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かなり面白い「人を動かすナラティブ」

今日は朝6時に目が覚めてしまいましたが、そのまま横になったままSNSや小説のアイディアをスマホにメモ。そして再度寝ようと思ったものの、やはりもう寝つけない。なので、起きて古本屋へ向かい、開店前に厚い本を3時間近くかけて読んでいました。我ながら読書の変態だと思います。

で、いったい何の本を読んでいたのかというと、「人を動かすナラティブ」という本です。これが最高に面白い。まだ半分くらいしか読めませんでしたが、とりあえずあまりにも面白かったので途中ですがレビューを開始したいと思います。

この本は、第1章で養老孟司先生への「ナラティブとは何か」というインタビューではじまります。しかし、その答えこそが核心を突いており、物語はいきなりトップギアに入ります。

「映画がそう。コマ送りで。実際には全部止まっているのに、コマ送りにすることで動いているように見せるんですね。ナラティブというのはそういう動きに近いんじゃないですか。過去に起こった非常に長い時間の出来事をどうやって凝縮して伝えるか。物語形式以外の形式を人間は持っていないんです。ちょうど言葉っていう形式がひとつしかないように。必然的に物語になるわけです」

つまり、歴史を丸暗記しようとしても、なかなか頭に入らない。だが、それらを繋いでお話としてのナラティブにすると受け取る側の脳に残りやすくなる。それが映画などであるという。

また、養老先生が書いた「バカの壁」の本の中で「脳内には一次関数がある(Y=AX)」と説いた内容が説明されています。人間は五感から取り入れた情報(X)を脳内で回し、運動系で出力(Y)して行動に移す。そして、(A)は変化する係数で、それぞれの個人が持つ「現実の重み」なのだという。この式を使い、養老さんは説明する。

「イスラエルについてアラブ人が何を言おうと、さらには世界がいかに批評しようと、その情報に対しては、イスラエル人にとって係数ゼロがかかっている。だから、誰らの行動に影響しない。逆に、イスラエルからの主張に対しては、今度はアラブ側が係数をゼロにしている。聞いているようで、聞いてなんかいないわけです。これをもう少し別な言い方をすると、係数ゼロの側にとっては、そんなものは現実じゃない、とこういう話になってくる

なるほどです。しかし、この話を読んだ直後に思うことは、「それだったら両者が和解することは永遠に不可能なのではないか」という思いです。でも、そんな感想は後回し。もう少し読み進めます。

今後は著者が養老先生の言葉を受けて考えます。

この係数(A)とは何かを考えるうえで認識しておきたいのは、そもそも私たちの脳には意識と無意識があり、この無意識が果たす役割が意外と大きいということだ。車の運転に喩えれば、意識が運転席にいて無意識が助手席にいると思われがちだが、現実には運転席にいるのが無意識で、意識は助手席に座っているに近いという。無意識が下した判断を、意識が合理化する。「意識が無意識より先じゃないっていうことは、毎日生きているわかる。いつの間にか眠っているし、起きている」

ということは、私たちは、脳が無意識のうちに勝手にナラティブをつくり、それにそって私たちは活動しており、その後に筋が通る理論をつくるために意識が頑張って働いている、ということになります。これってすごい話ですよね。

というわけで、まだ27ページまでしかれ読書ブログは進んでいませんんが、今日のところはここまでにしたいと思います。面白い本がないかなーと思っている方は、ぜひ本書をお買い上げください。間違いなく面白いです。

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