ウイグルからの手紙を今朝読んだ
はじめに
思考と表現の自由、子どもの人権についてここ最近ずっと考えさせられる。
今朝、#ウイグルからの手紙 という小冊子を読書メーターで知り、Kindle Unlimitedで読んだ。
『ウイグルからの手紙』
著者 アフメット・レテプ、サウット・モハメド、ムカイダイス、Kenji Yagi
※Kindle unlimitedで10分くらいで読めます。
もともとあまり報道されることのなかったウイグルジェノサイド。
ウクライナ情勢の影になってますます報道されなくなってきている気がする。
#ウイグル人に何が起きているのか
#ai監獄ウイグル など他ルポを以前読み、ディストピアなのかと思わされるほどに深刻な状況を知った。
本小冊子はかなりコンパクトではあるが、異様なウイグル人の人口減少と強制避妊手術などとの相関関係を考えさせられたり、状況をこれから良く知ろうとする子どもたちにとっても考えるキッカケにもなると思う。
ウイグルの方の詩や、子どもたちの写真に映る瞳が印象的でもあった。
思考すること、表現することの自由について
本書とは少しずれるが、自分探しの時期というのは必ずあるであろう。
10代、20代前半までに何かしら哲学の本をきちんと読むと、それは目には見えない大きな財産になる。
学生のうちに読んでみる利点として
①きちんとひとりの思想家でも読んでいくと、他の哲学書を読む際、あまり苦労しないかもしれない。
②哲学書を読む際、いくつかのものを追って読む必要がでてきて体力も必要であるのと同時に、視座を高く多角的にできる。ある意味で勉強より有意義だと個人的には思う。
③思考することそのものの良い訓練になる
などなど、個人的には思う。
そうした思考そのものの訓練をすることの意義は、自分の考えを自分で打ち立てていく力になるというのもあるのではないだろうか?
自分なりの考えを論理的に分析、議論に発展させることは、隠れた全体主義的な迎合や同調と距離を置けることに繋がるであろう。
自分探しのときにこそ、古典的な哲学書を手にして見てほしいと思う。
さて、自分探しをしていた人物の代表的なもので、村上春樹の海辺のカフカが僕の中では、思い浮かぶ。
自分探しというのは、村上春樹的に言うなれば、井戸に潜って下界─あるいは他者─との関わりを希薄にしてでも、自己あるいは、過去を深掘りしていく。
10代でこうしたいわゆる自己回帰的に悩む過程を体験する。
ある時期が来ると、己を知り始め、そうした井戸掘りを卒業し、社会との関係性の中で、自分のできることを考え行動していく。
しかしながら、カフカ少年のままでは簡単に権力主義的なものに流されていったり、ややもすると、社会で起こっている問題に対して、何かできることがあるかすら考えない。
自分に関係のない社会問題においては、意見を持たないか、言わない、政治においてはノンポリになり得るかも知れない。
こうしたことは、そもそも戦前戦後教育の中で、「自分の意志を持たない、発言しない、無抵抗、無関心」で思想など持たぬようにという方針のようなものがどうしてもあるように思えてならない。
加藤典弘 が「戦後的思考 」で論理の筋ではなく今必要なものは調和であるとしているが、その調和を考える上でも自己欺瞞に陥らず、自分の意志表示を自分なりに表現することは必要不可欠ではなかろうか。
日本のジャーナリズムの前進の基盤でもあり、それだけでなく、社会の分断ではない調和を求め実行する為にも、自由に考え、他者と臆する事なく批判、議論、吟味できるという能力は教育(学校だけでなく、家庭でも)によって伸ばしてあげたい──とりとめもない思いを馳せた。
また、ウクライナ情勢にしろウイグルジェノサイドにしろ、他諸問題の背景のひとつとして世界的な分断が浮かび上がる。2001年の世界同時多発テロがひとつの大きな分岐点となっているように思えてならない。
9.11でまとまったように見えて、テロ対策を大義名分にさまざまな問題となることが起こり始めたように思える。
思考と表現の自由を軽視してはいけない。