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星野源のエッセイは天才的。SF 小説に負けない切り貼りの上手さ。「そして生活はつづく」
「す、すごい…」
思わず心の声が漏れてしまいました。小さくて白くて薄い文庫本、それを開き持ったまま、お客さんが来ない古本屋で店主は天上を見つめます。
10秒ほどボー然とし、我に返ると、天井についている蛍光灯の片割れが赤く変色しているのに気がつきました。もうそろそろ変え時かもしれません。
今日読んだ本もエッセイでした。その本の著者の名は星野源。その人がシンガーソングライターで、ドラマに出演し、更にそのヒロイン役の凄く美人な女優さんと結婚したということは、流石にテレビを見ない店主でも知っています。
そんな星野源が書いたエッセイ、「そして生活はつづく」が面白いわけがない。そう根拠のない確信を持って読みました。どうせ芸能人っぽい下世話なエッセイか、ゴーストライターが書いた当たり障りない文章に違いない。なぜなら、こーんなに薄い本なのに文庫化しているなんて、出版社の忖度に違いないからです。
もちろんこの思い込みの全てはやっかみ。中年男性のジェラシーほど醜いものはないと自覚しながらも、それでも止まらないのが人間の性というものです。
しかし実際に読みはじめると、すぐに店主は感歎しました。それがこのブログ冒頭です。星野源さんごめんなさい。
素晴らしい文筆力、文章テクニックです。可愛さ余って憎さ100倍といいますが、その逆もしかりです。憎さ余って可愛さ100倍。すっかりファンになってしまいました。読み終わる前に読書ブログを書きたくなるほどウズウズします。
林真理子が伏線回収を得意技とするならば、若林正恭は視野の狭さと細かさが武器となる。そして文豪が語彙力を見せつけるならば、マルチな才能を持つ星野源は文章を切り貼りして自由に操る文章構成が得意技。もはやそれは火星と地球、現世と未来を往復するプロが書くSF小説にも負けてない。
現在、店主は「タイタンの妖女」というSF小説を毎朝少しづつ読んでいますが、そのプロの海外作家に負けてない。ここまでの文章作成能力だったとは本当に驚きました。こんな本を読まず嫌いをしていたなんて…見損ないましたよ!自分のことを。
しかし、なぜ星野源は1本のエッセイの中で複数の時間軸や場所を使いわけ、切り貼りするのが上手いのでしょう?
それはもちろん彼が変態だからです。いや違う、きっとそれだけではないはずです。考えていると1つ閃きました。それは、彼がテレビ制作についての知識を持っているからではないかということです。つまり、スタジオがありそこでトークする司会者、そこから現場のインタビュー、そうかと思えば過去の再現ドラマ。そういったいくつもの映像を切り貼りして作りあげるテレビ番組の制作の世界から星野源はやってきたのではないか?そう考えると、全ての説明がつきそうです。
いや、それはあくまで後付けの理由でしょう。きっと元々彼には才能があったのだ。だからこんなに素晴らしい文章テクニックが披露できるのだ。そう考えると、いくら庶民が頑張ったところで天才星野源には敵わない。彼のマルチな才能のたった1つを下から見上げることしかできないのか。
いや、敵わないのは当然です。しかし庶民代表としては、せめて誰かに認められる文章を書いてみたい。彼の才能の3%でもいいからもらって書いてみたい。いやいや、そんなことを考えると、あまりにも自分が惨めすぎる。今日の売上が惨めだからってそこまで悲観的になることはないだろう。それよりは、この本が素晴らしいと多くの人に紹介し、本好きの人を増やすのが自分のミッションと定め、少しでもいいブログを書いていこう。
最後にもう一度書きますが、このエッセイはSF小説の様でした。きっと多くの人がこのエッセイを読んで星野源を見直すはずだし、本というものの価値を再発見してくれるはず。店主に「遅いよ!」という人もいるかもしれませんが、すみませんその一言はトラウマです。
この本を、いつかどこかで多くの人の目に留まる形で紹介せねばとこころに記し、店主は上を向きました。あれ、蛍光灯が点滅してる。変え時ではなく、本当に変えなくてはいけませんね。