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【脳死は人の死ではない#3】母親の愛情によって植物状態の息子が意識回復!

前回、ポーランドのヨウ・グラフスキンさんのお話を取り上げましたが、今度は中国のお話です。ナリナリドットコム」2009年7月7日の記事を引用します。

母親の5年越しの“愛”が届いた、事故で植物状態の息子が意識回復。

 2007年4月12日、植物状態だったポーランド人のヨウ・グラフスキンさんが19年ぶりに意識を回復したニュースが世界を駆け巡った。グラフスキンさんは「19年間、感覚も記憶もすべて正常だった」と語り、周囲をあっと言わせたが、植物状態から目覚める可能性は昏睡期間が長くなればなるほど低くなると言われている。今回のケースは、母親の献身的な介護により、5年という月日を経て、植物状態から目覚めた男性の話。最後まで信じた母親の愛に、神様が応えてくれたのかもしれない。「荊楚網」が伝えている。

 湖北宜都市に住む親子――母親の艾常芬と息子の李涛は、石油倉庫の寮で2人暮らし。今ではテレビ番組を見て笑い、自分の手でバナナやビスケットを食べている李涛だが、ここにたどり着くまでの道のりは長く険しかった。2002年、石油倉庫で働いていた夫がリンパ癌で亡くなったわずか5日後のこと。李涛が出勤途中でバイク事故に遭い、重傷を負ってしまう。李涛は一命を取り留めたものの植物状態になり、意識を奪われてしまった。

 立て続けに不幸が起こり打ちひしがれた艾常芬。しかし、彼女はあきらめなかった。「残りの人生をかけて息子を救う」と決意し、その日から植物状態の李涛との二人三脚の人生が始まる。1日3回の食事は少なくとも5時間かけ、流動食を息子の胃の中へ送るために、管を用いて食べさせた。ベッドで長期間横たわっている息子の足がけいれんするようになれば、力を入れて毎日マッサージ。息子の治療費を工面するため、艾常芬は家にある高価な品物をすべて売り払い、息子を少し離れた武漢の病院まで診察に連れて行ったりもした。当時、息子は何をしても反応がなかったそうだが、彼女は毎日息子に呼びかけ、介護を放棄することはしなかったという。近所の人の話では「5年間、彼女はほとんど寝ていなかった」というのだから、さぞ過酷な毎日であったのだろう。

 そんな献身的な“母親の愛”が実ったのか、李涛が植物状態になって5年が過ぎた2007年6月のある日のこと。艾常芬は息子が「お母さん」と叫ぶのを聞くことになる。音ははっきりしていなかったそうだが、息子が確かに一言叫んだ。そして、5年ぶりに聞く息子の声に彼女の瞳からは自然と涙があふれ出たという。

 息子の声を聞いて希望を見出した艾常芬は、さっそく李涛のためのリハビリプログラムを開始。地方から昇降ベッドを取り寄せて棚を付け、知人に頼んで滑車とワイヤで手足を上下に動かして運動ができるベッドに改造した。彼女は毎日、身体が衰弱し切っている息子に3時間ほど手足を動かす手伝いをし、その結果、息子の筋肉は徐々に回復。寝返りをうてるようにまでになった。また、彼女は、夜間に少なくとも2度は目を覚まし、長時間ベッドに横たわる息子が床ずれにならないように体勢を変えてあげたりもしたそうだ。

 今、息子の李涛は、ゆっくりとお椀のご飯を食べることができるほどまでに回復した。息子の動作は相変わらず不器用だが、それでも艾常芬にとっては大変嬉しいこと。彼女は随分と年老いてしまったそうだが、息子が回復していることに喜びを感じ、恨みも後悔もまったくないという。今の望みは、「自分が生きている間に息子が立ち上がり、そして自力で生活ができるようになること」と語っている。

ヨウ・グラフスキンさんの場合、奥さまの献身的な介護でしたが、李涛さんの場合は、お母さんの艾常芬さんの献身的な介護でした。母子の愛情の素晴らしさを、ここで実感します。

李涛さんが植物状態だったとき、どういった状態だったかといった内容はこの記事にはありませんが、植物状態から意識を回復した顕著な例として、ここに載せておきたいと思います。

見出し画像は、サファリサファリさんの画像をお借りしました。ありがとうございます。

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