人を好きになること
今日からぼくは、小学生になる。
お母さんに手を引かれ、小学校へと向かう。
入学式で、スーツを着ている。うれしいけど何だか恥ずかしくて、くすぐったい気分だ。
背中には、ぼくには大きすぎる緑色のランドセルが、ぶら下がっている。ランドセルを観に行ったとき、一目で気にいって、買ってもらった。
ランドセルを初めて、背負ったとき、急にお兄さんになった気がした。
今日はぼくたち1年生が主役のはずなのに、お母さんの方が、気合が入っていて、おきがえや、おけしょうに時間がかかっていた。お父さんは、ネクタイをしめながら、
「おいおい、お母さんが主役じゃないんだから、そんなに気合入れなくてもいいだろ」
って、笑っていた。
「おれは仕事で、行けないからビデオ撮影よろしくね」
お母さんは、準備が終わると、ビデオカメラを手に持ち、任せとけと言わんばかりに、ピースサインをした。
「お母さん時間だよ」
ぼくにせかされ、再度鏡を見てから、
「おっけぇ。行きましょう」
と、言った。
3人で家を出た。ここでお別れ。
「めぐみ、楽しんでおいでよ。リラックス」
言って、お父さんは両手を広げて見せた。
「いってらっしゃい」
お互いに言葉を、かけ合い家を後にした。
小学校に行くとちゅう、商店街を通る。幼稚園のときは、親と一緒じゃなきゃ行けない場所。しかも、行くのはお魚屋さんと、お肉屋さんと、八百屋さんくらいで、商店街のおくまで行ったことがなかった。だからぼくは、小学校に通うことになるだけじゃなくて、まだ見たことのないお店を見ることができるので、すごくドキドキしていた。
商店街を通ると、色々なお店の人たちが、お店の外まで出てきて「おめでとう」と、声をかえてくる。中にはぼくのことを今よりうんと小さいころからしっている人もいて「めぐちゃん」って、名前まで付けて、声をかけてくる。
うれしいけど、恥ずかしくて、下を向きながら小さい声で「ありがとう」と返した。
お母さんはそんなぼくの様子を見て、ふふふと笑いながら言った。
「あら、こんなに元気がなかったら、お名前呼ばれたとき、大きな声でお返事できるかしら」
昨日、お返事の練習をしたときは、ばっちり大きな声が出せたけど、少し自信なくなってきた。でも、そんな気持ちを吹っ飛ばすかのように、商店街のおくのお店が、気持ちを持ち直させてくれた。
商店街のおくの方は、何て言ったらいいんだろう。そう、言うならば『子供のらくえん』
だ。だがし屋さんに、おもちゃ屋さんに、人形がずらりと並んだお店。スポーツ道具が売っているお店、子供服がたくさんあるお店もある。
ぼくはお人形が大好きだったから、ドールハウスと書かれたお店が、ひときわかがやいて見えた。
ところどころ、とりょうがはがれているが、キノコ型をしていて、かわいらしい、いで立ちをしている。じっと見ていると、まるで童話の世界に入ったかのようなかんかくになる。
丸い小さな窓から、こがね色の髪の毛に、青いひとみをした、かわいらしいお人形さんがこちらを見つめていた。
ぼくのしんぞうは、こわれちゃうんじゃないかってくらい、とびはねた。
こんな気持ちになるのは、初めてで、照れくさいような、悪いことのような、そんな気持ちにさせた。
見とれていると、お母さんが手を、引っ張ってきたので、われにかえることができた。
小学校に行くと、幼稚園が一緒だった友だちもいて、きんちょうが少し、和らいだ。
1人1人名前を呼ばれて行く。その間、ずっとあのお人形さんのことを考えていた。
考えると、むねがぎゅっと何かににぎられたような感覚になり、頭がぼぅとする。
頭の中が、お人形さんのことでいっぱいの僕の背中を、だれかがこづいた。びっくりして、背すじがぴんとした。
「めぐちゃん、呼ばれているよ」
お友だちが、呼ばれていることを教えてくれた。あわてて、「はい」と大きな声で返事をした。
お母さんたちの方から、小さく笑い声があがった。
恥ずかしくなって、うつむいた。と、同時に、帰ったらお母さんにおこられるかもしれないという気持ちが生まれ、お母さんの方を向けなかった。
入学式が終わってお母さんが、こちらに来た。少し困った顔をしている。
「お疲れさま。お返事1回で、できなかったけど、何かあったの? 」
怒られると思ったのに、心配してくれた。
少しだまってから、おそるおそる言った。
「その、今日学校に行くとちゅうにあった、ドールハウスにお人形さんがいたんだけど、そのお人形さんのことを考えてたんだ」
お母さんは笑った。
「本当に、めぐみはお人形さんが好きなのね」
おこるどころか、楽しんでいるように見えた。お母さんは、やさしいし、ぼくの気持ちを否定することが、あまりない。お人形が好きと言うと「男のくせに」なんて言う人もいるけれど、お母さんは、
「男の子でも、女の子でも好きな物は好きなのよ。その気持ちを大事にしてね」
と、いつも言っている。ぼくは、ふとこの気持ちを、お母さんなら分かってくれるかもしれないと思って、自分の気持ちをすなおに言ってみることにした。
「お母さん、ぼくへんなんだ」
「へんて、何が? 」
「そのお人形さんんのことを考えると、ドキドキして、しんぞうがだれかに、ぎゅってにぎられた感じになるの。そうして、いきぐるしくなるんだ」
お母さんは少し、おどろいた顔をしたけれど、すぐに、ぼくをだきしめて言った。
「おめでとう。初恋だね」
「はつこい? 」
それがぼくには、どういうものか分からなくて、でも、すてきなことだということは、何となく分かった。
「初めて、人を好きになることを初恋って言うのよ」
「人じゃなくてお人形さんだよ」
「めぐみにとって、そのお人形さんは、とくべつなそんざいってことよ。お人形さんに恋することは、わるいことじゃないわよ。何を好きになるかは、人それぞれ。好きになる気持ちが大切なの。今の気持ちを大切にね」
よく分からなかったけど、ぼくは今、すごいことをしているんだと思い、こくりとうなずいた。
「入学祝いに、そのお人形さん買ってあげる」
「え、いいの? 」
もうぼくの身体中のモノがおどり出しそうだ。何か買ってもらうのに、こんなにうれしいことは、初めてだ。
「じゃぁ、さっそく帰りに、ドールハウスによって行きましょう」
お母さんと手をつないで、いきようようと、お店へ向かった。
ドールハウスやおもちゃ屋さんには、入学式を終えて、親と買い物をしている子たちでにぎわっていた。
ドールハウスの窓から視線を感じて中を見ると、あのお人形さんが、こちらをおすましして見ている。
さっきまでお母さんが、手を引いていたけれど、お人形さんを見たとたん、立場が逆転して、ぼくがお母さんの手を引いて、扉を開け、お人形さんへ一直線に、進んでいた。
あと1メートルのところで、手を伸ばした。
と、同時にツインテールの女の子が、お人形さんをつかんだ。
「かわいいお人形! 私このお人形ほしい」
言って、女の子は、お母さんにお人形さんを見せて、せがんだ。女の子のお母さんは、「特別よ」と言って、お人形さんをもって、レジに行ってしまった。
ぼくはまた、今まで感じたことのない気持ちになった。しんぞうが今度は、ひっかかれた気持ちになった。そして、泣きたくなった。
その次に出てきた言葉は『くやしい』だった。
体の穴という穴から、いかりでふっとうした湯気が、出てくるんじゃないかと思った。
そんなぼくの様子を見ていたお母さんは、優しく言った。
「失恋しちゃったね」
「しつれんって何? 」
「好きって気持ちが、通じなかったときに、失恋するっていうのよ。めぐみは今日、初恋と失恋の両方感じたの。恋することって、とってもすてきだし、好きって気持ちが通じても、通じなくても、いい体験をしたね」
お母さんの優しい言葉と、くやしい気持ちで、我慢していた涙が、出てしまった。
お母さんに男のくせにって、言われるかなと思ったから、先に言った。
「男のくせに、ないちゃった」
「なくのに、男も女もない。悔しいとき、つらいとき、なくもんだ。がまんしないで、なきなさい」
そう言われて、周りの人が見ても、おかまいなしに、思いっきり、ないた。
初恋と失恋を経験したぼくは、1つ大人の階段をのぼった気がした。
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