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千葉雅也『現代思想入門』読んだ


読みました。おもしろかった。

前から気になってたのに読まずにいたのだが、こちらのニー仏さんの記事を読んでハラがすわったのであった。

とはいえ、ニー仏さんの記事を読んだ人は知っていると思うが、ハラを据えて読むような本ではない。

秩序とそこからの逸脱のバランスが大事だよね、、、ということが繰り返し語られるだけなのだ。

もちろん著者は初心者向けにわかりやすく端折っているのだと何度も断っている。しかしその程度のことをどうしてあんな小難しく書かなければいけないかについてはあまり説明がない。

「世の中には、単純化したら台無しになってしまうリアリティがあり、それを尊重する必要がある」という価値観あるいは倫理を、まず提示しておきたいと思います。

まあそれはそうなんだろうけどと思いつつ読み進めるしかない。

ただ最終章「現代思想の読み方」で、実際にデリダやドゥルーズの文章をひっぱってきて、初心者はこういうふうに読めばいいんですよと解説しているのだけど、それを読むとどういうところを端折っているかがよくわかる。

固有名詞はとりあえず無視、俗っぽい日本語に置き換えてみる、レトリックはなんかカマしてるんだなと流す、、、、などなど読み方を具体的に解説してくれているのがとてもいい。もちろん上級者にとってはレトリックも大事なのだと釘を刺すことも忘れていない。

というわけなのだが、全体の流れをおさらいしておこう。

まずジャック・デリダ、ジル・ドゥルーズ、ミシェル・フーコーの思想をすごく大雑把に解説している。そこから遡って、彼らフランス現代思想の源流ともいうべきマルクス、フロイト、ニーチェを解説。そしてフランス現代思想の理解に必須の精神分析も解説して、その勢いでカンタン・メイヤスーら思弁的実在論も紹介する。

単純化して解説するだけじゃなくて著者なりのtipsもあるのがいいね。例えば、脱構築ばっかりしていたら行動不能に陥るのではないかという批判に対して、

ここは僕の解釈になりますが、彼らの思想は、「そもそも人間は何も言われなくたってまず行動しますよね」というのを暗黙の前提にしているのだと捉えた方がよいと思います。人間は生きていく以上、広い意味で暴力的であらざるをえないし、純粋に非暴力的に生きることは不可能であるということは、言わずもがなの前提です。

と述べている。こういう前提を知らずに読むと間違ったほうにいってしまうよね。前提というか、常識だと思うのだが、フランス現代思想に常識を持ち込んでいいなんて僕に教えてくれる人はいなかったのだ。

さらに、

こういう他者への配慮が足りないという批判を起こすことはつねに可能だということです。その意味で言うと、言葉は悪いですが、ひとつの決断をデリダ的・レヴィナス的観点から「潰そう」とすることはいつでも任意に可能なんです。
逆に言うと、人が何らかの決断をせざるをえないということは「赦す」しかないのです。決断の許諾とそれが排除しているものへの批判は、仕事をし、社会を動かしていかざるをえないという現実性においてバランスを考えるしかない。

と続けている。これはもちろんキャンセルカルチャー批判でもあるのだが、バランスとってやってくしかないなんて常識だよね、、、

またアイデンティティポリティクスを批判している箇所もあるのだがこれは割愛。

こんな感じのわかりやすい解説が続いた後に、「現代思想の作り方」と題して、具体的に思考法を教授するのが第6章である。
ここで4つの原則をあげるのだけど、それらは私にとっては目新しいものとは思われなかった。

というのも、ある時期、私の見ていたTwitterのタイムラインでは、インテリガンダムたちが、いかにメタに思考を展開できるかを競いあっていたのである。そこではいかに常識を脱臼させるか、極端な仮定をおく思考実験を突き詰める、他者()とか外部()を探し回るなどの、超越論的()な議論が横溢していた。

もちろん私がそれらの展開についていくことができたのは、若かりし頃にフランス現代思想を理解しようと試みたからかもしれないから、フランス現代思想がありきたりだなどというつもりはない。

ありきたりではないけど、そんなにありがたがるもんでもないかなあってことだ。

例えばフーコーについての解説で、

今日における社会のクリーン化は、人間の再動物化という面を持っているのです。

といっているが、別にフランス現代思想を通過していなくても多くの人がこのことに気づいているよね。世の中が滅菌されているのは、お命至上主義とかエロティックキャピタルという、極めて動物的な本能に基づく現象だ。

むしろ私はこの3年でそれを強く意識させられることになったから、今さらフーコーを読んでみようと思ったのであった。

そういうわけだから、著者があとがきで「現代思想はもはや20世紀遺産であり、伝統芸能のようになっている」と述べているものの、個人的にはまだまだアクチュアリティがある気はしなくもない。

感想としては、読んでよかったということになる。もっと若いうちに読みたかったな。でも若いときに読んでたら、こんなもんかと思ってフランス現代思想に関心を持たなかったかもしれないね。

今の若い人がこれ読んだらどう感じるんだろうか。ちょっと気になる。


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