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日下部吉信『ギリシャ哲学30講』読んだ
クサカベクレスこと日下部吉信先生のギリシャ哲学講義。わかりやすくて面白かった。イオニア自然哲学から新プラトン主義までを扱っているので、まあまあ長かった。
本書では自然と主観性という二項対立で語られており、それが正しいかどうかをおいといて、論旨が明快で読みやすい。存在と本質といいかえてもいいだろう。
総論
古代ギリシャ世界に親和的なのは自然を対象とした哲学であった。そこに主観性の哲学を持ち込んだのはピタゴラスであり、それはギリシャ全土で葛藤をもたらした。ギリシャ人と主観性はあいいれなかったが、ほかでもないアテナイで地位を確立したのがソクラテスとプラトンなのである。
とはいえ主観性の哲学は新プラトン主義の時代にあってもマイナーな存在であったが(ローマ帝国では異教であり、ユリアヌスは背教者と呼ばれた)、そこに「世界の無からの創造」を第一原理とするヘブライズム(キリスト教)が合流することで、中世以降現代に至るまで主観性の哲学が西洋において覇権を握るのであった。
もともと職人のものであったテクネーを近代的テクノロジーへと変えていったのは強力な主観性の原理にほかならない。
存在について論じたニーチェやハイデガーはむしろ例外である。ニーチェが称揚したギリシャはもちろんピタゴラス以前のギリシャであった。彼らの思想がナチズムと関連をもったのは必然的な悲劇だった。
これを否定しようとしたユダヤ人哲学者レヴィナスが『存在の彼方へ』を書かねばならなかったのも必然であろう。
主観性原理のもたらす悲劇は環境破壊とか原発事故とかだろう。中世以降にイスラム世界からもたらされた知が主観性原理と結びついたことで、近代科学が発展したのである。
著者はこの主観性の哲学とそれに関連するGestell(近代文明の枠組みというほどの意味だろうか)をクソミソに批判している。なぜかやたらとハイデガーを引用するので、本書でいちばんたくさん出てくる外国語はギリシャ語でもラテン語でも英語でもなく、ドイツ語である(俺調べ)。
前期イオニア自然哲学
まず、前期イオニアの哲学者としてタレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスを紹介している。
タレスはフェニキア人といわれるように、外国からギリシャに知を持ち込んだとされる
エジプト、バビロニア、フェニキアから学問、文化を学ぶ立場であった
アナクシマンドロス、トアペイロン(ある無限な自然)を基礎においた。無限たりえない否定性を基礎においたということは、対象を前に立てる(vostellen)主観性の哲学の立場に立たないということである。典型的なイオニアの自然哲学者といえる。アナクシマンドロスにおいては存在と当為は分離しておらず、当為は存在一般のあり方だった。
アナクシメネスは存在の境内にとどまりつつも、主観性へと一歩を踏み出した。「無限なもの」に代えて「無限な空気」をアルケーとすることで、否定性から肯定性へと転換した。それにより明晰さ、合理性を獲得したが、存在論的な深さを犠牲にした。
革命的だったピタゴラス
ピタゴラスがギリシャ世界にもたらしたものは東方世界のマギ教のような違和感をともなうもので、激しい相克と迫害をもたらした。哲学史では彼がサモスの出身であったことは疑いはないが、当時のギリシャ人には異邦人のように思われたのかもしれない。特に南部イタリアでは彼とその一派は痕跡も残さないほどに迫害を受けた。
クセノパネスやヘラクレイトスは軽蔑し罵倒したし、歴史家のヘロドトスも嫌悪を隠さなかった。エンペドクレスのようにピタゴラスの思想に触れたために、精神に異常をきたしたものもいる。
かようにギリシャ世界に動揺をもたらしたピタゴラスの原理は、主観性であったと著者はいう。
肉食の忌避、神経症を思わせるような潔癖、穢れに対する過敏性、アクウスマタと呼ばれるさまざまなタブーによる過剰な自己緊縛、尋常ならざる沈黙と学派の以上な閉鎖性・警戒心、学派内における猛烈ないじめ現象、予知や透視、超常現象の報告など、いずれも主観性の心理学として語りうる現象がその周辺に多数見られることからも感得されますが、何よりも数学的な理念的世界を出現させたことがそのことを雄弁に物語っています。
さらに西洋文化の祖はピタゴラスであって、デカルトは結果でしかないという。
デカルトはコギトを発見したかも知れませんが、そのコギトの中に潜むエゴを西洋世界に持ち込んだ人物こそ、ピュタゴラスなのであります。
ピタゴラスの同時代人としては、ヘラクレイトス、クセノパネス、パルメニデスなどが紹介されている。
ヘラクレイトスは主観性に閉じ込められたロゴスやヌースはその名に値しないとピタゴラスを批判したらしい。。。彼の自然哲学は万物は流れるで有名、「死すべき者どものドクサ」として一切の生成消滅を否定したパルメニデスと対称をなす。
クセノパネスはギリシャの神々を否定し、一なる神を主張したが、これは一神教的な意味ではない。キリスト教における一なる神とは巨大な主観性である。クセノパネスはピタゴラスの魂転生説を小バカにしていた。
とはいえ彼の合理的な神観はギリシャ人に完全に受け入れられたわけでもない。そもそもギリシャは「前近代的」部族社会であり、彼の故郷コロフォンもそういう社会であった。故郷を失うことでクセノパネスは合理的思考を身に着けてしまったのだろうか。
つまりソクラテス・プラトン的な普遍性()を古代ギリシャのスタンダードと考えてはならないのである。
パルメニデスはイオニア自然哲学の伝統が基層にあったので、死すべき者どものドクサと断りつつもそれを語るほかなかった。その一方で「あるはある、ないはない」と「真理」を語った。これをもってパルメニデスを観念論の祖とする解釈が一般的であるが、非存在については語り得ず、ただ存在するもののみが思惟されると言っているにすぎないとの解釈もある。
プラトン以降の西洋で主流である主観性の哲学では前者の解釈をされるほかなかった。
パルメニデスは自身のうちに抱える矛盾をほとんど実感しておらず、矛盾に苦しむこともなかった。だからクセノパネスのように放浪することなく、生涯をエレアで過ごした。
エレアのゼノンはパルメニデス以上の否定性に到達した。
サモスのメリッソスはパルメニデスの否定性に基づく存在論から、肯定性へと移行した。
レウキッポスはおそらくエレアの出身で、原子論を唱えた。また、無(空虚)は有に劣らずあるとして、パルメニデスの呪縛を打破しようとした。
デモクリトスはレウキッポスとは異なり、彼の原子論からは自然抜き取られており、数学的存在となってしまっている。ここにもピタゴラスに影響がみられる。
ソフィスト、ソクラテス、プラトン、アリストテレス
ソフィストは田舎からアテナイへ出てきたものが多く、自然哲学的なものをもっていた。これが主観性の人であるソクラテスにとってはたえがたく、かくも苛烈な攻撃を行わせたのであった。でなければテクネーのひとにすぎないソフィストをXの正義戦士のごとく告発する必要はなかっただろう。
またその憎悪のゆえにアテナイはソクラテスを死刑にせざるをえなかったし、ソクラテスも揚々として毒杯をあおったのである。
アリストテレスもまた田舎出身であったから、最終的にプラトンとは袂を分かったのかもしれない。
ヘレニズム時代と新プラトン主義
ヘレニズムの時代は、懐疑主義的傾向を示した。西洋精神史において懐疑的精神は根底をなしており、定期的に表に出てくる(ヒュームなど)。
懐疑派のほかには、この時代に特徴的なのはストア派やエピクロス派のような平静な心境を求める学派であった。ギリシャ文化の衰退を反映しているのかもしれない。
ローマ帝政期すなわちヘブライズムへの転換期、新生ヨーロッパの揺籃期においては、新プラトン主義がプラトニズムの超越性を最大限にまで押し進めた。
アレクサンダー大王の東征によりギリシャ世界は拡大し、東方オリエントから神秘主義的な影響を受けてきた。またポリスがコスモポリス化し、ギリシャ人の自然概念も変容するほかなかった。
新プラトン主義は、プラトニズムの超越的構造に、マギ的世界の神秘的、宗教的パトスが流入した。
このような外的要因のほかに、ヘレニズム期の消極的姿勢から一転して、ギリシャ精神最期の情念の噴出といった趣もある。宗教的情念を絶対者の哲学的探求に向けたのがギリシャ的知性の面目躍如である。
その前駆として、新ピタゴラス派とピタゴラス化したプラトン学徒があった。前者はピタゴラス主義をよりいっそう神秘化させて活動していた。後者はプラトンをピタゴラス的に、あるいは神秘主義的に解釈することで、新ピタゴラス派と同様の思想傾向を示した。
アレキサンドリアのフィロンはユダヤ教の教義をプラトン哲学と結びつけようとした。
フィロンの影響を受けたとされるアレキサンドリアのアンモニウス・サッカスがいちおう新プラトン主義の祖とされる。彼の弟子にはプロティノス、オリゲネスらがおり、著作を残している。
プロティノスの死後も新プラトン主義は生き続けたが、次の3つの時期に分けられる。
アレクサンドリア派。プロティノスとその弟子のポルピュリオスおよびアメリオスを代表者とする草創期の学派。この派においてプロティノス哲学の整理と著作編纂が行われた。
シリア派。ポルピュリオスの弟子のイアンブリコスを代表者として、主にシリアを活動の中心とした派。この派においては新プラトン主義の神秘主義的傾向がさらに助長され、東方的魔術や占星術に大きなウエイトが置かれるようにった。背教者ユリアヌスもこの学統に属す。
アテナイ派。アカデメイアもその末期には新プラトン主義の支配するところとなり、新プラトン派の牙城となった。プロクロスはスコラ哲学の先駆的な研究をおこなった。
ユスティニアヌス一世によってアカデメイアが閉鎖されたのち、新プラトン派の学者たちはペルシャに移住した。
おしまい。
おまけ
それ以上いけないクサカベクレス語録。
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