おとといきやがれ
「理想主義すぎる」と言われた。
差別に関する文脈で。
「それ、INFPの特徴だよ」とも。
理想を求めないで、現実問題との兼ね合いを見てゴール設定していても
マシな世界はやってこないと思うから、私は理想を追求したい。
「フェミニストとかじゃないんだけどね」
と前置きしてフェミニズムを話す友人がいる。
「あなたの言ってることはフェミニズムだと思うんだけど、
あなたはなぜフェミニストじゃないの?」
と聞いてみたら、
「私は中立で居たいんだよね」とのこと。
なるほど?
なんだか理想主義の話も、中立の話も
同じ理由で私はモヤモヤしている気がするから
この理由についてちゃんと考えてみようと思って
久しぶりにnoteを書いてみる。
まず世界は不均衡で、
権利を享受できる側とできない側がいる。
たとえばマジョリティが、
たとえば男性が、
たとえば異性愛者が、
たとえばシスジェンダーが、
たとえば入植者が、
優位に傾いている世界だ。
そんな世界の真ん中は、真ん中と言えるのだろうか。
この世界における中立は真ん中ではなくて、優位なものに傾いていると思う。傾斜を考慮して真ん中を再設定する必要があると思う。
私の考えるフェミニストは、差別を無くそうとする全ての人を指す言葉で、
フェミニストこそが中立だ。
例えば、
「男性嫌悪ーフェミニスト(中立)ー女性嫌悪」のイメージ。
友人の言う通りフェミニストが中立ではなく、どちらかに傾くものとして捉えると、
「フェミニストー無名(中立)ー女性嫌悪」になる。
この場合の無名の中立者たちは、
「男性優位社会」における真ん中であり、
無名の中立者たちは、女性の不平等を解消しうるとは思えない。
同時に、「現実問題を見ないと」とか「理想主義すぎるよ」も、
「男性優位社会」の現実の範疇で可能な範囲
をはみ出すものを、「理想」と呼んで鼻白んではいないだろうか。
または、「シスヘテロ優位社会」の範囲範疇。
そんなふうに傾いた現実を考慮した真ん中を、平等だと信じて
不平等な立場の声を「中立の外の声」としていたら
優位社会の再生産しかされ得ないのではないだろうか。
たとえば育児においても、家庭においても、
さまざまなライフハックがある。
やれスマート家電だ、外注だ、保活だとやり方はあるが
こういうのも、傾いた社会を生き抜くためのライフハックであって
社会の傾きを是正できるわけではない。
社会の傾きを、個人の努力で何とかしようという試み。
この個人の努力もともすれば危険だ。
この場合の「努力」もまた平等ではなく、
勾配の強者が優位になってしまう。
(あらゆるもの駆使できる金銭的立場的優位性を持つも者のみが)あらゆるものを駆使して生き抜いたものだけが、生きていける社会なんて
私は子どもに残したくないんだよ。
傾いた社会における真ん中を陣取っていたって、
結局優位者たちの優位性を担保し続けてしまうから。
だから私は、真ん中には居たくない。
だから私は、フェミニストなんだよ。
おとといきやがれ。