#06 7年目〜9年目で会社やめちゃうまで

派遣から帰還

派遣3年目が終わるタイミングで、晴れてお役御免となり自社へかえることに。

望んでいなかった派遣、上司にはことある事に「3年で帰して欲しい」と懇願していた。
派遣先の仕事にも慣れてきたし、人間関係も良好だったが、常に『派遣先会社の人』になることを恐れてた。
同期や後輩にプログラマとしての経験値の差をつけられるのも不安だったんだと思う。

だから、自分の会社に帰ったオレは嬉しかった。
しかも、入社以来望んでいた船舶系の機器の開発を手伝うことに!
今までやったことない分野(船だし組み込みだし)だったが、一緒に仕事してみたかった人の下で働いて本当に楽しかった。
最後実験船にも乗せて貰えたし!

それと共に、インターンシップ生の指導員や新入社員研修(会社に提案して自分で作った)も率先してやった。

最初のうつ病

船舶機器の担当から、ETC車載器の担当へ移りしばらくした2009年8月にうつ病と診断され会社を休職する。
正直何が原因だったのかはよくわからない。
とにかく何も出来なくなった。
一人暮らしだったから、メシはほとんど外食で済ませた。
薬飲んでるから酒飲むなと言われていたが、普通に呑んでたと思う。この頃は酒を呑まなきゃ狂っちゃうと思ってた気がする。

幸いある程度の蓄えと、保険で給料の8割くらいは貰えてたので金銭面の不安はなかった。
いざと言う時は親を頼ることも出来る環境だし。

定期的に通院するもなかなか症状は改善しない。
ある日主治医から「最近よく使われるようになったアドレナリンに作用する薬をついかしてみよう」と言われそれに従ったら、徐々に症状に改善が見られた。
(ただ、今思えばこれ急に上がりすぎたように思う。)

職場復帰

2010年4月から職場復帰。復帰とともに開発課から出来てまもない品質管理課へ異動辞令がおりた。
とは言え、開発案件(グループ会社のWebベース社内システム)の窓口業務(PM的なこと)なんかもやってはいた。

この頃考えていたのは、人が壊れない会社組織に出来ないかな?ってこと。
自分が壊れちゃったし、会社全体からみても10〜15%程度が休職を経験してた。
まぁどうすりゃいいかは未だに分かってないんだけど…
とにかく会社は人のためにあるもので、それによって人が壊れちゃ本末転倒じゃないかと思い悩んでた。

アートとオレと

このころ、業務でプログラミングから離れてたオレは、プライペートでなにか楽しいモノ作れないかなと思いたち専門学校の卒業制作でつくったリアルタイムビデオエフェクターをOpenCVっていう画像処理ライブラリをつかってリメイクしてみた。

つくってみれば展示してみたくなる。友人のお店(古本バー)で展示会やらせてもらったりして遊んでいたところ、その店で知り合っていた呑み友達が「今度通天閣でやるアートイベントででかいディスプレイ借りれるからそこでやれへん?」ってさそってもらった。
楽しそうだからそりゃやるよねw

最初は展示だけやるつもりだったけど、準備してたらデジタルスキルを持つ人材が足りてなさそうだったので、意を決して実行委員もやることに。

自分の作品展示、ロゴパズルのWebアプリ開発、イベント紹介生配信番組のディレクション、Twitterの中の人などを担当する。

2011年2月アートイベント開催。
これがめちゃくちゃ楽しかった!!
自分のつくったプログラムで人が楽しんでくれる。笑ってくれる。それを見てるだけで幸せだった。
このイベントの実行委員の人達は基本的に個人事業主で、この辺から個人事業主に興味が湧き出す。

そしておなじころ会社から「山下は開発経験が足らんから開発課に異動」との辞令が。
俺から開発経験奪ったの会社じゃないのか??なんとか品質管理課でも目標立ててやろうとしてる所で??とおもってしまったオレは対して考えも準備もないまま辞表を提出する。
今考えてみればこの頃から結構な躁状態だったと思う。
幹部社員にめちゃくちゃ長文のメール送ったり、送別会開いてくれたのに同期の子が言った一言が許せなくてキレたり、変に感情的になってよく泣いたり…
今までの自分ではありえないことをしてたように思う。

その後、2011年3月11日東日本大震災が発生。

2011年3月31日退職。

続きは次回。最後まで読んで頂きありがとうございました!


いいなと思ったら応援しよう!