか、例えばこの流派何十周年、何百周年とかそういうときかな。あと、来週から本来だったら、オリンピック・パラリンピック記念能楽なんとかってあるはずだったんですけど、オリンピック・パラリンピックなくなったんで、今度コロナウィルス終息祈願でやるんですよ。それは翁やっぱりやられます。祈りを込めて。
※「能楽公演 2020 ~新型コロナウイルス終息祈願~」2020年7月27日(月)〜8月7日(金)まで上演

【笹村】まさに神事。

【三浦】大事な祈りを込めて翁をやるっていうのが10日間やるうち、2日あります。そういうときに翁はやられる。とか、さっき時間のこと言いましたけど、2時間半もやるものってやったら、それだけ
で十分って感じしますよね、もはやね。それに狂言1個入れて演じられたりとか。あと、能って謡(うたい)だけで、謡って話してるのも謡って言うんですけど、あれだけで聞かせるものもあるので、あとは舞っていう動きですね。それだけを切り取って見せたりするものもあるんで、そういうのを少しずつ見せながら、最後は大きな大曲を1曲やって終わるというのが、最近の傾向ですね。そんな11もやらずに。なんとなくわかります? 

【笹村】今話聞いた限り、能行きたくなりましたよね。

【三浦】ああ、よかったです。

【田中】狂言の重要性はすごくわかりました。悲しい悲しい悲しいって続いちゃったら、どんどん気持ちも落ちてっちゃうから、狂言でピッて上げてあげないと。

【三浦】基本的には成仏させるためのものなので、あ、そうそうそれでいうと、能の場合必ず最初にワキっていう準主役ですね。シテが主役だとすると脇役のワキです。ワキがお坊さんなんです、だいたい僧侶。諸国を行脚している僧でそうろうってお坊さん出てきて「私は今西国から巡ってきて、こっちに着いたけれども、ここでこういう土地でのこういう話を聞いたから、ここで話を聞きながら、ここでしばらくとどまっていようと思う」っていうのがまず最初出てきて語るんですけど。その
お坊さん何するかっていうと、シテ方……。

【笹村】シテ方?

【三浦】死んじゃった人とか、殺された異界の動物とかそういうのを成仏させるための役割として出てくるんですね。だいたい僧侶が出てくると、この土地にはある人がいて、この人はこういう人生を歩んだんだけれども、実はこういう不幸な死に方をしましたっていうような話が前半で出てくる。それは、こんな不幸な死に方をしたんだよっていうのは主役のシテが謡で話すんですけど、前シテって言って、ぜなぜこの人がこんな不幸な運命になったのかっていうのを語りの上に言うと、お坊さんは、それは大変かわいそうなことだなと、回向して死んだよっていうようなことになってるんです。その前と後の間で、全体の話を語っていくのが、狂言方が出てくるんです。狂言の人が実はこの土地に伝わる話がありまして、ぜひこの不幸な人を弔ってあげてくださいって言って、だいたいお坊さん寝るんです。

【田中】寝ちゃうんですか?

【三浦】寝ちゃうと後半になってきて、そこに亡くなる前の不幸な人が生前の姿で現れる。面がちょっと変わったりなんかして、装束も変わる。それで妖怪だとこの世に恨みを持ってるんで暴れまわるんですけど、でもお坊さんが数珠を持って回向したりするんで、そうするとだんだん静まっておとなしくなる。死んじゃった人だと、お坊さんが弔ってくれたお礼に「一節舞いましょう」って舞を舞うんです。舞っていうのは能においては非常に重要な。能の1曲を演ずるのに1曲舞うって言葉使うんです。だから、舞はとても大事な言葉で、その舞をお礼に舞うんですね。お坊さんが私のことを弔ってくれるから、それで私は成仏できるっていうお礼の意味で舞を舞って、そのうちいなくなるんですけど。本当にいなくなるわけじゃないですよ。去っていく。そこでお坊さんがハッと目を覚めると、夢だったっていう。

【笹村・田中】夢落ち。

【三浦】夢落ちなんです。結構多いです。これは世阿弥が編み出した手法なんです。

【笹村】世阿弥が夢落ちを。

【三浦】これは複式夢幻能って言って、これは世阿弥の編み出した完全な発明です。結構この形式でやられる能は多いです。

【笹村】初めて知りましたね。

【田中】夢落ちという手法がもう存在してるなんて。

【三浦】夢落ちとは言わないですけど、落ちてはいないわけで。

【田中】落ちてはいないけど。

【笹村】アニメや漫画の基本ですからね。

【三浦】だいたいそうですね。2時間半とか短くても90分とかで演じられて……。能楽堂は入ったことはないですよね?

【笹村】入ったことないですね。

【田中】私もないですね。

【三浦】能楽堂ってね、入ると違う空間なんです。「あれ? 空気違うなここ」ってものすごい静かだし、ここちょっといきなり日常とは違う空間入ったなっていうのが意識としてくるんです。それで静謐な空間っていうのに気持ちが癒される。で、席に座りました。能の場合ってお囃子がいるんです。

【笹村】お囃子。

【三浦】じゃあ、能の登場する人の話をしないといけないですね。まず、さっきから言ってるシテは主役ですね。で、お坊さんワキ。ワキの連れっていうか、ワキについてくる人ワキツレ、それから全体の話の進行っていうか物語を説明していく人が地謡(じうたい)って言って、地謡ってずっと歌い続けるんです。シテの言葉を補佐したりとか、全体を語っていったりするのが地謡。こういう人が8人ぐらいいるんです。

【笹村】8人もいるんですか?

【三浦】いますいます。能舞台の後ろのほうに控えて、全体の音楽的なものをつかさどる人たちが囃子方って言って、向かって右から笛、能管って笛を吹く人、それから小鼓、そんな小さくないんですけど、あと大鼓、いるときは太鼓。太鼓はいたりいなかったりします。

【田中】大鼓と太鼓がいるときもある。

【三浦】小鼓と大鼓は必ずいます。笛、小鼓、大鼓は必ずいて太鼓は意外といないときのほうが多い。妖怪が暴れまわるときとか、太鼓の音。

【田中】迫力の音ですよね。

【三浦】で、この人たちが音的なものをつかさどっていて、謡との相性で進めていくんですね。囃子方の人たちが最初能舞台の楽屋ですでにやり始めるんです。能管と小鼓、大鼓で。音を出し始めるとこれが能の始まりなんです。1回それが終わってしばらくすると、揚幕っていうのがあって1番左側に、揚幕っていうのは能役者たちが出入りする幕なんですけど、そこから囃子方まず出てきて、自分のいるべき位置に座ると、地謡はそっからではなくて、切戸口っていうのがあって、右側に小さい出入口があるんですね。そっから地謡の人たちが入ってきて座る。座ってしばらくすると、揚幕からワキが出てくるんです、お坊さんが。お坊さんがゆっくりゆっくり進んでくるんで、だいたい能楽堂に入ると、「あ、静かだな」と思い、かつ「ゆっくりゆっくり進んでくるな」と思うと、その時点で眠くなるわけなんです。

【笹村】なるほど。

【田中】早速早速。

【三浦】まあかなりの緊張感のある場面ですよね。実際に見てると、表情とか含め、たたずまいとか、まず姿勢がいいですからね。すり足でスースーと。能舞台のところにたどり着くと、ワキが名乗りをあげて、いよいよ本筋に入っていくんですけど、そうしてしばらくすると、シテが登場してくるんですけど、それもまたゆっくりで。まあ最近でこそなくなりましたけど、見始めた頃は眠くなる要素満載でした。全然寝ていいんですよ。

【笹村・田中】寝ていいんですか?

【三浦】いびきかくとあれですけど。眠ってくださいって言いますから、気持ちいいもんなんで、謡とかものすごい気持ちいいから聞いてて。

【笹村】寝ていいですよと。

【三浦】寝ていいです。気持ちよかったら寝てください。みんな。

【笹村】そしたら現代社会で疲れてる人とか能っていいかもしれないですね。

【三浦】お金払って寝ることになっちゃうけど。

【田中】マイナスイオンが出てるかのような感じになりますよね、きっと。

【三浦】向こうはかなりのオーラを発しながら。不思議なことに彼らは別にオーラを発しているというよりはシテの場合、面をつけて装束をつけた時点でものなんですね。それをいかにこっちが感じ取るか、それが感じ取れるようになると眠くならなくなる。「ウオーッ」ていう。

【田中】没入感っていうか、入っていく感じとかっていう。

【三浦】シテの感情にどうやってたどり着くことができるか。まあ基本的に死んでるんで悲しいよねって。なんで私はこんな目に会うんだろうとか、なんで死ななあかんのかっていう、悲しい話がほとんどなんで。そこに感情移入していくと、「つらいな」とか、それを表現していく演能は大したもんだっていうようになるとだんだん寝なくなるんですけど、また非常に能に重要な舞の部分。舞はまたゆっくりなんですよ。

【笹村】眠くなる。今三浦さんがまねされてますけど。

【三浦】扇子1枚裏返すのにこういうのとかね。

【笹村】舞です。これが舞です。

【三浦】なかなか舞は眠くなります。いいんです。でも眠くて。能楽師さんたちは別にいびきでうるさくしなければ、だれも怒りません。周りのお客さんも怒りません。

【田中】最前列で寝てても。

【三浦】シテは特に見えません。

【笹村】シテは見えないんですね。

【三浦】視界がもうほんとに狭いですから、面の視界はほとんど見えてないですから。だから、足の感覚でどっちに進んでるかとか、そういうのを。だから全部入ってるんです。

【田中】結構舞台立ってたりとかすると、単純なプレゼンとかでもお客さんの顔見えないと怖いとか、前見えないと怖いとか普通にあるじゃないですか。見えてないんだ。

【三浦】音は聞こえますけど。視界はほとんど。見えてなくていいんです。目なんかまったく頼りにしていない。

【田中】すごい感覚の世界ですね。

【三浦】そうなんです。完全に体に入っていて、身についてる。
あ、そうそうもう1つ。これが結構大事な役割の人がいて、主役のお世話する人がいるんです。後見(こうけん)っていうんですけど、シテ方の衣装の裾をなおしたりとか、ちょっとした小道具を引き取ったりとか、そういうことをする人なんですけど、実はこの人すごくて、仮にシテが心臓まひかなんか起こしたりするとするじゃないですか。そしたら、後見が変わるんです。

【田中】え? 代役になっちゃうんですか? その場で。

【三浦】能って始めたら神事なんで途中でやめちゃいけないんです。ある人を弔うために始めたものを途中でやめちゃいけないんです。それは絶対やってはいけないことなんで、後見が代わるんで。そうやって後見っていうのは実は能の1曲を支えている非常に重要な方っていう、必ずいます。

【田中】不可欠な存在なんですね。

【三浦】能の本当のさわりですが、どうですか? 能行きたくなりますか?

【笹村】なりました。これからもポッドキャストで、もっともっと他のことについて聞いていきたいなと思いました。

【三浦】まず本当の能楽堂行くのがいいんですけど、チケット買ったりとかハードル高いので、NHKって放送局あるんですけど。

【笹村】存じ上げております。NHKですよ。

【田中】みんなのね。

【三浦】みんなのNHKって放送局あるんですけど、月にいっぺん、教育テレビの日曜の9時から2時間番組の「古典芸能への招待」をやってて。これで歌舞伎やったり、文楽やったり。たまに3か月にいっぺんぐらい能やります。それ1回見てみてください。そうすると、「あ、三浦が言ってた。後見ってこの人なんだな。囃子ってこの人なんだな。シテってこの人なんだな」っていうのがわかりますから、あと解説もしっかりやってくれます。

【笹村】見てみます。

【三浦】ぜひぜひ。あと金曜日、これもNHKって放送局でやってるんですけど、Eテレで金曜の夜11時から「にっぽんの芸能」っていうのをやってて、これ古典芸能部必見ですよ。この番組。

【田中】みんな見たほうがいい。

【三浦】歌舞伎もよくやるし、文楽、狂言、日本舞踊、週替わりでこれは必見ですよ。1時間でまとめてあるから、わかりやすいですから。そこでも能たまに取り上げるんで、それも見ていただいて、そうすると「あ、能ってこういうもんなんだ」、「狂言ってこうなんだ」ってなんとなく少し頭に入ってくると、「じゃあ能楽堂行ってみようかな」とか、もう1回こういう機会持って、もうちょっとじゃあ、「演目の話してください」とか言うと、さらに少しずつ進めるのではないかと思いますが。こんな感じでみなさんどうですか?

【田中】ありがとうございます。ちなみに残念ながら、そろそろ終焉のお時間なんですけれども。

【三浦】ほんのとば口でしたが、ちょっと能の話を。

【田中】やっぱ伝統芸能観るのって入り口がすごい大事で。

【三浦】入り方間違えると、やんなっちゃう、嫌いになっちゃうんで。

【笹村】なるほど。難しすぎて。

【三浦】いきなり行かないほうがいいですね。入り口間違えるとほんとに一気に嫌いになって、「ああ、もうやだ」ってなってしまうので、そこだけ間違えなければ。まあ、間違えようもないですよね。

【田中】今日聞いただけでも基礎の知識をいただけたので、実際に行ってみたいなっていう気持ちがすごいするっていうのプラス、個人的な今日のハイライトでいくと、夢落ちという手法が鎌倉時代からあったというのが。

【三浦】室町ですね。世阿弥が編み出したのは室町で。

【田中】ああ、室町か、ごめんなさい。

【三浦】複式夢幻能。

【田中】でもそうやって脈々と今に続いているものとかもいっぱいあるんだなとかって。

【三浦】だから芝居っていう言葉も興福寺のある芝生の上でやったものが芝居って。今は普通に演劇のことを芝居って言いますよね。あと、ワキもそうですし、脇役って言うじゃないですか。あと、「2名で予約したんですけど、連れは後から来ますから」っていう連れも。

【笹村】その連れってそっから来てるんですね。

【三浦】その連れですよ。だから、日常的な言葉でも意外と浸透している。

【笹村】我々が日常使っている言葉も能から実は来ている。

【三浦】まあ多くはないですけど、元があるっていう。

【笹村】それだけ日本人の生活に根付いてるかも。

【三浦】日本人の気持ちに能ってすごいしっくりくるものなんです。合うものっていうかな。能と向き合うと日本人の心根っていうことで言うと、それが理解できる。日本人の心が神様のこと、仏様のこと含めて、別に信じる信じないではなくて、そういうこととの親近感、距離感が縮まって一体化できるっていう、そういう快感も得ることができるのではないかと思います。ぜひぜひ能を。

【田中】では、次回も伝統芸能、楽しく勝手にPRしていきたいと思います。

【笹村・三浦】いきましょう!

【田中】それでは次回講演までみなさん、さようなら。

【笹村・三浦】さようなら、ありがとうございました。

【'20/10/16配信】
テーマ「~能楽談議~:“歴史”・“番組”について 」
プロデューサー:笹村直希
キャスト:笹村直希、三浦知之、田中見希子


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