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精神障害は理解されないものなのかもしれない

精神的なハンディキャップ……例えばうつ病などを抱えている人は、そのしんどさを他者に吐き出して、受け入れてほしいという気持ちを持っていることがほとんどです。

しかし、それをわかってもらえないというか、当事者が思っていたように受け止めてもらえる事例って非常に少ないと思うのです。

また、受け入れてもらったとしても、当事者はどうしても孤独感を感じてしまうこともあるように思えます。

このことについて、実際に躁うつ病を抱えている私が感じたことをまとめていきます。
あくまでこれは私の意見や考えですが、きっと多くの当事者の方も同じ考えを持っていると思います。


当事者を傷つける健常者の声掛け

精神障害を抱えている人は、そのしんどさを他の人……友人や家族に対して吐き出すことで、そのしんどさを和らげることができます。
私は、吐き出すことでほんの少し安泰を得ることができるのです。

しかし、時として私は吐き出したことが原因で精神的なしんどさを抱えることもあります。

例えば、このような言葉。

・よく寝てよく遊べば治る
・(休職中の人に対して)働けば病んでる場合じゃなくなる
・しんどいのはみんな同じ

このような言葉を投げかけられると、私は自分の病気についてわかってもらえていないということを実感してしまいます。それがしんどさに繋がるのです。

ただし、これは仕方のないことかもしれません。結局のところ、当事者の苦しみは当事者にしかわかりません。これは病気以外のことについても一緒です。フリーランスのしんどさは同じフリーランスにしかわかりません。YouTuberの苦しみはYouTuberにしかわかりません。

そもそも、私はしんどいことを他の人に話す時、アドバイスは求めていません。ただ、話を聞いてそばにいてほしいのです
(これは同じ病気を抱えている人はみんな一緒だと思います)
アドバイスや正論は、時として人を傷つけることは念頭においておいてほしいと思うときがあります。

私がしんどくなって、人に話をしたくなった時は、こういう対応をしてもらえると精神的に楽になります。

・話を聞いてくれる
・共感してくれる
・無理に話をしなくとも、そばにいてくれる

特に一番下。とりあえずそばにいてくれるだけでも、精神的に楽になります。

あくまでこれは私の話ではありますが、同じ考えを持っている方はたくさんいると思います。

話を聞いてほしいけど話せないジレンマ

私は幸いなことに、話を聞いてくれたりそばにいてくれたりする友人がいます。そのため、しんどい時は彼らに話をすることで救われることがあります。

しかし、それと同時に、ずっと彼らに頼ってばかりはいられないという恐怖も感じています。

私は昔、とあるラジオ番組でDJと躁うつ病のしんどさについての話をしたことがあります。
その時、DJからこんなことを言われました。
「ずっとそんな調子だと、そのうち人が自分から離れていくよ」

この言葉に、私は深く傷つきました。しかし、これは事実なのかもしれないという考えも持ちました。

人にはストレスを受け入れられるキャパシティがあります。それは、しんどい人の話を聞くときも同じです。
私は躁うつ病を抱えており、精神的にしんどくなったり希死念慮を持つことが頻繁にあります。しかし、そのたびに友人に話し続けていたら、いつかその友人のキャパシティに限界が来ます。そうなると、その人は自分から離れていってしまうのではないか。そのような不安や恐怖に襲われます。

はっきりいってしまうと、これはただの妄想ですし、杞憂である可能性があることも確かです。
「何があっても離れていかない」と言ってくれる友人もたくさんいます。ただ、どうしてもさっき上げたような考えが頭から離れないのです。だから、しんどくなっても本当に限界が来るまで人に話せない。下手したら、限界が来ても人に話せなくなるときが来るかもしれません。

同じ病気を抱えている人の中には、
「離れていく人は友人ではないから切り捨てるべき」
「そうはいってもしんどいわけだから受け止めてほしいから言い続ける」
という人もいるかもしれません。

この考えを否定する気は一切ありませんが、どうしても私は、人が離れていってしまわないか不安に襲われることが多々あるのです。

結局同じ病気どうしで固まってしまう

ここまで、私の病気に対する対人関係の不安や怖れについて書きました。しかし、上にあげたようなことは同じ病気や精神疾患を抱えている人も同じことを考えているのではないかと思います。

というのも、精神疾患を抱えている人は同じ病気を持っている人と繋がり独自のコミュニティを作ることが往々にしてあります。
これは、自分たちの病気の苦しみは同じ病気を抱えている人にしか分からない、という恐れからくるものなのではないかと思います。

そのようなコミュニティはそっとしておくべき、という考えは確かです。
ただ、そのようなコミュニティができてしまう背景については、考える必要があるように思えます。


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