『知ってるつもり 無知の科学』読んだ
この本で今井むつみさんがオススメしていた書籍、読んでみた。
タイトルのとおり、知っているつもりで知らないことが存外多いというお話である。
いきなり水洗トイレの仕組みとか、ジッパーがなぜ密封しつつ上下できるのか、みたいなありふれているので知っているつもりになっていることから始まる。
当然、私は知りませんでした。
森羅万象について理解できないし、そんなことしようとしたら正気ではいられないだろう。知っていることにしてやりすごすほうが精神衛生的にもよろしい。記憶力が良すぎて忘れることができない人たちが高率に心を病んでしまうのはよく知られている。
そもそも人類の知見はソクラテスの時代とは比較にならないほど増加しているのである。
ただし知らないのに知っているつもりはよくない。
知っているつもりになりやすいのは、一度見たことがある事象は理解していなくても知っているつもりになりやすい。
また周囲の人が知っていることは自分も知っているつもりになりやすい。
コミュニティの知識は非常に重要で、その水準が個人の知識レベルを上げることもあるし、その逆もある。あまりにも非科学的なことを信じている人は、どんな合理的な説得をしても応じない。所属しているコミュニティで信じられていることを信じるのである。
これは進化心理学的には当然であろう。社会的な生き物である人間は、共同体の常識に反することを信じていると非常に居心地が悪くなってしまう。
また経験から導いた結論も信じ込みやすい。人間は霊長類の中でも際立って帰納的推論が得意であり、またそれに執着しやすいのだ。
そういやそんなことが今井氏の本にも書いてあったね。
これらの傾向性は思考の2つのモード、つまり直感モードと熟慮モードとも関連しているだろう。
旧石器時代は前者が適応的であったために、現代でもついつい直感的に反応してしまう。だから経験したこと、周囲の見解に引っ張られてしまうのだ。
という感じのことが延々と書いてあるので爆速で読み終えたのであった。
なお、迂闊にソクラテスのことを書くと『無知の知』警察が飛んでくることがあるので、ちゃんと岩波の哲学思想辞典で調べてから書いたことを明記しておく。