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図書館の夜

 いつしか方角も分からなくなった燃えるような薄明かりのなかで、すべてが生じる。
フォリーニョのアンジェラ


ある日、夢を見た。

ある星の図書館は入館料5,000円が必要だった。
金持ちは読み書きが許され、貧乏人たちは図書館の周りで恨めしそうな目つきで物乞いした。図書館のチケットが運良く分けてもらえることもあるからだ。

図書館の前の広場にはピアノが置かれていた。
亡き王女のパヴェーヌを年老いたピアニストが弾いている。

彼らは本を読みたいわけではなかった。
その星には、図書館といくつかの行政の建物とブルジョワたちのための住居しかなかった。
路上で眠る者はいない。
夜は、強制的に再教育体育館という施設にトラックで輸送され、朝になると解放される。
もしくは、街の清掃員として街中を掃除させられる。あるいは、別の行き先不明のトラックに小さな子たちだけ乗せられ、二度と街には戻って来ない。
ピカピカのビルの隅っこに散らばる注射器を拾いながら、小さな子たちはお菓子を探す。お菓子を見つけることは、注射器を見つけるより至難の技だった─── 良くある風景で誰も驚かない。

夜はそのようにして、彼ら掃除屋によって存在させられているようなものだった。

しかし、図書館のチケットさえ手に入れば話は別だった。
浮浪者のような自由の身でありながら、永遠に図書館に住めた。

知識階級層たちにしても浮浪者たちにしても、彼らは本を図書館以外で読み書き禁止だった。
正確には、禁止されていたわけではないが、とにかく、そういう社会風潮だった。

自宅に本やノート、鉛筆といった類のものを持ち込むと、有志たちによる治安維持の自警団がやってきて、拷問の末に、二度と馬鹿げた真似をしないことを誓約させられる。

罰金は500万スピカ(地球の日本円で500万円ほど)だ。

何か考えたり疑問に思うことより、いかに他人が心地良くなれるか、脳を空っぽにするか、あるいは、心を空っぽにして綺麗ごとをうわごとみたいに並べておくか、何も言わないこと。
第一に、他人のまなざしを気にしなきゃ行けなくなるような、非常識なことは子どものやることだ。
他人にいちいち構って面倒なことになるのも、馬鹿がやることで、利口な奴らはそんな子どもじみたことはしない。
見ない、聞かない、感じないこと。
じゃないと自警団も面倒くさくなる。

そもそも、そんな気すら起こさないのが割と普通だ。
普通の反対は、異常と気狂いだ。

日記を書くなんてのはあり得ないことで、物語を書くなんてのはさらに論外だった。

それがその星の暗黙のルールだった。

───陰気な薄笑いを浮かべた男は、ここまで書き出して、こんな事書いたところで誰も真剣に議論しようだとか思うわけもないのに、何をしたいんだ、と自問自答し、紙をクシャクシャに丸めてゴミ箱に投げ入れた。窓の外でどこかの楽団が弾くピアソラのブエノスアイレスの冬が聴こえてくる。

掃除屋以外、街中が寝静まった真夜中、捨てられた紙は鳥になり、窓ガラスを粉々に叩き割った。

紙の鳥たちは、窓から図書館へと羽ばたき、飛び立った。

小さな掃除屋たちはその翼に飛び乗る。彼らの小さな瞳はキラキラと輝きを取り戻し、好き勝手に快活に行きたい場所へと向かう。

「さよなら!馬鹿げた世界」

彼らは生き生きとそう言いながら彼方遠く月の光の向こう側へ消えていった。

男が目を覚ますと、虚無がもうすぐそこまでやってきていた。

バスチアンの真似をなぜかしようとした。
「モンデンキント!」
虚無はそれでも広がりながらこちらへとやって来る。
それで男は好きな女の子たちの手を握りしめて、
「私は気狂いの太陽である!───アホらし……」
と、つぶやいた。

窓ガラスから突風が部屋の中に吹き込み、虚無を一掃し始める。

僅かに残っていた机の上の真新しい紙で紙ヒコーキを作った。
万年筆とインクとサンドイッチ、まっさらなコクヨの原稿用紙をトランクに入れて、小さい女の子用のオムツとおしり拭きも詰め込んだ。
窓からiPhoneとMacBookを投げ捨てた。

こうして、嵐の夜、彼は女の子たちと紙ヒコーキに乗り、ボルヘスの図書館、バベルの塔へと羽ばたく。

どこからともなく、あのピアニストの弾く音楽が鳴り響く。男と女の子たちは、めいめい、紙ヒコーキに名前を付け、それらの名を叫んだ。

喜び、夢、希望!!!

空から見下ろす海は波全てが紙だった。
海は万年筆のインクで深い青みを帯びている。
鉛色の雲のずっと上の方で、時折、ゼウスのヒステリックな喚き声が空を切り裂く。

だんだんと水平線の向こうに、そびえ立つ石積みのバベルの塔が見えてきた。





『新型Obis対策のため、17:00で閉館いたしました
────館長 ボルヘス』


ある日の夢である。

すべての子どもたちが笑顔でいられますように。

───

バタイユ、ボルヘス、エンデ、タブッキへのオマージュ
ダリの波の本の絵を見ていたら思いついた。

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