東浩紀『一般意志2.0』読んだ

東浩紀氏の新著が出そうということで、今更ながら過去の著作を読んでいる。

最近はこれを読んだ。

Kindle Unlimitedだった。嬉しい。
また文庫版には宇野重規氏との対談も収録されていて、これがまた面白かった。

まずルソーの紹介から始まるのだが、社会契約論において、個人(特殊意志)は全体(一般意志)に無条件で従うべしと書いているらしい。自由を称揚した思想家として知られるルソーがこんなことを書いているのは知らなかった、、、

そして国民の総意たる一般意志にしたがって統治されるべきだと考えたが、主権者がだれであるかにはあまり関心がなかった模様。もちろん一般意志は世論とは全く異なるものであり、世論は彼が全体意志と呼んだものに近い。

ルソーによれば、一般意志は定義上つねに正しく、誤ることなどありえない。さらに著者は、一般意志は政府の意志でもなければ、個人の意志の総和でもないし、単なる理念でもない、数学的存在と解釈する。

したがってルソーの思想は直接民主主義ともちがう。そもそもルソーは市民間の討議や意見調整を認めていない。個人の自分だけに従って意見を述べることが重要だとしている。

コミュニケーションの必要性をみとめない、むしろないほうがいいと考えていたようだ。ルソーは一般意志を、各個人が意見を表出することで一気に成立するなにかととらえていたようだ。孤独を愛したルソーらしいといえなくもない。

コミュ障だったが自由を愛したルソーが、人の作った秩序すなわちコミュニケーションからの自由を志向したのは自然なことだったのかもしれない。

無意識がまだ発見されていなかったルソーの時代はともかく、現代においては、コミュニケーションの外部にみんなの好みの均衡点が数学的に存在するという発想はそう突飛なものではない。

とはいえ、政治とは熟議の末に見出されていくものだという考え方とは正反対だし、アーレントやハーバーマスはルソーを厳しく批判してもいる。

しかしTwitterのレスバを見慣れたみなさんなら、アーレントやハーバーマスはいささかナイーブであると思うだろう。熟議でなんらかの落とし所が見出されるとは考え難い。

だから、データベースから抽出されるアップデートされた一般意志(一般意志2.0)こそ、熟議よりも必要なのではないかという主張につながっていくのであった。
アーレントやハーバーマスらの念頭にあったのは、いうまでもなくナチズムである。一般意志のようなものを想定すれば独裁につながりかねない。だがtデータベースと適切なアルゴリズムにより導き出された一般意志2.0においてはそのような懸念は必要ないのだ。(もちろんアルゴリズムを設定するのが人間であれば専制の余地はあるのだが)

あまりにも多くの人々の考えが可視化されてしまった現代では、もはやアーレントやハーバーマスが想定したような公共圏は成立していない。「理性は共感を乗り越えないし、普遍性は特殊性を乗り越えない」のである。

また現代は複雑すぎて主体的判断を麻痺させてしまっている。そのような情況で積極的な政治参加を前提にしてしまうと、「問題の政策に強い利害関係をもつ特殊な人々か、あるいは政治参加そのものを目的とした「プロ市民」しか集めることができない」。

その他大勢に声を拾い上げるためのデータベース利用であるから、無名の賢者による集合知だとかオープンソース民主主義とも異なっている。
むしろ市民ひとりひとりの欲望を、(ニコ生に流れる夥しいコメントのごとく)モノ的に扱うことを志向している。

ただし、生政治的なデータベースの専制を牽制するために熟議もまた必要と筆者は(やや唐突に)述べている。

リチャード・ローティは私的な領域と公的な領域を逆転してみせた。つまり人間はかくのごとく生きるべきだという普遍性は私的なものとみなされるべきであり、社会を律する公的な原理にはなれないし、してはならないと主張したのだ。
むしろ従来は私的領域で処理されていた動物的で身体的な問題こそが公共性の基盤になるべきだとした。

ローティがそんなことを言っていたのは知らなかったが、先に述べたように、Twitterのレスバを見れば納得できる。理念とか普遍性については完全にタコツボ化しており、私自身も蛸壺の外の人とは理解し合うのは難しくなっている。

その一方で動物的な感情、ことに惻隠の情で他者とつながることは難しくはない。だからローティは理性よりも共感を連帯の前提にすべきだとしたのだ。

この議論における共感が、本書の一般意志2.0に、理性は従来的な意味での熟議に対応している。理念もコミュニケーションも閉鎖的な現代(そもそも人類はそんなものなのかもしれない)にあっては、その外側の動物的な憐れみこそが連帯を可能にするのであった。。。


全体としてはこんな内容であり、お話としては面白かった。そもそもコミュニケーションが成り立ち難く、理性的な大人を前提とした政治なんて全くリアリティがない、ということは非常によくわかった。

それを納得するためにこんな難しい本を読むのはいささかタイパが悪いが、まあ面白かったしいいか。

さあ次は観光客の哲学増補版を読みましょう。


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