インドのどこかで水牛を見るある友人への手紙── アボガドとトマトのチーズトーストのレシピ
インド、早朝の海岸付近。
湿度の高い曇り空の中、鋪装されきれていない道路をひたすら歩いた。
ゴアまではバンコクを経由しインディラ・ガンディー国際空港から国内線でやってきた。
「インディラ・ガンディーまで迎えに行きましょうか?」
素直に、「お願いします」とあのとき言うべきだったかも知れない。
バンコクで昔、タクシーに乗った際、盛大にボラれた記憶から、見知らぬ国でタクシーは余程のことがない限り利用しないことにしていた。
Google mapの経路に従って水牛と時折すれ違いながら田舎道を歩くこと30分。
ホテル マンドヴィがようやく見えてきた。
ある男との待ち合わせ時間よりだいぶ早く着いたようだ。
僕はホテルのフロントでチェック・インの手続きをし、先に部屋で汗だくのシャツを脱ぎ捨てて、シャワーを浴びた。
こざっぱりとした白のポロシャツを着てNIKEの少しよれた短パンに履き替える。
鏡の中の僕は現地の人と大差ない気がしてきた。僕はもしかしたらインド人なのかも知れない。そんな有り得ない考えがとりとめもなくよぎった。
古いエレベーターで僕はホテルのフロントへと再び行くと、見知らぬ体のラインの綺麗な女の子が声をかけてきた。
「誰かと待ち合わせ?」
僕は咄嗟に「こんなに早く着くとは思わなかったんです。あるひとを探してます」と答えた。
「なんていうひと?知ってる人かも知れない、あるいは、まったく知らない人かもしれない」
世の中には次の二種類の人間がいる。
知ってる人か、知らない人か。
そのうちのどちらかでしかない。
僕はポロシャツのゴリラ🦍の刺繍を指して、「これと同じ刺繍を見たことありませんか?」と女の子に聞いた。
申し訳なさそうに彼女は首を横に振るだけだった。
「ところで、以前、僕らはどこかでお会いしました?」
「わからないわ」
他愛のない会話の続きをホテルのラウンジでしているうちに、昼近くになっていた。
男はまだ来なかった。
僕は彼女に羽田空港からバンコク経由でここまで来たこと、途中でみた田舎の風景のこと、水牛のことを話し続けた。
突然、それまで忘れかけていた妻と娘のことを思い出した。
「ここに来る前の日に月明かりの中、散歩したんです。彼女たちと」
「そう……。その人たちはあなたのこと、今、この瞬間、思い出してるかしら?」
「さぁ。わかりません」
彼女たちが僕の不在をどう感じているのかなんてラインの綺麗な女の子に聞かれるまで考えてもみなかった。
世界中で色んなことが起きている。
でも今、僕は男に「来ればわかりますよ」と言われ、日本から遥々、ここまで来てしまった。
「あなた、夢を見ているのよ」
不意に懐かしい声で僕は目を覚ました。
彼女の肩越しに時計を見ると既に7時を過ぎていた。
窓の外はどんよりとしている。
朝の霧のような空気が湿度をたくさん含んで僕と彼女の間を抜けていった。
「水牛のいるゴアのビーチの夢を見たんだ」
そう言い、少し目を瞑った──君はインドのどこかで水牛を見たかい?
問いかけなのか、確認なのか、僕自身わからないまま、そう呟いた。
ゴリラもボノボも人間よりシンプルだ。
なにしろ自分たちの子どもが起きるかドキドキしながらイチャコラしなくて済む。
いつも川の字で真ん中に眠るボノボの娘。
目を覚ますと隅っこに移動させられていることに気づき、お父さんボノボとお母さんボノボの間に割って入り、再び真ん中のポジションをキープして眠りに落ちる。
不条理な争い事を起こさない。
全くもって正当な理由があって結果がある世界。
それが野生動物の世界かも知れない。
セックスで何もかも解決するボノボ。
僕は野生のボノボになりたい。
僕はボノボなのかゴリラ🦍なのか?と妻に尋ねた。
妻は夢の中の女の子がしたみたいに首を横に振った。
「わからないわ」
今朝は読書もピアノの練習もできない。
そう、寝坊したんだ。
けれど、バナナを食べる。
バナナを食べる時間ならある。
ギリギリ、トーストも焼ける。
沸騰したお湯に新鮮な卵を6個入れる。
キッチン・タイマーを5分にセット。
その間にアボガドを角切りにし、マヨネーズと胡椒とわさびで和える。
パンの上にバターを塗り、アボガドを乗せ、トマトホール缶のイタリアントマトを適当に乗せる。
ゆでた卵、通称ゆで卵をスライスし、適当にのせ、さらにチーズを乗せる。
オーブンで4分焼く。
4分の間、妻にオーブンを見てもらう。
その間にシャワーを浴びて、歯磨きをし、顔を洗い、頭も洗い、体を洗い、新しい火曜日のボノボになる。
牛乳にプロテインを入れシェイクする。
シェイクは2拍子か3拍子にするか、4拍子かで味が変わる。
2拍子はブラジルサンバのように。
3拍子はワルツのように。
4拍子はアルゼンチンタンゴのように。
寝坊した場合、4拍子で頭を振りながらシェイクして目を覚ますしかない。
生まれついての体のリズムがそれぞれあると思う。
ブエノスアイレスのボノボはタンゴで目を覚ます。
バナナとトーストをプロテインで胃に流し込みながら、このレシピの序文をゴリラの書簡として書き上げる。
ハイエースで見習いくんを迎えに行く途中、名前のない街の赤い郵便ポストに封筒を投函する。
インドのある友人のゴリラ宛。
火曜日。
ゴリラ🦍の不在。
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