軽薄な蛾
僕は光の差し込んだ隙間から狭い部屋に入った。
それが僕の意志でなのか、風に運ばれたからなのかはわからない。
入ってきた時は、気がつかなかったが、前もこの部屋にきたことがあるのをランプのそばの香水の瓶から僅かに立ち昇る匂いで思い出した。
前は危うく叩き落とされそうになった。
運良く網戸が開いていてそこから外へ脱出できたのだ。
前というのは、昨日かも知れないし、今日かも知れない。蛾の僕は時間の感覚が直感的にわからない。
とにかくカフカの変身なみに、起きたら蛾になっていた。
と、言いたいところだが、残念ながら生まれつき蛾だった。
おかしな遺伝子操作をされたあと生まれた。
蛾だけれど、ありとあらゆる記憶を持っている。
約50億年前、太陽が爆発するもっと前からの記憶だ。
その頃は今より24時間は長いのか、短いのか、それはわからない。
相対的に考えると、ある神秘家が死んでから1800年後、いきなり全ての形而上学的時間の概念がおかしくなったのだ。
そんなに長生きしているわけないだろ、と思うかもしれないが、僕はたしかに覚えている。
蛾の前は、さなぎだった。さなぎの前はシャクトリ虫だし、シャクトリ虫の前は卵で、卵の前はミトコンドリアだ。ミトコンドリアの前は、魂だった。
こんなにペラペラと僕が話すのには訳がある。
僕はこのあと、部屋に入ってきた大佐と呼ばれる女の子に叫び声をあげられる。
多分、こうだ。
「うわあーー!サルトル仮称!ちょっと!早く来て!!!虫!早く!」
それで、サルトル仮称が新聞紙かスリッパ片手に渋々やってくる。しばらく新聞紙かスリッパとサルトル仮称が格闘したのち、僕は昇天だ。
僕は窓枠の隙間を今、それで探している。運良く逃げ出せればいいけれど、もし、無理だったら僕はサルトル仮称によって叩き落とされ、また魂になる。
だから魂になる前に、蛾のときの僕の永遠の時間をこうして語っておきたかった。蛾のときの僕の気持ち、感じた温度、季節、匂い、風、淋しさ、愛する蝶の故郷でおかしなことが起きてること、全て自己欺瞞のないように。
全部素直に語ることは、世間知らずの子どものやることだ、と昔同僚のピエール・ロンサールが言っていた。薔薇の名前をあだ名に持つその蛾は、ハグルマエダシャクが本名だった。この前、大佐によってホウキで叩き落とされ、魂になって、先に旅立った。その日も昨日なのか今日なのかはわからない。いずれにせよ、この部屋に入ってくる前なのは確かだ。
何もできないけれど、僕はこうして記憶に残る。僕の中で僕の見たもの、感じたものを記憶していく。
誰かの記憶に残るか?それはわからない。
残れば良いけれど、そんなのはヴァージニア・ウルフ並みの才能がないと無理だ。
彼女の本をサルトル仮称が昨日読んでいたのを僕は知っている。声に出して読んでいて、「何この人、ヴァージニア・ウルフ凄いんやけど」と繰り返し独り言を大声で言っていたからだ。
彼はウルフ4冊目でどうも最近ずっとハマっているらしい。それでTo the lighthouseを読んでいた。
イギリスの詩人、ウィリアム・クーパーの詩『The castaway』を伴走させながら、ある家族とその知人の画家らの10年が灯台へ向かう半日へと凝縮されている作品だ。
画家はウルフ自身を、家族の父母はウルフの父母を投影されているかのようだ。
いくつかの感情のすれ違いが見事に描かれていたり、作中の父の描き方がエレジーのようでもあり、感慨深い。この作中の父は物語の中で何度もクーパーの詩を口ずさむ。
家族たちはすれ違ったり、死や戦争によって分断されたりしながらも、結局はひとつに溶け合っていくように描かれている気がする。
画家はキャンバスに構図を見出す。灯台へ向かう知人の家族たちの10年、あるいはもっと、込めた構図かも知れない。
彼らは僕のような蛾ではないのだ。
サルトル仮称によれば、ウルフの時代は時の流れはゆったりとしていて、好きな音楽が頭の中で流れ、溶けるような文脈から作中人物たちの関係性や容姿や話し声までイメージさせてくれる余白がある。
自然と共に文章が生きている。分離分裂分断の現在をウルフの描き出す世界のように調和することが太陽への愛となる。
事物の事象は揺らぎの中である確率で偶然発生し続ける。p地点で発生したもの同士は衝突するのは当たり前で、衝撃波によって、また新たな事象が発生する。
これは永劫回帰的につづく。
調和と分断は見る視点によってどちらにもなるのだ。特に僕のような蛾の視点からしてみれば、サルトル仮称や大佐らの言う調和ほど厄介なものはないし、分断はもっとリスキーだ。
彼らは調和を大義名分とし、おかしな帝国的発想をしかねない。大佐の故郷は今それでおかしなことになっていて、僕らの同僚は焼け野原の地域に追いやられた。
一度権力の味を占めると、勘違いしたベクトルのまま、勘違いを振りまく。大抵の権力者たちは支配的で、「ワタシは支配していない。解放し、統一する。恒久的な愛と平和を取り戻すために、反抗的なものたちの愛と平和を愛と平和で爆撃するのだ」と言わんばかりに僕らの風にそよぐ草木の葉を焼き尽くす。あちこちでそんなことが起きてもう何千年も経つ。隷従的な者たちは自分たちが自由だと勘違いしたままだ。考えを言うことは愚かしく、考えを持たぬことは賢さだ。誰かを愛することはとっくの昔に忘れ去られた。このふたりもいずれそれを忘れてしまうときが来るかもしれないのだが。
些細な感情のすれ違いや、差異によって引き起こされる摩擦エネルギーは愛へエネルギー保存の法則に則って変換されるべきなのだ。駆動エンジンはいい意味でも悪い意味でも欲望だ。けれど愚かなものたちは科学の力を傲慢に、暴力的に利用する。
だから、摩擦エネルギーは意固地な分断と孤絶と均一化のための暴力装置を駆動させ、おかしなエネルギーへと変換されてしまうのだ。
僕はもうじき魂になるだろう。僕は楽観的で軽薄な悲観主義な蛾だが前向きで陽気に取り繕う。今は暗いゴミ箱の底の新聞紙にへばり付いて丸められている。羽がところどころ引きちぎられ、触覚一本とと目の片方は潰された。きちんと習いたてのバイオリンがギーギーなるような音を立ててまた飛びたい。感じることと見ることをまた明日やってみるつもりだ。
欲望と希望は捨てていない。遺伝子にそう組み込まれている。灯台の光が差し込むように、僕も新聞紙の隙間からゴミ箱の蓋の隙間から、こぼれ落ちる光を見出すのだ。
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