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Why I am not a Buddhist読書会1回目

今日は朝から仏教のアレさんの「Why I am not a Buddhist」の読書会を聴講した。それにしてもZoomは便利なツールだなあ。

最初は45分間の座禅。本当に黙って座禅するだけだった。当たり前のことをされていただけなのだが、本物の禅僧が黙って座っているのを見るのは初めてだったかも。私はちょっとだけ瞑想して、あとは英語の勉強をしていた。

休憩を挟んで本題の「Why I am not a Buddhist」の序章と一章の読書会。私訳をもとに解説していくというスタイルだった。

タイトルはもちろんバートランド・ラッセルの「Why I am not a Christian」からとったものである。内容は、欧米(特にアメリカ)で受容されているような仏教のあり方に対する批判である。例えばマインドフルネスといわれるような現世利益に重きを置くようなことだったり、仏教は経典宗教とか一神教の教えとかアブラハムの宗教とは異なる宗教だという言説であるとか、宗教ではなく哲学であり生の実践だとかいう主張のことで、本書ではExceptionalismと呼んでいる。仏教至上主義あるいは仏教例外主義とでも訳すべきか。

アメリカでは仏教は近代科学と相性がいいということで受け入れられているのは以前に触れたとおり。

また進化心理学とも親和性が高いのもそのとおりだと思う。人間の本性を明らかにしてそれに逆らっていくという一面を仏教は持っているので。

ちなみに本書ではこのロバート・ライトの「なぜ今、仏教なのか」も批判の対象となっている。

こうした近代的な自然科学や心理学に回収できないものが仏教にはあるし、また科学が宗教的でないというのはナイーブすぎるだろう。少し考えると当たり前のことであるが、マインドフルネス瞑想で仕事が捗って嬉しいという日常を送っているとこうしたことを忘れがちである。原因があって結果が生じるという縁起を断つのがブッダとその弟子たちが目指したことだったはずだ。

ちなみにゴータマ・ブッダが怪力乱神を語りがちであったことはあまりにも有名である。論敵をしばくために怖い神様を召喚したりもするのだが、仏教が合理的で経験論的である思っているアメリカ人にはあまり知られていないかもしれない。

「Why I am not a Buddhist」の著者は宗教家の家庭で育ち、大学には飛び級で進学して哲学を修めているガチ勢であり(学位論文のテーマは西谷啓治!)、もちろん瞑想の実践経験も豊富である。
こんな認知科学の本も書いておられるので、Amazonタイムセール祭りということで購入した。いつ読めるかわからないけど。


同じような趣旨でベルナール・フォール『仏教の仮面を剥ぐ』という本も視聴者のかたから紹介があったので購入予定である。こちらは末木文美士先生による邦訳を読むつもりだ。

こうした議論が英語圏で行われていることは葬式仏教主体の日本人にとっては想像しにくいことではあるものの、マインドフルネス瞑想が日本に逆輸入されて普及しつつあることを鑑みると無関心ではいられないという気がする。

全体としては、日本語訳がまだ出ていない本の読書会っていいものだなあと思った。背景をこうやって教えてもらえると英語で読むのもやりやすい。次回以降も非常に期待している。

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はむっち@ケンブリッジ英検
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