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小説を書ける人と書けない人の差はどこにあるのか

小説を書くひとの脳内はどうなっているんだろう?

以前から、そんな疑問がぼんやりとあった。noteに来るまでは、小説を書くひとは小説家という職業のひとで、書店に並んでいるような物語を書くひとだと思っていた。つまり、わたしの住む世界とはまったく違う世界に住んでいるひと。

その勝手な思い込みは、noteに来てガラガラとくずれ落ちた。

小説を書くのは、わたしと別世界に住んでいる小説家だけじゃない。これは清々しいほどの驚きだった。

noteのコメント欄でやりとりしているひとが、小説を書いている。その事実にわたしは色めき立った。小説を書くひとは雲の上の存在だと思っていたのに、言葉を交わせる距離にいる。その事実はわたしの心を弾ませた。

noteで小説を読むうちに、以前からぼんやりとあった疑問がクッキリと浮かびあがった。

小説を書くひとの脳内はどうなっているんだろう?

先日、その疑問を紐解くのにうってつけのイベントがあった。大人の妄想小説を書くverdeさん主催の、オンライン大人相談会だ。


テーマは『創作においての妄想力』。

参加者7名のうち、半数以上が小説執筆経験者。わたしは小説をイチから書いたことがなく、妄想力は全くの皆無。カラッカラに干からびているレベル。

その相談会で、小説を書くひとたちの脳内をのぞかせてもらった。

クローズド空間の話なので詳細は割愛するが、小説を書くひとは妄想力や想像力がとても豊かだと感じた。

目の前にあるなにか、例えば、鉛筆1本でもリンゴ1こでも、そこから物語を紡ぐことができる。

音楽を聴いたとき、映画を見たとき、小説をよんだときに、そこから着想を得て想像を膨らますことができる。

妄想力豊かなみんなの話を聞きながら、観察力の高さの違いかな?と最初は思った。でも話を聞くうちに、観察力とはちがうなにかを感じた。

映画・音楽・小説などにインスパイアされ、そこを起点に別のストーリーが脳内に映し出されることがあるらしい。

現実生活でその映画・音楽・小説に関するなにかを見かけたとき、そのなにかがトリガーとなり、そこに紐づけられたものが妄想として湧いてくるという。

わたしの脳内といったいなにが違うのか。わたしの想像は、こうだ。

妄想力が豊かなひとは、映画や小説のストーリーや内容を『自分ゴトとして記憶』して『自分の実体験データベース』に入れているのではないか?架空のストーリーを、実体験として脳に記憶しているのではないか?

反対に、妄想力ゼロのわたしは、音楽や映画や小説に触れても、あぁ感動したとか、あぁこの人生は切なすぎるとか、そういった気持ちをあくまでも『客観的な感想』として処理する。

これは架空のストーリーだと線引きし、自分ゴトとしては記憶しないし、自分の実体験データベースとは違う場所に入れているのかもしれない。

だから、現実でその映画・音楽・小説に関連するなにかを見かけても、内容は思い出すけれど、そこからなにか新しいモノは生まれない。自分ゴトとして処理されなかったから、現実のフェーズとは違うところにあるのだ。

わたしの実体験データベースには、実際に自分で体験したことしか入っていないのだろう。

でも、妄想力や想像力の豊かなひとは、『自分の実体験データベース』が充実しているのではないだろうか?架空のストーリーも『自分ゴトとして記憶』していて、実体験以外の体験も実体験データベースに入っている。

データベースが豊かなほうが創作に適しているのは言うまでもない。自分のデータベースの範囲内でしか、文章としてはアウトプットできないんだもの。

脳内で架空のストーリーとして処理するよりも、実体験として処理したほうが記憶は強固だし、自分自身に落とし込める感覚は深いはずだ。

また、妄想力や想像力が豊かなひとは、心の自由度、開放度、柔軟性が高いとも思った。いつも思考を自由に泳がせていて、余白がある感じ。

わたしのように妄想力が干からびた人間は、映画や小説は現実とはまったく別次元にあって、別のレイヤーに存在するものだと、つい思ってしまう。

映画や小説を鑑賞しているときはどっぷり浸かっているけれど、見終わったらソコで終了、と線を引いている。

しばし余韻に浸ることもあるが、映画館を1歩出れば自分の生活に意識を集中するし、本を閉じたらその時点で、小説とは切り離した現実を生きている。

つまり、わたしにとって、映画や小説はまったく別次元で起こったことで、現実とは地続きではない。

妄想力や想像力が豊かなひとは、心の自由度や柔軟性が高いから、映画や小説が現実と地続きになっているのかもしれない。

だから、現実と架空世界をバリアフリーに行き来しながら、それによって感受性が磨かれていくのではないか。

そんなことを考えながら、今日のランチタイムを過ごした。

小説を書くひとの脳内はどうなっているのか、それをほんの少し垣間見ることのできた、有意義でとても楽しい時間だった。

主催者のverdeさん、参加されたみなさま、貴重な意見を聞かせてくれてどうもありがとうございました。

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