納富信留『プラトンとの哲学―対話篇をよむ』読んだ
このところ出版ラッシュの納富信留先生。。。全部読みたいのだが、なかなか追いつけないっていう。
とりあえず読みやすそうなこれを手にとって見たのだ。
主題はプラトンはなぜ対話という形式にこだわったか、対話によって何を言いたかったかを、ガチプラトニストである著者自身がプラトンと対話を試みるという形式である。
まず師であるソクラテスが街中で論争をふっかけて論破しまくるという危険極まりない行為を続けた結果かどうかはわからないが死刑になった。
それがアカデメイアに引きこもるようになった原因と思われるし、自分ではなく登場人物に語らせることによって、政治的リスクを回避していたのだろう。(現存する対話篇でプラトン自身は3箇所にしか登場しないらしい)
しかし対話篇(διαλογος)という形式によって、自身の理論を最強の知識人に反論させて鍛え上げるのが真の目的であったと思われる。
そういうわけでいくつかの対話篇を取り上げて、プラトンと対話するという形で本書は進行する。
ゴルギアス
まずは一番読みやすいといわれるゴルギアスだ。私も岩波文庫版をちゃんと積んでいる。
読みやすいので納富先生は哲学入門の授業でよく扱うらしい。読後に学生にソクラテスと、論争相手のカリクレスのどちらに共感するかアンケートを取ると、いつもだいたい2対1の割合でソクラテスが多くなるらしい。日本の学生にこのてのアンケートをとると、どっちつかずの結果になることが多いが、ゴルギアスだけはきっちり分かれるとのこと。
ソクラテスに票を投じる学生のコメントは総じてつまらないというか、優等生的とのこと。対してカリクレス派のほうが「ふるっている」らしい。私も詭弁を弄しているのはソクラテスのほうではないかと思うことはよくあるんですわ、、、
クソワロ
何度読んでも笑ってしまうが、それはおいといて、じゃあなぜプラトンは論争相手に読者が喝采をあげてしまうようなことを言わせたのか?
ゴルギアスは弁論術の第一人者で、カリクレスはそれを学んで世に打って出ようとする若者である。
ソクラテスは弁論術など迎合にすぎず、本当の技術(τεκνη)ではないとして切り捨てるのだ。
弁論術に人生を賭けている人たちにそんなこと言ったらブチ切れられるし、そんなこと繰り返してたら刺されてもおかしくないっていう。
弁論術について重要なのは社会的規範(ノモス、νομος)と自然本性(フュシス、φυσις)という概念装置である。美しいとか醜いとかいうとき、ノモスに則って美しいのか、フュシス的な意味で美しいのかが問題となる。
私は社会制度と自然本性は区別して論じたほうが理解しやすい局面が多いと感じているし、社会契約論などもそういう世界観を採用している。ニーチェやポパーがプラトンを批判するときもそうだ。
ところがソクラテスはそれらは一致しているはず、一致していなくてはならない、と考えていたようだ。雑に言えば、本音と建前という二重構造を認めなかったのである。
だからソクラテスは逃げようと思えば逃げられたのに、毒杯をあおって死んだのであった。つまり逃げたいとか死にたくないとかいう自然本性はさらさらなくて、毒を飲んで死ぬことが、自然本性的にも社会規範的にも望ましいことだったのだ。いやそもそもそのような区別が無かったのだ。
日下部吉信先生はピュタゴラスやソクラテスを、自然の中に生きるギリシャに主観を持ち込んだとして批判している。
しかしソクラテス自身においては、そのような区別はなかったということみたい。
『ゴルギアス』において問われているのは、言論が人生と一致しているようなあり方を目指すのか、つまり言葉を鍛え上げる哲学を目指すのか、あるいは、その場限りの言説で欲望を満たして生活していくのかが問われているのである。
後者のゴルギアス=カリクレス的な生き方を否定するのは容易い。だが私たちはそういう生き方を選んでいないか?だからゴルギアスらは手強いし、プラトンが論争相手に選んだのだ。
ソクラテスに投票してしまった東大の学生たちのコメントがつまらないのは、ゴルギアスらの手強さを認識していないからである。ソクラテスのような知を愛する生き方が簡単にできると思っているのだ。
ソクラテスの弁明
さすがにこれは読んだことがあるぞ。ちなみに光文社古典新訳文庫なら納富先生訳がKindle Unlimitedで読める。
ソクラテスは裁判でアテナイの市民に「魂を配慮せよ」と語りかける。
これには2種類の反応があるだろう。
一つは、そんな綺麗事を言えるのは余裕があるからだ。私たちはその前に食っていかなければいけないのだ、という反応だ。陳腐で上から目線の説教に感じるのは普通のことだと思われる。『ゴルギアス』の授業でカリクレスに共感した学生がこの立場だろう。
いま一つは、ソクラテスの言う通り、自分もそのように生きているというだろう。こちらはソクラテスに票を投じた学生が相当する。そしてソクラテスがより厳しく批判するのは、このわかったつもりの人々なのである。
魂を配慮するという言葉はずっと前からあったが(陳腐とはそういうことだ)、本当にわかっているのか?これから理解していくために、言葉を紡いでいくのではないか?こうソクラテスは語るのである。
そして魂を配慮するのか、肉体を配慮するんか、どっちやと妥協なき二者択一を迫るのである。いやいや両方大事に決まってますやんと私なら答えるだろう。
すみません、私はごまかしの生を生きるほかないようです、、、
パイドン
ソクラテスが裁判ののち、牢獄で送った日々について記されたのが『パイドン』である。
しかし唐突に田中松平で有名な田中美知太郎について語られる。ギリシャ哲学の研究者だった田中は戦前から戦中にかけて、プラトンについての論考を雑誌『思想』に連載した。
危機が迫る中、押し殺したような口調で田中は語る。
これを書いた後、田中は1945年5月25日の東京大空襲で致命傷を負う。九死に一生を得た田中は、戦後にこれらの論考を出版した。アメリカ主導で国体が大きく変わるとき、もう一度同じ問いを立てねばならなかったのだろう。
納富先生の世代も様々な社会的激動を見てきた。理想を掲げた運動が結局なにももたらさなかった。それを見た人々は、言論も人間も理想も信用ならない、理想など持たずに流されるまま生きるのがよいのだという、現実主義に陥るだろう。
『パイドン』ではもちろんこのような態度が批判される。それは人間や言論と付き合う技術が鍛えられていないからで、過剰に信頼して裏切られて嫌いになってしまうのだと。
私たちは現実を言葉によってしかとらえることができない。だから言葉についての技術を、前向きに育てていこうじゃないかというわけだ。それこそが言論の技術としての問答法である。
そしてイデア論へと突入していくのだった。
要点は、私たちはアリストテレス流に、具体的な事物からイデアというか、本質のようなものを抽出するのが習い性になっている。プラトンのイデアはそんなものではない。現実よりも前にたしかに存在するイデアである。
もちろんこのような議論に私はとうていついて行けないが、現実がそんなに確かなものだとも思わない。イデアとかロゴスとかそういうものがなければ、現実に触れることすらできない。
私はイデアなるものの実在を信じてはいないが、現実なるものは「ある」と思っている。では「現実がある」とはいかなる事態か、、、よくわからないので、もっと勉強しようと思った。
田中美知太郎の本はいつか読まなくては。
国家
『饗宴』と第七書簡はパスして、『国家』について簡単に。
イデアはそれ自体で絶対的な真の存在で、理想はそれを目指していくうえでの具体的なモデル。
戦前の日本で「理想国」としてプラトンが引用され、全体主義に利用された。ドイツでも同様であり、オーストリアからNZに亡命したユダヤ人カール・ポパーがプラトンを全体主義者として激しく批判した。
しかしこれはイデアと理想を混同している。理想は具体的なモデルなので絶対的なものではなく、訂正されうるものだ。(この辺のことは東浩紀『訂正可能性の哲学』でも検討されている)
ティマイオス
クセノファネス、パルメニデス、メリッソス、プラトンの「ある」についての表現の違いをまとめた表はなんか良かった。理解できなかったが。
パルメニデスにおいて「ある」とはひたすら端的であって、それは今のことでしかない。というか今以外を想定する意味がない。
プラトンのイデアの場合は、ただただ永遠にあるのであって、あったとかあっただろうとかいう次元のことではない。
このプラトン的な意味での永遠を、スピノザの永遠の相の下にだとか、ニーチェの永劫回帰によっても説明できるかもしれない、、、とのことである。
ソフィスト
ソフィストは難解な後期の対話篇に属し、形而上学って感じである。
ないものは語られえない、語られたならそれは在るものだ、、、という無敵論法の話をしているらしい。ここでいうないとは、それが垣間見えたならぞっとするような絶対的無のことらしい。
存在論については、対話のほうがわかりやすいかもしれない。いつか読んでみよう。
まとめ
やはりゴルギアスと弁明が面白かった。わかりやすいからね。
田中美知太郎が戦中にプラトンに没頭した件については、アリストテレスが逆輸入される以前の中世において新プラトン主義が主流だったことを想起させた。暗い時代はここではないどこかにある美や善を欲してしまうものなのかもしれない。
後期の対話篇とか『国家』はいつか必ず読まなくてはいけないな。これらはアリストテレスに批判的に継承され、中世ヨーロッパに引き継がれたわけで、西洋の思考や法体系を無批判に受容している我が国にとっては非常に重要と思われる。
そして納富先生の本は全部読みたいという思いを強くしたのであった。