みんなが暮らしやすくなるために、のはずなのに…
すでにお友達の投稿でこんな掲示がされていることを知って。なんかモヤモヤしてました。
で、先日、リアルに目にして…
これは、国が始めた「鉄道駅バリアフリー料金制度」っていうのに基づいてのお知らせになります。
つまり、「国が始めたこんな制度に則り、10円値上げしますよ。」ってこと。値上げすることへの申し訳なさよりも、「“いいこと”のためだから、みんな分かってくれるよね〜」的な(笑)
でも、、、
やっぱりなんか居心地が悪い感じがするのです。
なぜでしょう。
それはたぶんきっと「バリアフリー」って言葉に引っかかるからだと。
この制度の説明のどこにも「障害者のために」とは書かれてません。でも「バリアフリー」という言葉が「障害者にとってのバリアをなくす」というような意味で使われることが多いので、バリアフリーのための料金加算っていうと、障害者のために値上げ、って受け止められかねないと思っちゃうのです。
もっと穿った見方をすれば、「障害者のくせに社会に出て行こうとするから、そのためにお金が掛けられ、値上げにつながってしまう。わきまえて、大人しくしとけ」みたいなふうに思われてしまわないか、、、。
「障害」や「障害者」は別の世界の話、自分とは関係ないこと、と思っている人は、残念ながらまだたくさんいて、自分と関係ないことのために、値上げされて、自分の負担が増える、って思ったら、腹が立つかもしれましん。
でも、この制度で集めたお金でやろうとしてる整備は別に障害者のために、と特化したものじゃないんですよね。
たとえばホームドア。
確かに視覚障害者にとって駅のホームは「欄干のない橋」と呼ばれ、これまでも何人もの人がホームからの転落で命を失っています。
そのため、視覚障害者の命を守るために、ホームドアを!ということはずーっと言われてきてました。
でも、ホームドアは見えない人のためだけのものなのでしょうか。
少し前の資料ですが、平成29年度ホームからの転落事故2863件のうち、視覚障害者の件数は65件。半数以上の1896件が酔っ払い客だったとのこと。
つまり、ホームドアは確かに視覚障害者の転落を減らすことに大きく貢献するとは思いますが、それ以上に酔っ払った人や体調不良の人などの転落を防ぐ、、つまり「障害者」以外の多くの人の命を守ることにつながる設備なのです。
エレベーターやエスカレーターがあれば、車イスユーザーだけでなく、高齢者やベビーカーを押す家族連れだって、駅を使いやすくなりますよね。
荷物が多い時も利用する人もいると思いますし。
多言語での表示やアナウンスがあれば、外国人でも利用しやすくなります。
車内アナウンスや案内がモニターに出れば、聴覚障害者だけでなく、ヘッドホン着けた人にも分かりやすくなります。
ホームと列車の隙間や段差が解消されれば、ベビーカー押す人にも使いやすいし、チャンプのような小型の補助犬もジャンプすることなくすんなり乗り込めます。
そういうことに掛けるコストの一部をみんなで担いましょう、という制度なのに、「バリアフリー」という言葉を使ってるがために、なんか、特定の、一部の人たちのためだけの設備整備のため、みたいな印象が広がってしまっているように思うのです。
全ての人が利用しやすい駅設備にしていくために!というなら、「ユニバーサルデザイン」って言葉、使えばいいのになぁ。
同じ言葉を聞いても(目にしても)いろいろな人がいて、いろんな受け止め方があります。
だからこそ、公的な制度の名称や掲示する文言は慎重に考えてほしいと思うのです。
「人は誰しも障害者になるのです」なんてことまでは言いません。
でも、社会の中のバリアが軽減されれば、誰もが生きやすい社会になっていく、、その「誰もが」の中には、あなたも、あなたの大切な人も含まれてる、って考えられたら、10円も惜しくない、、と思ってくれるのではないでしょうか。
今、あちこちで取り上げられているSDGsは、「誰一人取り残さない」社会の実現を目指す世界共通の目標です。
みんながいろいろな問題を「自分ごと」として考えていくことできっとその目標は実現に近づいていくはず、、ポスター1枚にそんなことまで考えてしまった私です。