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右倣えができなくて夜に枕を濡らす大人がいる


こんにちは。ブックスタンドYoriです。



9月も半分を過ごし、もう今年もあっという間に過ぎていきそうです。

4月に入社した新社会人の皆さんは、働き始めてもうすぐ半年ですね。


私は社会人になっていま3年目です。
デザインの専門学校でぬくぬく2年過ごした後、新卒で入った衣料品の会社で商品企画部として働き始めました。

2年勤めた後に退職しましたが、未だに心残りがあるくらい優しく楽しい人に恵まれていました(今でも関わりを持てていて嬉しいです)。


当時はたくさん考えさせられる場面に出くわして、
それはもうビッショビショに泣いていました。

起きた物事に凹むというより、
「みんなは出来ているのに、何で自分はこんなにも理解がなくて出来ないんだ」という事にいつもいつも凹んでいました。


出来ないことはあっても良い


でもそうしているうちに、
凹み過ぎて寧ろ突き上げ始めてきた(何故)
私は、最近になって自分の出来の悪さに悲しむ事をやめました。


大きな理由として、
自分は全部を持てる程天才じゃない事を知った(知らしめられた)からです。

「何で出来ないんだ」「ちゃんとしなきゃ」「嫌われたくない」「何て答えるのが正解なんだ」と人のことばかり気にして答えをもがきながら探していましたが、
あれこれもしかして全然向いてへんし全部やるなんて出来んやつかもーーーーってガツーンとある日突然刺さりました。

天才じゃないことくらいはもちろん物心ついた頃から分かっていましたが、「出来ない自分」から目を逸らさず、認めることはしてきていませんでした。

そして認めた上で、じゃあ自分は何だったら出来るんだろうと考えました。
(この時に「何もできない」と自ら凹んでしまったり、他者に凹まされたままで死ななくて本当よかったなと思います。)


色々考えた末に、割と何でも良いことに気づきました。
綺麗好きとか、Excel使えるとか、順序立てて物を考えれるとか(あ、すみません私はこれら全くできません)。


「そんなん長所でも特技でも無え!!(血の涙)」ってこともあるかもしれませんが、他の人を観察してると、案外あなたが特に嫌と思わず平然とやっていることが、出来ていなかったりします。
隣の芝生は思っているよりも青くないんだなと私も気づけました。



そして出来ないならどうしようかなと考える気力と、誰かの力を借りる勇気があれば全く問題ないです。
人類が地球にいっぱいいるのは一人じゃ生きられない種族だからです(多分)。

生温い全肯定

自分が向いているなと思うこと、これをやっている時に幸せを感じると思える環境に身を置いて生きるのはすごく心地いいです。

もちろん言われた事をできたことに越したことは無いのですが、
右倣えと言われて右倣えがわからなくても、左に倣ってしまって他の人にぶつかってしまっても、そもそも指示を聞いていなかったり右なら絵の意味がわからなくてアタフタしてしまっても。
その時は失敗として終わってしまうかもしれませんが、環境や自分の思い込みを変えれば何とでもなります。


思い詰めて夜枕を濡らす日はなるべく少ない方がいいから、

今日も
「出来なかったけど、出来たこともある!」

みたいな生温い全肯定でやっていってます。

皆んなもそうであってほしい。


ブックスタンドYori

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