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小説は読者とのコミュニケーション。村上春樹の初期作品「螢・納屋を焼く・その他の短編」

本が売れない時代に売れる本を書き、熱狂的なファンに支持され、毎年ノーベル文学賞受賞を期待されがら、才能が枯れたと酷評されることもある村上春樹。店主にとっては謎多き小説を創作する天才作家であり、西洋の知識をひけらかす賢人であり、そのオシャレさに違和感を感じさせる人。要するに肌に合わない作家さんでした。

しかし新作が発表されたのをきっかけに「目にくもりがなかったか見直そう」と考え、村上春樹作品を読むチャンスをうかがっておりました。そして今日そのタイミングが降臨し、初期の作品「螢・納屋を焼く・その他の短編」を読むことができました。すると村上春樹作品の印象がハラリと変わりました。面白い…い、いいじゃない、村上さん!

この本には4つの短編と3つの超短編が集録されていますが、短編の方はどの作品も力作です(超短編は3作とも理解不可)。そしてどの作品も純文学のような文体ですが、どことなく童話のような雰囲気を漂わせる。しかも読者との距離感もちょうどいい。体温を感じないくらいの距離感です。

しかし作者の意図するところを見出してやろうと身構えると、そこからはなかなか答えが見つからない。魅力的な異性を相手にしているかのように、上手にはぐらかされてしまいます。

夜もふけ、閉店時間が近づいてきたので仕方ない。閉店作業をしながら考えますか。思考にふけりながら閉店作業に取り掛かると、長い机を「ごん!」とドアにぶつけてしまいました。やっちまいましたね。

そこで「やはり最初から読みなおす!」と気持が変容。閉店作業を一休みさせ、再び本を手にとりました。ただし今回の読書は斜め読み。読書を楽しむのではなく、なんとか謎を解いてやろうとファイティングポーズで目を血走らせ、集中力を高めます。

すると、小説から「関係性」か浮かんできました。女性と螢と寮と友達。女性と男性と納屋とマラソン。小人とダンスと革命と…とにかく再読をはじめると、少しずつ見えてくるものがありました。この小説には比喩のようなものが隠されている!ただ、それら比喩の関係性を解明することができません。何度読んでもわかりそうでわからない。老人と海より難しい。

ただ、それでも何度も読み返し、思考を熟成させていると、関係ないところからひとつの閃きが訪れました。もしかしたら、現在のこの状態を俯瞰して考えると、小説を読んで考えるという行為が、著者とキャッチボールをしているかのように感じられました。つまり、この考える時間こそが崇高な読書体験なのかもしれません。この作品は読者に寄り添わず、適度に謎と距離を残している。ここが小説家、村上春樹の天才と言われる所以かもしれません。

そして自分が読んだ過去の村上春樹作品を思い返すと、この作品内の関係性に違和感を感じ、読書意欲を削がれた記憶も思い出しました。関係性が全く見えないとツマラナイ。そして唐突過ぎるとキョウザメする。オシャレ過ぎてもついていけない。

ここで更に考えます。村上春樹が天才的な作家であるならば、ターゲットとなる読者層をある程度限定して小説を書いている可能性がある。「今年こそはノーベル文学賞!」となんでも騒いでいるのはファンだけで、本人は色々な人に向けて作風の違う作品を書いているのかもしれない。もしそうそうだとしたら、本人は文学賞の受賞なぞ期待してはいないのかもしれません。


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